今回の『信長公記』解説は「巻十二 第十六節」で【町人の直訴】に関するお話です。
直訴というと足尾銅山の田中正造なんかを思い出しますかね?
市井の小役人相手では「どうにもならない話」を頂点の権力者に訴え出るのですから、訴えはよほどの中身でなければならないはず。
しかも相手が信長だというのに、この町人、トンデモナイことをやらかすのです。
※本稿は織田信長の足跡を記した『信長公記』を考察しています。
前話は以下の通り。
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信長へ直訴
天正七年(1579年)10月1日。
後に豊臣秀吉と明智光秀が雌雄を決した土地である山崎の町人が、織田信長に文書を持って直訴しに来ました。
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町民が言うには、どうやら裁判についての不服があった模様。
ところが、です。
その町人が訴えてきたのは、すでに明智光秀や村井貞勝が決裁した裁判のことらしく、なんだか話がおかしい。
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信長はその際の経緯と判決を貞勝に尋ねました。
それは具体的にどんな裁判だったのか?
残念ながら『信長公記』では詳細にまで触れられていないのですが、ともかく町人にとっては不満な判決だったのでしょう。
ゆえに直訴を強行したはずなのですが……。
偽文書ゆえに処刑された
問題は、信長に提出した文書です。
事もあろうに「偽りの文書」でした。
このありえない陳情に対し、信長は怒り、結果、その町人は処刑されてしまいます。
命を奪うとはいささか厳しい判断のようにも思えますが、偽造までして直訴を行った相手の言い分を聞き、万が一、それが罷り通ってしまっては織田政権への不信感にもつながってしまいます。
もしも正当な訴えだったら、もう少し穏便な対応をしたのではないでしょうか。
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それまでの町人に対する施策などからしても、信長は「身分の低い相手だから」というだけでぞんざいな扱いをしたことはほとんどありません。
道端のホームレスを気に留めて、支援したことさえあります。
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まぁ、町人や農民たちに苛烈なことをした件が『信長公記』に記されてないだけ……という可能性もありますが。
いずれにせよこの一件で類似の犯罪を抑止する効果はあったのではないでしょうか。
一通り政務が片付いたようで、信長は10月8日の夜8時頃に京都を発ち、翌朝の日の出に安土へ帰り着きました。
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長月 七紀・記
【参考】
国史大辞典
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峰岸 純夫・片桐 昭彦『戦国武将合戦事典』(→amazon)