黒田官兵衛(左)と竹中半兵衛(右)/wikipediaより引用

豊臣家 信長公記

両兵衛(官兵衛と半兵衛)が謀将・直家と対決! あの鹿介も……信長公記155話

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尼子再興の悲願を抱いた鹿介が

豊臣日秀吉は上月城へ。

客将として秀吉軍に加わっていた山中幸盛(山中鹿介)を入れました。

この鹿介は、戦国ファンにとって非常に著名な武将であり、

「毛利氏に滅ぼされていた尼子氏の旧臣で、お家再興のために奔走していた」

として知られます。

鹿介からすれば、秀吉や織田家は”敵の敵なので味方”という状況だったのですね。

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こうして秀吉は福岡野の城でも250人ほどを討ち取り、見事に播磨を傘下に収めました。

信長は12月3日に京都から安土に帰還したとあるので、この報告を京都で聞いたと思われます。

この年の夏、能登七尾城救援の途中で秀吉は勝手に引き上げるという失態を犯していましたが、この働きで帳消し同然になりました。

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次回、少しだけこの件に関する信長の感情がうかがえます。


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長月 七紀・記

【参考】
国史大辞典
太田 牛一・中川 太古『現代語訳 信長公記 (新人物文庫)』(→amazon
日本史史料研究会編『信長研究の最前線 (歴史新書y 49)』(→amazon
谷口克広『織田信長合戦全録―桶狭間から本能寺まで (中公新書)』(→amazon
谷口克広『信長と消えた家臣たち』(→amazon
谷口克広『織田信長家臣人名辞典』(→amazon
峰岸 純夫・片桐 昭彦『戦国武将合戦事典』(→amazon

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長月七紀

2013年から歴史ライターとして活動中。 好きな時代は平安~江戸。 「とりあえずざっくりから始めよう」がモットーのゆるライターです。 武将ジャパンでは『その日、歴史が動いた』『日本史オモシロ参考書』『信長公記』などを担当。 最近は「地味な歴史人ほど現代人の参考になるのでは?」と思いながらネタを発掘しています。

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