大河ドラマ『光る君へ』で非常に重要な役割を果たしていたのが文(ふみ・手紙)。
なんせ、一生を左右する結婚相手も全てはそこから始まるわけですが、一方で、ドラマの中では不思議なこともありました。
藤原定子が兄・藤原伊周の文を盗み見するだけでなく家族の前でさらけだしたかと思えば、母の貴子は「読んでみたい」と平気で言うし、父の道隆も怒るような素振りはなかった。
あの状況はいったい何だったのか?
思えば源倫子も夫の文を勝手に持ち出し、まひろに見せていましたが、平安貴族にとってそれは普通のことだったのか。
平安時代の“文”の役割をあらためて考察してみましょう。
文はセンスが問われるモノ
劇中の藤原定子は、兄・藤原伊周の恋文は「ときめかない」とからかうように言っていました。
ここで考えたいのが、平安当時のトキメキレターの条件です。
どんな手紙ならば相手の心を動かせるのか。
以下、具体的に見てまいりましょう。
◆紙
今も昔も変わらず、まず紙や筆跡がポイントとなります。様々な色の紙があり、その時点で個性がわかる。
『光る君へ』第3回では、貴公子たちがもらった恋文を見せ合い、自慢していました。カラフルな紙の質から個性が見てとれたものです。
なぜなら当時の紙は高級品――贈るほうは、それはもう気合を入れて準備する。
仮に、TPOの外れた色合いのものを選ぶと、この時点でマイナスです。
『源氏物語』でもわざわざ紙の色や質感まで記述がありますが、送り主のセンスが問われるだけに必然のことでありました。
『光る君へ』では平安時代からの技術を伝える、日本最高峰の製紙技術による和紙が出てきました。
録画や再放送では、目を凝らしてその美を味わい、平安貴族気分を堪能するのが良いと思います。
◆筆跡
次に重視されるのはなんといっても筆跡です。
流れるように美しいかな文字は、胸がキュンとするもの。ドラマでも書を教えるシーンがある、能書家の藤原行成には、筆跡目当ての恋文が大量に届いたとか。
雑な筆跡だと「どうせその程度の思いなんでしょう」と疑念を抱かれかねないので必死です。
悪筆で悪名高い藤原道長は、この時点でマイナスポイントがつきかねないのでした。

『紫式部日記絵巻』の藤原道長/wikipediaより引用
◆和歌
何といっても和歌は恋心を伝える最適な文章。
朝廷での出世を左右するものではありませんが、清原元輔のような名人は代作を頼まれることもありました。
綺麗な紙に、さらさらと、卓越した筆跡で和歌を書きつける――これぞ平安貴族の優美さ。
定子はからかうように「兄の文にはトキメキを感じない」と言っていましたが、藤原伊周は当代随一の才能あふれる貴公子です。
恋文をもらっただけで気が遠くなりそうなほどうっとりする女性は大勢いたことでしょう。
ときめかない恋文の例
思えば最初の文から何か引っかかっていた――そんな悔恨が記録に残った人もいます。
藤原兼家です。
美女と名高い藤原道綱母(藤原寧子)が年頃となると、兼家が求婚。
といっても、彼女の父・藤原倫寧に冗談とも本気ともつかぬ様子でそれとなく伝えてきた。
藤原倫寧は身分が釣り合わないと困惑するものの、兼家はお構いなしで、馬に乗ってやってきた使者が門を叩き始めました。
うるさい!
そう困惑しつつ受け取った後、兼家の恋文にがっかりした様子が『蜻蛉日記』に残されています。

