現在の耳川/wikipediaより引用

大友家 島津家

最強島津軍!耳川の戦いで釣り野伏せが炸裂~大友軍をフルボッコに!

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龍造寺と島津が戦ってる間に……

この知らせを受けた宗麟は、もはやお祈りどころではありません。

一目散に本拠へ向かいますが、取るものもとりあえず身体一つに近い状態だったため、これまた撤退には困難を極めました。

九州とはいえ、冬も深まりつつある季節ですから、容赦なく冷気と飢えが大友軍を襲います。

こうして宗麟のお花畑……じゃなくて「キリシタン楽園計画」はあっという間に崩れ去ったのでした。

多くの人材や兵士を失った大友家を、もう一つの雄・竜造寺家も見逃しません。

大友家内では、残った家臣達も仲間割れする始末。

幸いなことに、この後、竜造寺家は島津家と戦になったため、大友家はしばらくの間、体勢を立て直す時間ができました。

が、島津家が龍造寺に勝つと、次はまたもや大友家に食指を伸ばすわけで。

このまま大友家は滅びるかに見えましたが、ところがどっこい、なかなかしぶとく生き延びるのです。

中央の情勢が大きく動いていたのです。

 

もう秀吉さんに頼るしかない!

織田信長が【本能寺の変】で明智光秀に殺され、【山崎の戦い】を経て清須会議が終わると、豊臣秀吉柴田勝家とケンカ(賤ヶ岳の戦い)。

徳川家康とも殴りあいながら、何とかまとまりを見せていました。

そして気がつけば豊臣秀吉が台頭していたのです。

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これを聞きつけた宗麟は、「もう頼るしかない!」と覚悟を決め、自ら大坂まで出向いて秀吉に救援を要請します。

大友家は鎌倉時代から続いた名家ですから、どこの馬の骨とも知れない秀吉に頭を下げるのは相当勇気が必要だったでしょう。

しかし、この決断が大友家を救いました。

秀吉は元の身分が低い故に、身分が高い人に認められるのが大好き。

この救援を受けてやれば、九州へ出兵する大義名分が立つ上、最初から足がかりができているので戦がしやすくなります。

利害一致と見た秀吉は、気前良く宗麟の要請を受けました。

こうして九州の情勢は

【大友vs島津】
から
【豊臣vs島津】

という構図に変わり、少しずつ日本統一の兆しが見えてくるのです。

なお、島津四兄弟については、各人にスポットを当てた記事が以下にございますので、よろしければ併せてご覧ください(島津貴久は四兄弟の父となります)。

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長月七紀・記

【参考】
『島津四兄弟―義久、義弘、歳久、家久の戦い―(南方新社)』(→amazon
『戦国武将合戦事典(吉川弘文館)』(→amazon
『戦国時代人物事典(学習研究社)』(→amazon

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