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【武田信繁の生涯】
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第四次川中島の戦い
南信濃を制圧し、北信濃へも進出していった武田家。
途中、村上義清に二度も敗れる苦い経験はあったものの、順調に北上を続け、いよいよ制圧――そんなあと一歩のところで立ちはだかったのが越後の上杉謙信です。
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合計五度の合戦をしたことで知られる【川中島の戦い】は、北信濃を巡る謙信との攻防戦であり、当然ながら武田信繁も出陣しています。
しかし、武田信繁に五度目はありません。
信玄の戦歴の中でも最も華々しく、そして最も苦い、第四次川中島の戦いで命を落としてしまうのです。
それは一体どんな戦いだったのか?
山本勘助など、数多の有力武将を失ったこの戦いは、フィクションでの誇張があまりに大きく、かえってわかりにくくなっている部分も多くあります。
その点を踏まえつつ、同合戦を振り返ってみましょう。
信繁の陣へ上杉軍の猛将たちが!
信玄を二度も撃退しておきながら、ついには信濃から越後へ追い出された村上義清。
上杉謙信に仕えると、戦国の頂上決戦、越後の龍と甲斐の虎の激突は不可避と言えました。
両国は、幾度かの対戦を経て永禄4年(1561年)――上杉謙信は1万3千の兵を率い、妻女山に布陣します。海津城に迫るためです。
対する信玄は2万の兵と共に出陣。
両軍の睨み合いが数日に及ぶ最中、武田軍では山本勘助の戦術が採用されます。俗に「啄木鳥の戦法」と呼ばれる戦術であり、以下のような手順となります。
山本勘助と馬場信春が二手に分かれる
↓
別働隊を妻女山に接近させる
↓
夜明けに攻める
↓
慌てて山を降りた上杉勢を、本隊が挟み撃ちにして勝利
啄木鳥が嘴で木を叩くと、虫が中から飛び出すことから名付けられた――と、伝説的に語られますが、膠着する事態を打開したかったことは間違いないでしょう。
しかし、作戦とは何かのきっかけで失敗するものでもあります。
濃霧が立ち込め視界がハッキリしない中、作戦を察知した上杉勢は妻女山を降りてゆきます。
武田信繁はこのとき鶴翼の陣の左側。
まだ布陣が完全に整っていないところへ、突如、上杉家の誇る猛将、柿崎景家と新発田重家が押し寄せてきました!
800の兵を率いて、自ら槍をふるい、奮戦する信繁。
血みどろの戦いの中、本陣に目をやると、上杉勢はそこまで迫りそうな勢いです。
「我に挑むもの、誰ぞある!」
「おぉ、あれぞまことの勇士よ……いざ!」
兄を救うべく、身を捨ててでも的を引きつけようとした信繁。
天晴れな武者ぶりに、敵も感嘆しながら討つべく殺到します。
副将らしく前立てを煌めかせて、槍を振るい続けるも……大軍を前にして永遠に続くわけもなく、やがて力尽き、討死を遂げたのでした。
信玄は弟の遺骸を抱きしめると、号泣しました。
その姿を見て家臣団たちも「惜しむべき将を失った」ともらい泣きが止まらない。
★
結局、両軍互いに大きな損害を受けながら、その後も明確な決着は最後までつきませんでした。
信繁の名は真田を通して現代に轟く
武田の家臣団は、その後も折に触れて武田信繁のことを思い出しました。
信玄と対立した嫡子の義信が死を迎えたとき――もしも典厩様がおられたら、このようなことにはならなかったと嘆息する者もいたとか。
武田信玄という戦国時代屈指の名将は、兄弟で一心同体とも言えたのでしょう。
なまじ兄と事績がかぶるだけに、かえって目立たない信繁。
その不在により、重要性を示したとも言えます。
主君である武田信玄を敬愛していた信濃の国衆である真田昌幸も、武田信繁を慕い、惜しんだ一人でしょう。
昌幸は、次男の諱を「信繁」としました。
真田幸村の名で知られる真田信繁であります。
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兄を支え、家を守って欲しいという切実な願いが、そこにはこめられたのでしょう。
真田昌幸の願いは、確かに叶えられました。
関ヶ原の戦いの折、兄と弟は二手に分かれますが、兄と弟はその後も支えあってそれぞれの道を歩んでゆきます。
兄の信之が真田を大名という実として残し、弟・信繁は勇猛果敢な武士として花のような名を残しました。
武田信繁は、若くして川中島に散ったものの、その芳名は残されたのです。
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【参考文献】
『武田氏家臣団人名事典』(→amazon)
歴史読本『甲斐の虎 信玄と武田一族』(→amazon)
他







