こちらは2ページ目になります。
1ページ目から読む場合は
【天皇に鷹を披露】
をクリックお願いします。
日華門から北へ向かい、小御所(こごしょ)という建物に入って正親町天皇へ鷹をご覧に入れました。
戦国時代を生き抜いた正親町天皇~信長や光秀とどんな関係だった?
続きを見る
小御所というのは会議場などに使われた場所で、室町幕府の頃は将軍が参内する時の休息所などにも用いられたことがあります。
儀式以外で使う多目的室のようなイメージでしょうか。
お好きな項目に飛べる目次
お好きな項目に飛べる目次
飛び去ってしまった信長の鷹、見つけた者は……
天皇に拝謁した後、信長は退出。
そのまま東山へ向かい、鷹狩りをしたのですが……運悪く大雪になったため、すぐに取りやめとなったようです。
天候の悪化に動揺したのか。
鷹が一羽、大和の方へ飛び去ってしまいました。
信長秘蔵の鷹だったので、手分けして探したそうですが、すぐには見つからず……。
翌日、大和の越智玄蕃(おちげんぱ)という者がこの鷹を見つけて信長の元へ連れてきたといいます。
信長は大変喜び、褒美として衣服とぶち毛の馬を与え、さらにこう言いました。
「何か望みがあれば叶えよう」
「領地を没収されてしまって、収入がなく困っています」
すかさず玄蕃が答えると、信長は彼の旧領を返還させ、朱印状をつけて後のことを保証しています。
よほどその鷹が大事だったのでしょうね。
思わず嬉しくて小躍りする信長さんの様子を妄想してしまいますが、為政者としては「正直で忠実な者には、このように良い待遇をするぞ」という、周囲や世間へのアピールだったのかもしれません。
あわせて読みたい関連記事
織田信長の天下統一はやはりケタ違い!生誕から本能寺までの生涯49年を振り返る
続きを見る
戦国時代を生き抜いた正親町天皇~信長や光秀とどんな関係だった?
続きを見る
なぜ光秀は信長を裏切ったか? 本能寺の変における諸説検証で浮かんでくる有力説
続きを見る
信長の跡を継いだ織田信忠 なぜ本能寺の変で自害に追い込まれた? 26年の儚き生涯
続きを見る
信長も家康も世界も熱中した鷹狩の歴史~日本最古の記録は仁徳天皇時代だった
続きを見る
足利義満の剛柔使い分けた政治・外交・軍事手腕が凄い!室町幕府三代将軍の実力
続きを見る
信長さん太っ腹! 京都の屋敷で関白息子の元服式~信長公記147話
続きを見る
信長が建てた二条新御所~誠仁親王へ献上した理由とは? 信長公記135話
続きを見る
信長公記をはじめから読みたい方は→◆信長公記
長月 七紀・記
【参考】
国史大辞典
太田 牛一・中川 太古『現代語訳 信長公記 (新人物文庫)』(→amazon)
日本史史料研究会編『信長研究の最前線 (歴史新書y 49)』(→amazon)
谷口克広『織田信長合戦全録―桶狭間から本能寺まで (中公新書)』(→amazon)
谷口克広『信長と消えた家臣たち』(→amazon)
谷口克広『織田信長家臣人名辞典』(→amazon)
峰岸 純夫・片桐 昭彦『戦国武将合戦事典』(→amazon)