藤原兼家/wikipediaより引用
御曹司からの恋文だけに大騒ぎしながら受け取りはしましたが、残念なものでした。
がっかりポイントをまとめましょう。
・手紙の届け方が強引! 馬に乗った従者が家の門をしつこく叩いてなんなの? ドン引き……
・紙質がイマイチなんだけど、これで求婚するつもり?
・筆跡も兼家とは思えないほど汚い……
・なんだか和歌も厚かましい
その厚かましい和歌とは?
以下のものです。
音にのみ 聞けば悲しな ほととぎす こと語らはむと 思ふ心あり
【意訳】素敵な人だと噂だけでは寂しいものですよ、かわいいホトトギスさん! お目にかかってお話したいなぁ。
確かにちょっと気持ち悪いですね。
道綱母本人は困惑したものの、相手は貴公子です。身分をちらつかせつつの強引なアプローチであり、母が「返事をしなさい」とせっつくものだから、やむなく返すしかありません。
貴公子に求愛されてまんざらでもないようで、でも、なんだか引っ掛かる――そんな女性心理が見事に出ています。

浮世絵にも描かれた『蜻蛉日記』岳亭春信:画/wikipediaより引用
その後も兼家はしつこくしつこくアプローチを続けます。
道綱母は平安時代の女性らしく、そっけなくつれない、毎回返事をしたためないような態度をとる。ますます燃え上がる兼家。そして二人は結ばれたのでした。
道綱母は兼家に複雑な感情を書いているようで、愛され自慢もあるのが『蜻蛉日記』です。
このイマイチときめかない恋文も、敢えて不幸アピールしている意図もあるのかもしれません。
あるいは家柄以外はハイスペックだという自負があったのに、理想と異なる現実にガッカリしたのか。
なかなか読み応えのある日記です。
一連の記述に当時の価値観がよくわかります。
紙の筆もいまひとつで字が汚い。そんな恋文は、もらった相手もがっかりしてしまうのです。
これをわざわざ日記に書き残し、世間に向けて流布される道綱母にも、普遍的な心理を感じますよね。
現代ならばSNSにおける「痛いLINE晒し」のようなものでしょうか。
さらには『光る君へ』の道長と『蜻蛉日記』の兼家を比較することで見えてくることもあります。
従者が文を届け損ねたら?
道綱母は兼家の文そのものだけではなく、届ける作法もチェックしています。
そっとさりげなく届ければよいものを、あんなに激しく門を叩いて大騒ぎしなくてもよいでしょ!
そう苛立っていた。
文は書いた当人同士だけでなく、従者も重責を背負っています。
届け先を間違うとか。文を途中で奪われるとか。あるいは都合の悪い相手を経由するとか。大遅刻するとか。
こうしたミスがあると大変ですから、従者の選び方も大事なのです。
『光る君へ』第12回でも、まひろの弟である藤原惟規が、道長からの文を先に奪い取って読んでしまう場面がありましたよね。
乙丸や百舌彦といった従者たちも、恋を成就させるため責任重大でした。
今よりずっと危険な平安京を走り回り、文を届けた。そんな彼らにもエールを送りたいところです。

画像はイメージです(駒競行幸絵巻より)/wikipediaより引用
懸想文すらない結婚に疑念を抱く妻
『光る君へ』の第12回放送で、藤原道長と源倫子は結婚。
恋する相手と結ばれた倫子は幸せそのものであったようで、“引っ掛かりもあった”ことが第13回で明かされます。
倫子は道長から事前に恋文をもらっていません。結婚前に送るアプローチの「懸想文」が届いていないのです。
兼家の場合、道綱母の父にまずアプローチしつつ、強引にイマイチな懸想文を届けてきました。
一方で道長はそれすらない。突如、倫子の元を訪れた。『蜻蛉日記』の兼家以下と思えなくもありません。
史実の兼家以下のことを、ドラマの道長はやらかしたと言えるのです。
倫子は、案の定、穏やかなようで不満を溜め込んでいました。
『光る君へ』では、まひろが倫子に『蜻蛉日記』を貸すと言いだし、相手がやんわりと断る場面がありました。
それがもしも真剣な顔で、こんなことを言い出したらどうでしょう。
「まひろさん、『蜻蛉日記』をお持ちよね? 是非とも読んでみたいわ……」
倫子がそんなことを言い出したときは、夫に対する怒りが静かに高まっている合図でしょう。
家族の手紙を漁る平安貴族たち
さらに倫子には、怒りのマグマが溜まる契機があったと第13回で明かされます。
倫子は道長の文箱の中を探り、謎の文を見つけました。それはまひろ(紫式部)の書いたもの。貧しい家のまひろはそれでも綺麗な紙を用い、美しい筆跡で書いてありました。
もしもまひろが悪質であったり、適当な紙で書いていたら?
内容は漢詩である陶淵明『気去来辞』です。
倫子は「メモかな?」と思い、そのまま気にも留めなかったのかもしれません。
しかし、それが心に引っかかったということは、それなりに綺麗な文だったと思ったからこそ、倫子の疑念は大きくなる。
漢詩だけに殿御のものかもしれないと思いつつ、疑念を払拭できないでいるのです。
もしも、まひろの書いた漢詩が女性詩人の卓文君でもあったら、倫子も気づいてしまったかもしれず……ギリギリといったところでしょうか。
とはいえ、倫子はよりにもよってまひろにこの文を見せました。
まひろはその内容すら理解した答えを返しています。
漢詩が理解できる女なんて、綺麗な筆跡の女なんて、そうそういないでしょう。倫子のモヤモヤは晴れません。

