『信長公記』巻十二は、戦や政治以外の事件が他の巻よりも比較的多く記録されています。
元亀元年(1570年)以降、信長公記の著者である太田牛一が文官としての仕事が圧倒的に多くなるので、日常的な出来事も記憶に残ったのでしょうか。
今回は、そんな日常の中で起きた恐ろしい殺人事件に注目してみたいと思います。
無理やり酒を飲ませて潰して……
ときは天正七年(1579年)4月下旬。
場所は下京・四条小結町(京都市中京区)の糸屋。
その後家だった老女が、実の娘に殺害されるという事件が起きました。
現代でもショッキングな事件として報じられそうですが、ことのあらましがまたすごいものです。
4月24日の夜、娘が「良い酒を買ってきたから」といって、母親に無理やり飲ませ続けて潰します。
そして蔵に運び込んで刺殺、さらにその死体を箱に入れて厳重に縛ったというのです。
母親は”70歳ごろ”と表現されていますので、その娘はおそらく50歳前後だったでしょう。女手だけでこのような力技をやってのけたというのも驚きですが、ここからがまた常軌を逸しています。
口止め料として美しい小袖
この家は法華宗だったそうですが、娘は浄土宗の誓願寺から僧侶を呼び、こっそり死体を運んで始末してしまおうとしたのです。
遺体を箱に入れてから僧侶を呼んでいるあたりからして、
「母親が無頼者に殺されたので、弔ってほしい」
というような言い訳すら考えていなかったということになります。なんとも無計画で恐ろしい話です。
しかし、この家の下女がこのことを知ってしまいました。
娘は口止め料として美しい小袖を与えたそうですが、下女は後で発覚したときのことを恐れ、村井貞勝の役所にことのあらましを届けたそうです。
貞勝は直ちに娘を捕らえ、取り調べました。
その結果は言うまでもなく……。
★
4月28日、この娘を一条の辻から車に載せて市中引き回しにし、六条河原で処刑したそうです。
どうして娘が老いた母親を殺そうとしたのか、僧侶と下女はどうなったのかなどは書かれていません。
現代でも老老介護の問題を彷彿させてしまうような……さまざまな意味で、後味の悪い事件です。
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長月 七紀・記
【参考】
国史大辞典
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