皇室・公家 信長公記

信長「こちらが拙者の鷹でござる」と天皇に自慢した一羽が行方不明に~信長公記154話

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天皇に鷹を披露
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日華門から北へ向かい、小御所(こごしょ)という建物に入って正親町天皇へ鷹をご覧に入れました。

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小御所というのは会議場などに使われた場所で、室町幕府の頃は将軍が参内する時の休息所などにも用いられたことがあります。

儀式以外で使う多目的室のようなイメージでしょうか。

 


飛び去ってしまった信長の鷹、見つけた者は……

天皇に拝謁した後、信長は退出。

そのまま東山へ向かい、鷹狩りをしたのですが……運悪く大雪になったため、すぐに取りやめとなったようです。

天候の悪化に動揺したのか。
鷹が一羽、大和の方へ飛び去ってしまいました。

信長秘蔵の鷹だったので、手分けして探したそうですが、すぐには見つからず……。

翌日、大和の越智玄蕃(おちげんぱ)という者がこの鷹を見つけて信長の元へ連れてきたといいます。

信長は大変喜び、褒美として衣服とぶち毛の馬を与え、さらにこう言いました。

「何か望みがあれば叶えよう」

「領地を没収されてしまって、収入がなく困っています」

すかさず玄蕃が答えると、信長は彼の旧領を返還させ、朱印状をつけて後のことを保証しています。

よほどその鷹が大事だったのでしょうね。

思わず嬉しくて小躍りする信長さんの様子を妄想してしまいますが、為政者としては「正直で忠実な者には、このように良い待遇をするぞ」という、周囲や世間へのアピールだったのかもしれません。


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長月 七紀・記

【参考】
国史大辞典
太田 牛一・中川 太古『現代語訳 信長公記 (新人物文庫)』(→amazon
日本史史料研究会編『信長研究の最前線 (歴史新書y 49)』(→amazon
谷口克広『織田信長合戦全録―桶狭間から本能寺まで (中公新書)』(→amazon
谷口克広『信長と消えた家臣たち』(→amazon
谷口克広『織田信長家臣人名辞典』(→amazon
峰岸 純夫・片桐 昭彦『戦国武将合戦事典』(→amazon

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長月七紀

2013年から歴史ライターとして活動中。 好きな時代は平安~江戸。 「とりあえずざっくりから始めよう」がモットーのゆるライターです。 武将ジャパンでは『その日、歴史が動いた』『日本史オモシロ参考書』『信長公記』などを担当。 最近は「地味な歴史人ほど現代人の参考になるのでは?」と思いながらネタを発掘しています。

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