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島津義久(四兄弟の長男)が戦国の九州統一に迫る! 戦い続けた79年の生涯

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義久派、義弘派、忠恒派

不運とは他でもありません。

朝鮮の地で後継者と定められていた義弘の息子・島津久保が亡くなってしまったのです。

新たな後継者として浮上したのが島津忠恒でした。忠恒は久保と同じく義弘の子であり、かつ正室は義久の娘である亀寿という女性でした。

そのため、次期後継者の外祖父として義久が引き続き発言力を有しています。

こうした情勢の中、多大な負担となっていた朝鮮出兵も秀吉の死をもって終了。

島津としては手放しで「万々歳!」とは言い切れず、豊臣政権との関わりの中で権力が分裂してしまい、島津家中の軋轢は増すばかりでした。

義久に仕え続けてきた重臣が殺害される事件なども勃発しています。

最終的に、家臣団は「義久派」「義弘派」「忠恒派」の三派に分裂し、ここに「三頭体制」が構築されることになりました。

ただし悪いことばかりではありません。

秀吉の死後、豊臣政権による介入圧力が減ったことで、旧来の土地を離れざるを得なかった家臣たちに「島津」の名で旧領復帰を許可できたのです。このことは結果的に江戸幕府以降の藩政にプラスの影響を与えたという見方があります。

いずれにせよ、島津家、特に義久にとって豊臣家の支配下にあった約10年の期間が苦難に満ちたものであったということは間違いありません。

 

天下統一の夢は幕末へ

慶長5年(1600年)に起きた【関ヶ原の戦い】では、島津義弘が西軍の武将として戦に参加しました。

しかし、義久および忠恒は中立の立場を貫き、義弘を援護するということはなかったようです。

最終的に戦は東軍の勝利に終わり、義弘は戦場からの敗走を余儀なくされました。

有名な【島津の退き口】ですね。

島津の退き口!一世一代の撤退戦は中馬重方らの忠義に支えられた【戦国関ヶ原】

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問題は、戦後の保障問題でしょう。

島津家としては中立の立場だと主張しても、実際に義弘は紆余曲折があったにせよ西軍として参加しております。

徳川家康も【九州征伐】の計画を推し進めました。

しかし、計画自体は途中で終わり、義久と家康の間で和平交渉が進められていきます。

実に2年という長期に渡って行われた講和では、家康による義久上洛の要請をたびたび拒んでいる点が特徴的でしょう。

結局は、頑として動かない義久に家康が折れるカタチで次期後継者の島津忠恒が代わりに上洛。義久は忠恒の上洛にすら反対の立場でしたが、結果的にそれを押し切って家康と面会したことで本領が安堵されます。

その後は家督を正式に忠恒へと継承しながら、義久は亡くなるまで家中で発言力を有し続けていたようです。

そんな姿勢が疎んじられたのか。

晩年に向かうに従い、義弘や忠恒との関係が悪化。関係が改善されることはないまま慶長16年(1611年)、義久は生涯を終えました。

享年79。

天下を夢見ながら、秀吉や家康といった「成り上がり者」の手によってそれを叶えられなかった義久。

しかし、その無念が世代を超えて引き継がれ、幕末になって花開くことになるとは、当時は誰も予想さえしていなかったでしょう。

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文:とーじん

【参考文献】
国史大辞典
三木靖『薩摩島津氏』(→amazon
日本史史料研究会 (監修)・新名一仁(編集)『中世島津氏研究の最前線 ここまでわかった「名門大名」の実像』(→amazon
栄村 顕久『島津四兄弟―義久、義弘、歳久、家久の戦い―』(→amazon

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