まんが戦国ブギウギ

豊臣vs徳川のキッカケは織田だった! まんが戦国ブギウギ82話

天正十年(1582年)に本能寺の変が勃発。

本能寺の変
なぜ光秀は信長を裏切ったか「本能寺の変」諸説検証で浮かぶ有力説は

続きを見る

その後【山崎の戦い】で明智光秀を破り、清須会議では三法師(後に織田秀信)を神輿に担ぎ、さらには柴田勝家との【賤ヶ岳の戦い】にも快勝した――。

破竹の勢いの豊臣秀吉にとって目障りだったのが徳川家康である。

【甲州征伐】や【天正壬午の乱】を経て、旧武田家の人材や所領を得た徳川。

かつてないほどに戦力は充実しており、石高では秀吉に遅れを取るものの気力では決して負けないものがあり……。

天正壬午の乱
天正壬午の乱で徳川・上杉・北条が真田を交えて大バトル!勝者は誰?

続きを見る

今、秀吉vs家康が始まる。

 

お好きな項目に飛べる目次

お好きな項目に飛べる目次


天正の石直し

石田三成を評して「ソロバンに強い」ということがよく囁かれますよね。

数字に強いということは、検地だけでなく兵站にも向いている――ゆえに【鳥取の飢え殺し】でも【三木の干し殺し】でも自軍の兵糧を確保しながら、敵を追い込むことができたわけで。

仕事だけ見れば評価されるのも納得です。しかし、人心とはまた別の問題でもあり……。

石田三成
石田三成・日本史随一の嫌われ者を再評価~豊臣を支えた41年の生涯

続きを見る

鳥取の渇え殺し三木の干し殺し
鳥取の渇え殺しと三木の干し殺しで人肉の恐怖~人は飢えると獣になる

続きを見る

 


大坂城築城

◆秀吉といえば大坂城。配下の加藤清正といえば熊本城。安土城は……丹羽長秀さんが担当でしたね。

加藤清正
加藤清正ならば秀吉亡き後の豊臣を救えたか?子飼い大名49年の生涯

続きを見る

丹羽長秀
信長に友と呼ばれた織田家の重臣・丹羽長秀 その生涯51年まとめ

続きを見る

織田・豊臣ゆかりの武将には築城名人が多いですが、とにかく石垣で有名なのが藤堂高虎さんでしょう。

藤堂高虎
戦国の転職王・藤堂高虎~七度主君を替えながら家康に信頼された理由

続きを見る

伊賀上野城の石垣は、高さなんと約30メートル!

城を見上げた瞬間、攻める気が失せたでしょうなぁ。
※続きは【次のページへ】をclick!


次のページへ >



-まんが戦国ブギウギ

×