『信長の野望』には【立地】という要素があります。
人物、家、能力値は悪くない。
それでもプレイの難しい、上級者向けとされてしまう武将がいるのですが、大抵の場合、その【立地】が悪すぎるのです。
若狭武田氏の武田義統(よしずみ/よしむね)もその一人でしょう。
戦国史においてはほとんど注目されることのない一族ですが、話題の大河ドラマ『麒麟がくる』にいささか関係があったりします。
というのも光秀の生母として登場する牧の方、その実家が若狭武田氏とも言われているのです。
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つまり武田義統は光秀の伯父にあたる可能性があるワケですね。
本稿では、若狭武田氏を衰退させてしまった武田義統と共に見ていきたいと思います。
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武田義統の祖先は甲斐武田氏
若狭武田氏とは、名字から察するように武田信玄の武田氏と関係があります。
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順を追って説明しますと……。
まず、甲斐武田氏の5代・武田信光の時代に承久の乱(1221年)が勃発。
このときの戦功によって安芸の守護に任じられました。
当初は代理人となる守護代を派遣していたのですが、7代武田信時のときに元寇がおきたのを機に安芸へ下向し、武田氏信の時代に初代・安芸武田氏となります。
さらに、この安芸武田氏から分流していったのが若狭武田氏です。
チャートにするとこうなりますね。
甲斐武田氏
↓
安芸武田氏(分家)
↓
若狭武田氏(さらに分家)
若狭武田氏の初代は武田信栄
若狭武田氏の興りは、室町時代中期でした。
永享12年(1440年)頃、安芸守護だった武田信栄(のぶひで)が、足利義教の命令を受けて丹波若狭守護の一色義貫(いっしきよしつら)を暗殺。
一色義貫を大和の陣中で敗死させました。
この功により、若狭守護を命じられたのです。
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この初代武田信栄が若くしてなくなると、弟の武田信賢が跡を継承。
信賢は若狭国の土一揆を治め、支配の礎を固めました。
ここで歴代当主を確認してみましょう。
初代 武田信栄
2代 武田信賢
3代 武田国信
4代 武田信親
5代 武田元信
6代 武田元光
7代 武田信豊
8代 武田義統
9代 武田元明
5代・元信は、足利義材(よしき)の近江遠征に参加する等して、存在感を示しております。
その次代・信豊の家督相続については、弟・信孝を後継者とするべく家臣団が躍動するような波乱はありました。
本格的に乱世と直面するのは、第8代・武田義統になってからのことです。
三好長慶が力を伸ばしパワーバランスが崩れる中、苦しい命運に直面するのです。
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