平安時代の手紙

画像はイメージです(源氏物語絵巻/wikipediaより引用)

飛鳥・奈良・平安 光る君へ

平安時代の手紙は男女を結ぶ超重要アイテム~それが他の誰かに読まれるのは普通のこと?

大河ドラマ『光る君へ』を見ていて、文(ふみ・手紙)が貴族にとって非常に重要なアイテムだということは皆さんお気づきでしょう。

なんせ、一生を左右する結婚相手は、全てそこから始まる。

一方で、不思議なこともある。

ドラマの第13回放送で藤原定子が兄・伊周の文を盗み見するだけでなく家族の前でさらけだしたかと思えば、母の貴子は「読んでみたい」と平気で言うし、父の道隆もさほど怒っていない。

いったいあれは何なのか?

思えば源倫子も夫の文を勝手に持ち出し、まひろに見せていましたが、平安貴族にとってそれって普通のことなんでしょうか。

おそらく視聴者の皆さんも、心のどこかで引っかかっていたはず。

一連の行動を考察してみましょう。

 


文はセンスが問われるモノ

劇中の藤原定子は、兄・藤原伊周の恋文は「ときめかない」とからかうように言っていました。

ここで考えたいのが、平安当時のトキメキレターの条件。

以下、具体的に見てまいりましょう。

◆紙

今も昔も変わらず、まず紙や筆跡がポイントとなります。さまざまな色の紙があり、その時点で個性がわかる。

『光る君へ』第3回では、貴公子たちがもらった恋文を見せ合い、自慢していました。カラフルな紙の質から個性が見てとれたものです。

なぜなら当時の紙は高級品――贈るほうは、それはもう気合を入れて準備しているはず。

仮に、TPOに外れた色合いのものを選ぶと、この時点でマイナスです。

源氏物語』でもわざわざ紙の色や質感まで記述がありますが、送り主のセンスが問われるだけに必然のことでありました。

『光る君へ』は平安時代からの技術を伝える、日本最高峰の製紙技術による和紙が出てきます。

目を凝らして、その美を味わい、平安貴族気分を堪能するのが良いと思います。

◆筆跡

次に重視されるのはなんといっても筆跡です。

流れるように美しいかな文字は、胸がキュンとするもの。ドラマでも書を教えるシーンがある、能書家の藤原行成には、筆跡目当ての恋文が大量に届いたとか。

雑な筆跡だと「どうせその程度の思いなんでしょう」と疑念を抱かれかねないので必死です。

悪筆で悪名高い藤原道長は、この時点でマイナスポイントがつきかねないのでした。

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◆和歌

何といっても和歌は恋心を伝える最適な文章。

朝廷での出世を左右するものではありませんが、清原元輔のような名人は代作を頼まれることもありました。

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綺麗な紙に、さらさらと、卓越した筆跡で和歌を書きつける――これぞ平安貴族の優美さ。

定子はからかうように「兄の文にはトキメキを感じない」と言っていましたが、伊周は当代随一の才能あふれる貴公子です。

恋文をもらっただけで気が遠くなりそうなほどうっとりする女性は大勢いたことでしょう。

 


ときめかない恋文の例

思えば最初の文から何か引っかかっていた――そんな悔恨が記録に残った人もいます。

藤原兼家です。

美女と名高い藤原道綱母藤原寧子)が年頃となると、兼家が求婚してきました。

といっても、彼女の父・藤原倫寧に冗談とも本気ともつかぬ様子でそれとなく伝えてきた。

藤原倫寧は身分が釣り合わないと困惑するものの、兼家はお構いなし。馬に乗った使者がやってきて、門を叩き始めました。

うるさい!

そう困惑しつつ受け取った後、兼家の恋文にがっかりした様子が『蜻蛉日記』に残されています。御曹司からの恋文だけに大騒ぎしながら受け取りはしましたが、残念なものでした。

がっかりポイントをまとめましょう。

・手紙の届け方が強引! 馬に乗った従者が家の門をしつこく叩いてなんなの? ドン引き……

・紙質がイマイチなんだけど、これで求婚するつもり?

・筆跡も兼家とは思えないほど汚い……

・なんだか和歌も厚かましい

その厚かましい和歌とは?

以下のものです。

音にのみ 聞けば悲しな ほととぎす こと語らはむと 思ふ心あり

【意訳】素敵な人だと噂だけでは寂しいものですよ、かわいいホトトギスさん! お目にかかってお話したいなぁ。

確かにちょっと気持ち悪いですね。

道綱母本人は困惑したものの、相手は貴公子です。身分をちらつかせつつの強引なアプローチであり、母が「返事をしなさい」とせっつくものだから、やむなく返すしかありません。

貴公子に求愛されてまんざらでもないようで、でも、なんだか引っ掛かる――そんな女性心理が見事に出ています。

その後も兼家はしつこくしつこくアプローチを続けます。

道綱母は平安時代の女性らしく、そっけなくつれない、毎回返事をしたためないような態度をとる。ますます燃え上がる兼家。そして二人は結ばれたのでした。

道綱母は兼家に複雑な感情を書いているようで、愛され自慢もあるのが『蜻蛉日記』です。

このイマイチときめかない恋文も、敢えて不幸アピールしている意図もあるのかもしれません。あるいは家柄以外はハイスペックだという自負があったのに、理想と異なる現実にガッカリしたのか。なかなか読み応えのある日記です。

一連の記述に当時の価値観がよくわかります。

紙の筆もいまひとつで字が汚い。そんな恋文は、もらった相手もがっかりしてしまうのです。

これをわざわざ日記に書き残し、世間に向けて流布される道綱母にも、普遍的な心理を感じますよね。

現代ならばSNSにおける「痛いLINE晒し」のようなものでしょうか。

さらには『光る君へ』の道長と『蜻蛉日記』の兼家を比較することで見えてくることもあります。

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