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【吉野の花見】
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名前は一発で暗記できるが受験には出ない【小野老】
奈良に都があった頃の人も、もちろん桜の歌を詠んでいます。
青丹よし 奈良の都は 咲く花の におうがごとく 今さかりなり
【意訳】今の奈良は、桜の花のように美しく栄えています
小野老(おののおゆ)という、聖武天皇の時代の人が詠んだ歌です。
大宰府のお役人なのですが、スゴイ名前なので一度見たら忘れられないでしょう。
「青丹よし」は奈良の枕詞で、青丹という顔料の素材となる石が奈良でよく採れたことから来ているそうです。
当時、聖武天皇に初めて皇子が誕生したので、都全体が祝賀ムードになっているのを大宰府で話のタネにしたとき詠んだのだとか。
残念なことにその皇子は翌年亡くなってしまったため、女帝である孝謙天皇が位に就いたのですが、まあそれは別の話ですね。
吉野山に庵のあった西行も数多の名句を
時代が前後しますが、桜と和歌といえば西行もかかせません。
もちろん吉野山のことも詠んでいます。
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たくさんあるのですが、ここでは二つだけご紹介しましょう。
なにとなく 春になりぬと 聞く日より 心にかかる み吉野の山
【意訳】春になったようだと聞いてから、吉野山のことが気になって仕方がない
吉野山 さくらが枝に 雪ちりて 花おそげなる 年にもあるかな
【意訳】吉野山の桜の枝に雪が降っているので、今年は春が遅くなるようだ
西行は吉野山に庵を結んでいたこともあるので、特に後者の歌は”花見のために来た”というよりは毎年のこととして捉えている感がありますね。
亡くなる直前に詠んだ「願わくは」の歌も、もしかしたら吉野山をイメージして詠んだのかもしれません。
現代では忙しすぎて山々へ花見をしに行くというのは難しいです。
道路や川沿いの桜並木をじっくり眺める程度の余裕は欲しいものですね。
案外、そのほうが公園や観光地より静かに楽しめるかも?
なお、吉野山の桜情報は、吉野町のHPに掲載されますよ(2月末現在は掲載ナシ)。
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長月 七紀・記
【参考】
吉野町ホームページ
吉野山/wikipedia