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【馬場信春】
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長篠で殿(しんがり)を務め、討死を遂げる
迫りくる織田軍と徳川軍に対し、馬場信春はどうしたか?
様々な策を説き、なんとしても勝頼の心を変えさせ、敗北を止めようとしたとされる、そんな逸話が現代にまで伝わっています。
しかし、こうした話は「かの名将ならば武田家の破滅を止められたかもしれない……」という、後世の願望ありきの作り話もあるとみられ、慎重に受け止めねばなりません。
かくして迎えた設楽原での決戦――馬場信春率いる700の部隊は、佐久間盛信と対峙。
勇猛果敢で知られた馬場信春の率いる軍は奮闘するも、数で劣るとなると次第に押し返されます。
次々と将が倒れ、崩れてゆきました。
この戦いは、武田方の将の犠牲が非常に多かった。真田家が、真田信綱と真田昌輝という、二人の将を失っているのが典型例。
かくも大きく崩れるとなると、決定的な敗因があったのでしょう。
信春は「もはやこれまで」と、勝頼に撤退を進言。
勝頼の背を見送り、内藤昌秀と共に退路に踏みとどまると、地の利を生かし敵を迎え撃ちます。
信春の強さは築城名手であるように、地形を生かすことがあるとされます。
そして、ここでの馬場信春の勇戦は『信長公記』にも記されました。
馬場美濃守手前の働き比類なし――
それほど際だったものでしたが、不死身の鬼美濃の武勇もこれまで。
勝頼の撤退を見届けると、その命を散らしたのでした。
永正11年(1514年)生まれであれば、享年61。
武田家三代を見届けた勇将の最期でした。
馬場氏の子孫
馬場信春の子・小田切昌松は、父の死後に追悼。
彼の家は小田切氏として残され、馬場の家督は弟の信頼が継いだとされます。
信春の娘は、
に嫁いでいます。
真田信尹は、真田昌幸の弟であり、2016年大河ドラマ『真田丸』では栗原英雄さんが演じていました。
彼の子孫を称する一族は各地に残されており、かつ武田一族と混同されている場合もあるようです。
家康の家臣として知られる鳥居元忠は、関ヶ原の戦いに際して、伏見城で壮絶な最期を遂げたことでも知られますね。
鳥居元忠~西軍を足止めして伏見に散った~徳川天下の陰に忠臣たちの犠牲あり
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不死身の鬼美濃――その勇名ゆえに、映像化作品でも錚々たる面々が演じてきた馬場信春。
これからも様々な作品で彼の活躍を願う方は少なくないでしょう。
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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link)
【参考文献】
『武田氏家臣団人名事典』(→amazon)
高野賢彦『甲州・武田一族衰亡史』(→amazon)
他