画像はイメージです(源氏物語絵巻/wikipediaより引用)
さて、皆さんは、倫子のこの行動をどう思いますか?
むろんドラマというフィクションでの行動ということは念頭におきまして、酷いと思いませんか?
現代に例えるならば、妻が夫のスマートフォンをロック解除し、メッセージアプリを覗き見るような行為といえる。
前述したように、ドラマの前半では藤原定子が兄・伊周の恋文を探し当てて読んでいました。
つまり、家族間で文の類を見てしまうことはありえたのでしょう。
素敵な文ならば自慢したい。
当時は家族の意向抜きにしては結婚もままならない。
文は、家中の誰かに確認されるリスクがあった。
しかも、よりにもよって他の女からの文を文箱に入れておいた道長は相当迂闊です。他に隠し場所はなかったのでしょうか。
これは『蜻蛉日記』において、父・兼家もやらかしたミスだとわかります。
道綱母は文箱の底から別の女の文を見つけてしまい、絶望していました。
文が回し読みされるリスク
平安貴族にとって気の利いた文はステータスシンボルです。
あまりに素晴らしいと、家族、友人、はたまた職場中で回し読みされてしまう。
現代人からすればあまりに無神経に思われるかもしれません。
とはいえ、今だって面白いSNS投稿やメッセージはネタにされるものであり、アクセス稼ぎに利用する人もいますから似たようなものかもしれないですね。
そんなステータスシンボルとしての文と自慢といえば、清少納言と藤原行成でしょう。
和歌は苦手でも筆跡が美しい藤原行成。
文が届いて清少納言が放置できるわけもない。

藤原行成『白氏詩巻』/wikipediaより引用
定子たち周囲に見せて回り、「さすが字が美しい!」と褒められていたことでしょう。行成としても清少納言に出すのであれば、そこは織り込み済みであったと思われます。
サロンを盛り上げる華やかな要素として、美しい文も存在していた。
逆にあまりに痛い文もネタにされます。
『光る君へ』第3回でも道長と同僚たちが文をネタに喋っていました。
文を盗み、チェックすることはありなの?
『源氏物語』でも“恋文チェック”が重要な役割を果たしているシーンがあります。
光源氏は昔愛した夕顔の娘である玉鬘を引き取り、六条院に住まわせました。
筑紫に暮らし、悪質ストーカーのような求婚者の大夫監から逃げてきた玉鬘。
光源氏が頼りになる養父となって一安心かと思っていたら、どうにも雲行きが怪しくなってきます。
有力者である光源氏の娘となれば、玉鬘には求婚者が迫ってきます。
その恋文をいちいちチェックし、ダメ出しまでし始める光源氏。玉鬘もだんだんと薄気味悪くなってきます。
さらには添い寝するまで露骨なセクハラをするものだから、玉鬘はすっかり焦燥してしまう。
この「玉鬘十帖」は、玉鬘に執着する光源氏がともかく不気味です。
四十を過ぎた光源氏は親子ほど歳の差のある女三の宮を妻に迎えるも、幼さに興味を失ってしまいます。
そんな女三の宮は、柏木と密通してしまう。

