天正五年(1577年)11月13日。
織田信長は上洛し、二条御新造(二条新御所)に宿泊しました。
この御所は、本能寺の変で織田信忠が立て籠もって最終的に自害する場所であり、そもそも信長が建てたものです。
今回の上洛は政治的な要素は薄く、鷹狩をやるため――だけでなく別の目的がありました。
皇居へ参上して、正親町天皇に鷹を披露したかったようなのです。
しかも、最後は意外な展開となり、「信長さん、なんか可愛い」と言ってしまいたくなるお話となっています。
行列を作って皇居へ
11月18日、信長は鷹狩装束に自ら鷹を据え、行列を作って皇居へ向かいました。
お供の人々も思い思いの服装や頭巾などで興を添え、狩杖(かりづえ・鳥を追うための杖)にまで金銀を貼ってあったといいます。
一番手はお弓衆百人。
虎の皮の靭(うつぼ・矢を入れて背負う入れ物)を身に着けていました。
二番手はお年寄衆と鷹十四羽。
「年寄」というのは文字通りの老人ではなく、重臣という意味の方です。
信長も自ら鷹を据え、前後にお小姓衆とお馬廻衆を従えていたとか。
立派な行列ぶりに、京都の貴賤男女がこぞって見物していたそうです。
信長のやることなすことに見物人が集まるのは、これ以前の上洛や工事などで既に恒例化していましたので、今回の参内でもわざわざ派手な行列にしたのでしょう。
正親町天皇に自慢の鷹を御覧いただく
信長一行は日華門から内裏へ。
信長は小御所までお馬廻衆を連れて入ることを許されました。お弓衆には折り箱が配られたといいます。
日華門というのは、皇居の門の一つです。
この時代の「皇居」は平安時代のものではなく、現在の京都御所が設けられている場所だと思われます。
室町時代初期にそれまでの内裏が火災等で使えなくなったため、かつて代々の天皇が里内裏(さとだいり)として用いていた”土御門東洞院殿(つちみかどひがしのとういんどの)”という建物を新たな皇居として使い始めたのが始まりです。
里内裏とは、皇居で火事などがあって天皇の生活に差し障りがあった際に使用する仮住まいこと。仮住まいとはいえ天皇が生活する場所ですから、それなりの造りをしています。
実は土御門東洞院殿も応永八年(1401年)の火災で焼けてしまっておりました。
これを直したのが室町幕府の三代将軍・足利義満です。
「これでは人臣の家と変わらず、お上の住まいにはふさわしくない」
として平安時代の皇居に近づける大工事をしたのです。
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さすがに平安時代をそのまま復元とまではいきませんでしたが、儀式場である紫宸殿(ししんでん)、天皇の住まいである清涼殿、庭園などは作られています。
信長が通った日華門は、土御門東洞院殿の外周にある築地塀を越えた先、皇居本体にあたる建物の東側にある門です。
日華門から北へ向かい、小御所(こごしょ)という建物に入って正親町天皇へ鷹をご覧に入れました。
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小御所というのは会議場などに使われた場所で、室町幕府の頃は将軍が参内する時の休息所などにも用いられたことがあります。
儀式以外で使う多目的室のようなイメージでしょうか。
飛び去ってしまった信長の鷹、見つけた者は……
天皇に拝謁した後、信長は退出。
そのまま東山へ向かい、鷹狩りをしたのですが……運悪く大雪になったため、すぐに取りやめとなったようです。
天候の悪化に動揺したのか。
鷹が一羽、大和の方へ飛び去ってしまいました。
信長秘蔵の鷹だったので、手分けして探したそうですが、すぐには見つからず……。
翌日、大和の越智玄蕃(おちげんぱ)という者がこの鷹を見つけて信長の元へ連れてきたといいます。
信長は大変喜び、褒美として衣服とぶち毛の馬を与え、さらにこう言いました。
「何か望みがあれば叶えよう」
「領地を没収されてしまって、収入がなく困っています」
すかさず玄蕃が答えると、信長は彼の旧領を返還させ、朱印状をつけて後のことを保証しています。
よほどその鷹が大事だったのでしょうね。
思わず嬉しくて小躍りする信長さんの様子を妄想してしまいますが、為政者としては「正直で忠実な者には、このように良い待遇をするぞ」という、周囲や世間へのアピールだったのかもしれません。
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【参考】
国史大辞典
太田 牛一・中川 太古『現代語訳 信長公記 (新人物文庫)』(→amazon)
日本史史料研究会編『信長研究の最前線 (歴史新書y 49)』(→amazon)
谷口克広『織田信長合戦全録―桶狭間から本能寺まで (中公新書)』(→amazon)
谷口克広『信長と消えた家臣たち』(→amazon)
谷口克広『織田信長家臣人名辞典』(→amazon)
峰岸 純夫・片桐 昭彦『戦国武将合戦事典』(→amazon)






