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尼子再興の悲願を抱いた鹿介が
豊臣日秀吉は上月城へ。
客将として秀吉軍に加わっていた山中幸盛(山中鹿介)を入れました。
この鹿介は、戦国ファンにとって非常に著名な武将であり、
「毛利氏に滅ぼされていた尼子氏の旧臣で、お家再興のために奔走していた」
として知られます。
鹿介からすれば、秀吉や織田家は”敵の敵なので味方”という状況だったのですね。
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こうして秀吉は福岡野の城でも250人ほどを討ち取り、見事に播磨を傘下に収めました。
信長は12月3日に京都から安土に帰還したとあるので、この報告を京都で聞いたと思われます。
この年の夏、能登七尾城救援の途中で秀吉は勝手に引き上げるという失態を犯していましたが、この働きで帳消し同然になりました。
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次回、少しだけこの件に関する信長の感情がうかがえます。
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長月 七紀・記
【参考】
国史大辞典
太田 牛一・中川 太古『現代語訳 信長公記 (新人物文庫)』(→amazon)
日本史史料研究会編『信長研究の最前線 (歴史新書y 49)』(→amazon)
谷口克広『織田信長合戦全録―桶狭間から本能寺まで (中公新書)』(→amazon)
谷口克広『信長と消えた家臣たち』(→amazon)
谷口克広『織田信長家臣人名辞典』(→amazon)
峰岸 純夫・片桐 昭彦『戦国武将合戦事典』(→amazon)