画像はイメージです(『源氏物語絵巻』より/wikipediaより引用)
光源氏は自分の留守中に懐妊した女三の宮に疑念を募らせていました。そして、女三の宮に送られた柏木の恋文を見つけ、その不貞を確信するのです。
光源氏は、若い頃、父の妻である藤壺と通じ、懐妊させました。その報いか……と恐れ慄くのみならず、柏木を軽蔑します。
己の若い頃ならば、恋文を書くにせよ、当事者しかわからないように書いた。柏木は迂闊だと。
自分の方が密通をうまく隠し通せたとマウントする光源氏はどういうことなのか。
このあと、光源氏は柏木を追い詰めるような言動をし、そのせいで柏木は命を落とします。女三の宮も男児・薫を出産すると、出家してしまうのでした。
こうした文のチェック場面を見ていると、登場人物のマイナス要素に繋がっています。
玉鬘の恋文を格付けする光源氏は、気持ち悪い。
「玉鬘十帖」の光源氏は、どちらかといえば中年以降のいやらしさ、マイナス面が目立ちます。
女三の宮と柏木の関係を気づいき、柏木にきつい嫌味を言うことで死へ追い詰めたその展開は、光源氏が柏木を「睨み殺した」と言われたほど。
文を盗み読むことは確かにできます。
しかし、それを実行に移すと悪役スイッチが入ってしまうようにも思える。
文を焼き捨てず、文箱に入れっぱなしにして婿入りした道長も悪い。とはいえ、倫子も悪役への一歩を踏み出したのかもしれません。
それを踏まえた上でまひろが文を盗み読む光源氏を悪どく描くとすれば、ドラマとして盛り上がるかもしれませんね。
現代でも、夫のスマホをチェックする妻はよほどのことだと思われます。
フィクションではありがちな描写とはいえ、ある程度のハードルはある。
『源氏物語』はフィクションであることをふまえても、はしたない行為であったともみなせるのです。

画像はイメージです(源氏物語絵巻/wikipediaより引用)
役割を終えたら、文は燃やす
平安時代のモノは、現存するものが少ないとされます。
建造物でも平安京当時のものは平等院鳳凰堂ぐらいであるとされ、

藤原頼通といえば平等院鳳凰堂ですが
藤原行成ほどの伝説的な能書家ならば、さぞや数多の作品が残っているかと思えばそうでもない。
「伝藤原行成書」も含めて、限られた作品が今日まで伝えられています。
日記類は貴重であればこそ、巻数に抜けが生じつつも伝授されてきました。
平安時代の書状は、そこまで多くは残っていません。
『源氏物語』には、光源氏が紫の上の死後、書状を焼き捨てる場面があります。
思い出はあるけれども、見られては困る――そう焼き捨てていく光源氏の姿からは、自らの死を悟っているとも思えるのです。
愛が終われば愛をつないだ文も役割を終える、そんな価値観も感じさせます。
『源氏物語』の作者である紫式部の価値観も、そこにはあるでしょう。
それを踏まえて自分の文を取っておいた道長のことを、まひろはどう思うのか。
しつこい、気持ち悪い、非常識といった嫌悪感が先立つのか?
それとも、私との誓いを忘れていない、民のために政治をする思いはまだあるかもしれない、と希望を抱くのか?
倫子にせよ、まひろにせよ、道長の残した文にモヤモヤは積もりそうです。
ドラマではどう解決するのか。
道長はあの文を、いつまで燃やさず手元に置くのか。
非常に気になるところです。
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【参考文献】
高木和子『源氏物語を読む』(→amazon)
倉本一宏『紫式部と藤原道長』(→amazon)
『枕草子』(→amazon)
他





