秀吉の金銀

豊臣秀吉/wikipediaより引用

豊臣家

秀吉を天下人にした圧倒的な財力~巨額の金銀はどこから来たのか?

明智光秀が本能寺で織田信長を討ち。

その光秀を倒した豊臣秀吉が天下人になったことは今さら説明するまでもないでしょうが、では、その快進撃を支えたのは一体何だったのか?

「人たらし」とされる当人のキャラや「調略」に長けた弁舌能力などを脇に置き、今回考えてみたいのが財力、早い話が“カネ”です。

戦争の遂行には莫大な費用がかかる。

光秀の後は柴田勝家徳川家康と戦い、さらには四国、九州、関東、東北と次々に平定していった――大量の軍隊を動かすために必要なカネを秀吉はどう調達していたのか?

何が豊臣政権の礎となったのか?

最初に結論を申しますと、その答えの一つが“銀”となります。

戦国時代と言えば“金”というイメージが強いかもしれませんが、今回は、銀が如何にして重宝されるようになり、ひいては秀吉の天下を支えるに至ったか、その歴史を振り返ってみたいと思います。

※以下は秀吉の人たらしに注目した記事です

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日宋貿易は奥州藤原氏の砂金があってこそ

歴史を振り返ると、秀吉に限らず強い将には特徴がありました。

金銀銭などを自由にできるカネです。

大河ドラマ『鎌倉殿の13人』で田中泯さんが演じた藤原秀衡を覚えていらっしゃるでしょうか。

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秀衡は平氏に敗れた源義朝の遺児・源義経を奥州で育てたとして知られますが、それを支えた重要な経済力の源泉が“砂金”です。

なぜ砂金がさほどに重要だったのか?

当時、中国では南宋の時代に突入していました。

1126年に中国全土を支配していた宋に女真族が侵攻し、この【靖康の変】により宋は領土の北半分を失ってしまう。

結果、金銀の産出量が激減し、困り果てた南宋の救いとなったのが、平清盛が担った【日宋貿易】でした。

南宋から入ってくる書籍、仏典、陶器、文物、香木、そして宋銭は、日本にとって喉から手が出るほど欲しいお宝です。

一方で、日本から南宋へ送られた輸出品は

・アイデア勝負で褒められた扇子

・切れ味抜群の刀剣

・砂金

といったところです。

扇子は「これで扇いだら日本の風が来ちゃう!」としてウケたのですが、利益や重要性としては小さいものです。

日本の刀剣も、実は武器としてそこまで利便性が高いと言えませんでした。

南宋時代は馬上で扱える長柄武器が重要視されていて、日本刀の真の価値が再認識されるのは、時代がさらにくだった明代です。刃を溶かして再利用する用途も多かったとか。

そうした中で、最も重宝されたのが砂金でした。

産出量激減で困り果てていた南宋にとって、砂金はとにかく価値が高いもの。

元代に生きたマルコ・ポーロが『東方見聞録』に「黄金の国ジパング」と記したのも、こうした【日宋貿易】が影響しているのかもしれません。

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南宋が滅んで国が「元」に替わってからも貿易関係は続きますが、そこで大問題が起きてしまいます。

元寇】です。

手短にまとめますと、あの騒動は元が日本を攻めとる意図があったわけではなく、鎌倉幕府が使者を殺害するようなような無茶苦茶な対応をした結果、軍事衝突となってしまいました。

その後、鎌倉幕府は求心力を失い、滅亡へと続きますが、いずれにせよ日本の砂金が必要とされていたことだけは間違いありません。

 


明の海禁政策により突如貿易が禁止され

元の滅亡後は、漢族の朱元璋が「明」を築きました。

朱元璋は乱世を制した英雄であり、漢籍に詳しい日本の戦国武将にとっても憧れの対象だったようで、武田信玄も自らを朱元璋に重ねた漢詩を詠むほどです。

朱元璋の軍師とされる劉基は智謀の持ち主であり、それこそ戦国武将たちがお手本にしてもおかしくない人物。

しかし明は、日本にとってトンデモナイ政策をやらかしました。

【海禁】です。

平清盛に始まり、連綿と続いてきた貿易を、突如、明側が「やめるわ」と言い出したのです。

そりゃないぜ!

日本側としては困惑すると同時に、明側にも「いや、日本こそわけわからん」と渋る理由がありました。

「あんたら、国の交渉窓口は朝廷なの? それとも武士なの?」

日本史に慣れ親しんでいる我々からすれば当たり前の並立も、外国から見たら意味不明となるのも無理はないでしょう。

鎌倉時代からその錯綜は始まり、しかも明朝の草創期は日本の南北朝時代が重なっています。

日本人ですら混乱している状況に朱元璋も苛立ったのか、日本に対して厳しい態度で臨んだのです。

そんな時代を経て、ようやく室町幕府が安定。

日本代表者として挙手し、合法の貿易を始めたのが室町幕府3代将軍・足利義満でした。

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朱元璋の子である朱棣(しゅてい)は、甥にあたる建文帝を打倒して皇帝に即位し、永楽帝となりました(【靖難の変】)。

新皇帝は、建文帝に忠誠を誓う家臣を大量に粛清しながら、自らの大義名分をどうするか悩んでいた、そのときです。

あの何かとめんどくさい日本から足利義満の使者が到着します。

彼らは永楽帝を皇帝と讃え、丁寧に交渉を申し出ると、絶好のタイミングだった永楽帝は大喜び。

室町幕府からは【遣明使】も派遣されるようになり、日明関係は最高潮に達します。

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こうした蜜月関係は、室町幕府の混乱もあって程なくして終わりを迎えますが、そんな政治的状況を抜きにして日明共に貿易を続ける理由がありました。

【銀】です。

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