絵・小久ヒロ

信長公記

信長へ直訴した山崎の町人!提出したのは偽文書だと!? 信長公記191話

今回の『信長公記』解説は「巻十二 第十六節」で【町人の直訴】に関するお話です。

直訴というと足尾銅山の田中正造なんかを思い出しますかね?

市井の小役人相手では「どうにもならない話」を頂点の権力者に訴え出るのですから、訴えはよほどの中身でなければならないはず。

しかも相手が信長だというのに、この町人、トンデモナイことをやらかすのです。

※本稿は織田信長の足跡を記した『信長公記』を考察しています。

前話は以下の通り。

木戸番の人身売買女
女を誘拐して80人以上も堺で売り飛ばした木戸番の妻~信長公記190話

続きを見る

さらに他の記事をご覧になりたい方は→『信長公記』よりお選びください

 

信長へ直訴

天正七年(1579年)10月1日。

後に豊臣秀吉明智光秀が雌雄を決した土地である山崎の町人が、織田信長に文書を持って直訴しに来ました。

山崎の戦い
明智軍vs羽柴軍「山崎の戦い」で秀吉が勝てた理由~光秀は何処へ?

続きを見る

町民が言うには、どうやら裁判についての不服があった模様。

ところが、です。

その町人が訴えてきたのは、すでに明智光秀や村井貞勝が決裁した裁判のことらしく、なんだか話がおかしい。

明智光秀
史実の明智光秀は本当にドラマのような生涯を駆け抜けたのか?

続きを見る

信長はその際の経緯と判決を貞勝に尋ねました。

それは具体的にどんな裁判だったのか?

残念ながら『信長公記』では詳細にまで触れられていないのですが、ともかく町人にとっては不満な判決だったのでしょう。

ゆえに直訴を強行したはずなのですが……。

 

偽文書ゆえに処刑された

問題は、信長に提出した文書です。

事もあろうに「偽りの文書」でした。

このありえない陳情に対し、信長は怒り、結果、その町人は処刑されてしまいます。

命を奪うとはいささか厳しい判断のようにも思えますが、偽造までして直訴を行った相手の言い分を聞き、万が一、それが罷り通ってしまっては織田政権への不信感にもつながってしまいます。

もしも正当な訴えだったら、もう少し穏便な対応をしたのではないでしょうか。

若い頃の火起請(21話)のエピソードや、

恐怖の火起請と信長~戦国初心者にも超わかる信長公記21話

続きを見る

それまでの町人に対する施策などからしても、信長は「身分の低い相手だから」というだけでぞんざいな扱いをしたことはほとんどありません。

道端のホームレスを気に留めて、支援したことさえあります。

信長とホームレス~常磐御前を殺め呪われた一族を救え 信長公記122話

続きを見る

まぁ、町人や農民たちに苛烈なことをした件が『信長公記』に記されてないだけ……という可能性もありますが。

いずれにせよこの一件で類似の犯罪を抑止する効果はあったのではないでしょうか。

一通り政務が片付いたようで、信長は10月8日の夜8時頃に京都を発ち、翌朝の日の出に安土へ帰り着きました。

あわせて読みたい関連記事

織田信長
史実の織田信長はどんな人物?麒麟がくる・どうする家康との違いは?

続きを見る

山崎の戦い
明智軍vs羽柴軍「山崎の戦い」で秀吉が勝てた理由~光秀は何処へ?

続きを見る

豊臣秀吉
豊臣秀吉のド派手すぎる逸話はドコまで本当か?62年の生涯まとめ

続きを見る

明智光秀
史実の明智光秀は本当にドラマのような生涯を駆け抜けたのか?

続きを見る

恐怖の火起請と信長~戦国初心者にも超わかる信長公記21話

続きを見る

信長とホームレス~常磐御前を殺め呪われた一族を救え 信長公記122話

続きを見る

信長公記のバックナンバーをご覧になりたい方は→『信長公記

長月 七紀・記

【参考】
国史大辞典
太田 牛一・中川 太古『現代語訳 信長公記 (新人物文庫)』(→amazon
日本史史料研究会編『信長研究の最前線 (歴史新書y 49)』(→amazon
谷口克広『織田信長合戦全録―桶狭間から本能寺まで (中公新書)』(→amazon
谷口克広『信長と消えた家臣たち』(→amazon
谷口克広『織田信長家臣人名辞典』(→amazon
峰岸 純夫・片桐 昭彦『戦国武将合戦事典』(→amazon

TOPページへ

 



-信長公記

×