『絵本太閤記』に弥助昌吉として登場する木下弥右衛門/wikipediaより引用

豊臣家 豊臣兄弟

秀吉と秀長~豊臣兄弟の父親は一体誰なのか?木下弥右衛門や竹阿弥など諸説あり

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日輪受胎説

「母親のお腹に太陽が入った夢を見て懐妊した」というトンデモストーリーですね。

『甫庵太閤記』などに載っているもので完全なSFであり、後付けの説でしょう。

というのも、秀吉が比叡山の神・日吉山王を復興しているためです。

「日吉山王の子だから復興したに違いない」という憶測から「秀吉の父=日吉山王」となった。

またこの説は、台湾やインド副王など、外国に対して秀吉本人が吹聴し始めたものだともされています。

当時、台湾には統一国家がなかったのでその時点で効果はありませんが、インド副王はイエズス会などキリスト教徒の繋がりも強いので、間接的にヨーロッパ諸国へアピールしたとも考えられます。

ナメられないためには先手必勝が上策とはいえ、随分と吹いたもので……あまりに突拍子もない話のため、諸外国からはかえって足元を見られそうですね。

豊臣秀吉/wikipediaより引用

 


父親不明説

一風変わって「秀吉の父親は特定不可能」とする見方もあります。

というのも、なかが若い頃に弥右衛門や竹阿弥以外の男性と子供を作っていた可能性も否定できないからです。

当時の感覚ではありうる話でしょう。

現代ならば「えっ」と思ってしまうかもしれませんが、現在とは倫理観も法律も違うので善悪の問題ではありません。

その他、秀吉の父については

・漂白民説

・鍛冶師などの職人説

・行商人説

などもあります。

いずれにせよ、

・秀吉が出世した後に父を名乗る人が現れていない(もしくは消された)

・母である“なか”が、秀吉に父のとりなしをお願いしている形跡がない

ことから、秀吉が出世する前に亡くなっていた可能性は高そうです。

早ければ長浜城主になった天正元年(1573年)あたりで呼び寄せていてもおかしくありませんし、実際、母親(なか)はこのタイミングで移り住んでいます。

ということは、

・二人とも秀吉の父が亡くなっていることを知っていたか

・そもそも誰なのか知らなかったか

のどちらかではないでしょうか。

 


豊臣秀長も父が不明?

豊臣兄弟について広く知られているのは

・秀吉の姉“とも(日秀尼)”と豊臣秀吉の父は「木下弥右衛門」

豊臣秀長と朝日姫の父は「竹阿弥」

という説でした。

しかし、秀長の生年と推測される天文九年(1540年)時点で木下弥右衛門が生存しているため、「秀長と朝日姫も弥右衛門の子ではないか」とする見方もあります。

こうなると「竹阿弥の父親説はどこから出てきたんだ?」ということになりますが、「弥右衛門が戦傷で働けなくなったので、なかは生活のためにやむなく竹阿弥と関係した」という説を唱えた方がいます。

一方で「秀長の幼名・小竹は、竹阿弥から一字とったのだろう」とする説もあり、これはこれでありそうな話ですよね。

また、逆に「秀吉が竹阿弥の子である」とする物語も存在するため、何が正しいのやら検討がつきにくい状況です。

というわけで、豊臣兄弟の父親についてはまだまだ謎が多いというのが結論。

しかし、後年に秀吉が「きょうだいです」と名乗り出てきた人について、なかに事情を聞いたところ恥ずかしがったためその者を処刑したという話もあります。

・彼らの母であるなかが父親について明言しなかった

・その理由は生活のためにやむなく複数の男性と関係していた時期があり、なかも誰が誰の父なのかわからなかった

などは事実ではないかと思われます。

こうなると、秀吉と秀長の父を解明するのはかなり難しそうですね。

もちろん、今後の研究によって明らかになる可能性もありますが、そのときは改めて注目するとしましょう。


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長月 七紀・記

【参考】
小和田哲男『豊臣秀吉 (中公新書 784)』(→amazon
菊地浩之『豊臣家臣団の系図』(→amazon
堀新/井上泰至/湯浅佳子『秀吉の虚像と実像』(→amazon
『豊臣秀長のすべて』(→amazon
柴裕之『豊臣秀長 (シリーズ・織豊大名の研究)』(→amazon

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