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【能楽】自ら楽しんだ最先端エンタメ
戦国武将と「能」といえば?
真っ先に思い浮かべるのは織田信長でしょう。
人間五十年 下天の内をくらぶれば 夢幻の如くなり――
と、謳われながら舞う『敦盛』は、マンガや映像作品でも定番のシーンであり、信長のクライマックスとして欠かせないものです。
しかし、こと「能楽へ与えた影響」という視点で見れば、秀吉のほうが大きいかもしれません。
なぜなら秀吉は、能を個人的に楽しむだけでなく、スポンサーや制度を整え、社会的地位の向上にも貢献したのです。
単なる善意だけでなく、そこには“天下人”としてのアピールも多分にあったでしょう。
能が生まれた地とも言える大和国を支配すると、能楽の大和四座(金春・金剛・宝生・観世)に扶持米を与えて庇護しました。
かくして、戦乱の世で衰退していた能は息を吹き返し、秀吉自身も特に「金春流」を熱心だったと伝わります。
朝鮮出兵の際は、本陣の名護屋でも能楽を開催したほど。
秀吉は
・衣装や能面を豪華にする
・巨大な能舞台を大坂城におく
といった取組を進めただけでなく、自身の人生を能にした『豊公能』まで作らせたというのですから超本気!
現代で言えばテレビや舞台のプロデューサーってところでしょうか。
こうした権力者による娯楽愛好は、中世から近世への移り変わりにおいて、世界史でも大きな役割を果たしています。
例えばイングランド。織田信長と同年代のエリザベス1世の大々的な後援を受け、シェイクスピアがイギリス定番の演劇となりました。
フランスの太陽王ことルイ14世は、自らバレエの舞台に立って踊る王。
清朝の歴代皇帝は京劇を愛し、脚本を書き、舞台に立ったこともあるとか。
一方の日本では、豊臣から徳川への政権移譲により、この流れに断絶が生じます。
家康も秀忠も能を好んだことは確かですが、それよりも庶民の間では阿国から始まる歌舞伎が急速に広まりました。
奈良が中心地である西の能楽は伝統の中にとどまり、江戸の歌舞伎は時代と共に発展。
現代においても『刀剣乱舞』や『鬼滅の刃』は歌舞伎になりますが、能楽ではそう簡単にはいきません。
もしも秀吉が歌舞伎にハマっていたらどうなっていたか?
当時からとんでもなく派手なことになっていた可能性は十分にありえますね。
中国では消えたが日本では残っていた
明治時代に入り、清からやってきた留学生は、来日と同時に様々なことに驚きました。
「本国ではとっくに消えたものが、日本で残っているではないか!」
と、驚きながら本国へ報告した文物が数多あり、例えばその一つ『水滸伝』に注目してみましょう。
本国では、金聖嘆が後半を打ち切ったバージョンにより上書きされた状況であり、
「俺たちの戦いはまだまだ続く!」
というのが終わり方だと思っていたら、本来のバッドエンドバージョンが日本で見つかったのです。
馮夢竜の『白蛇伝』も、後世、他の作家による改訂版が流通していたため、本国では原本が失われていました。
それが日本で発見されています。
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実は現在でも同様の現象は見られます。
例えば下駄――昔は中国でも日本でもごく当たり前に履いていましたが、いつしか靴にとって代わられ、消えていった。
それが日本では今でも夏祭りや花火大会となれば浴衣に下駄を履いた人々が現れ、その姿を見た中国人が「なんでこんないいものをなくしてしまったんだよ!」と嘆く人も少なくないとか。
抹茶もそうです。
飲むだけでなく、料理やお菓子にも使えるのに、なぜ、こんな良いものが中国では無くなってしまったのか。復活させるべきではないか、という声も高まっています。
◆ 抹茶ブームが日本から中国に逆輸入 茶の湯文化の復活もなるか(→link)
日本に抹茶を本格的に伝え、なんとかしてチャノキを持ち込んだのが、鎌倉時代の栄西でしたが、
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では、なぜ中国では抹茶が廃れたのか?
これには諸説ありますが、元から明へ王朝が交代した際、初代皇帝の太祖洪武帝朱元璋が禁じたことが大きいとされています。
庶民から皇帝にまで成り上がった朱元璋は、その出生から豊臣秀吉と比較されることも多い。
サモ・ハン・キンポーが朱元璋を演じた映画の邦題は『デブゴン太閤記』でした。デブゴンとはふくよかな肉体のドラゴン、カンフーの達人という意味です。
そんな朱元璋は、インテリ知識人、モンゴル風の風習、グローバル化、贅沢といった風潮がともかく嫌いで、抹茶禁止令にもそんな彼の意向が反映されたのでは?と指摘されています。
「抹茶は金粉を入れたりして、わけわからん高級志向があるからけしからん!」
「抹茶はラテっていうの? 牛乳に入れて飲むやり方あるでしょ。そういう漢族っぽくない飲み方をするからダメ、気に入らんわ!」
チャラついたトレンドを嫌う頭の固いおじさん思考という感じですが、皇帝ですから誰も反論できません。
結局、朱元璋の後の時代は、飲み方を進歩させながら、茶葉はどんどん高級化してゆきました。
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