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【鉄砲伝来】
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白兵戦はきっつい!そりゃあ鉄砲が重用される
実際、鉄砲の登場は、戦の性格を大きく変えました。
槍や日本刀(打刀)も集団戦向きの武器ですが、これらの白兵戦用武器と違い、鉄砲は「攻撃する側にほとんど身体的損耗がない」という点が大きなメリットです。これは現代の戦争でも同じですね。
鎌倉時代以降は、大鎧(源平合戦で描かれるような鎧)より軽い胴丸・腹巻というタイプの防具が主流になりますが、それでも白兵戦での体力損耗は凄まじいものです。
特に、洋の東西を問わず「鎧」というものは案外隙間が多いので、接近戦だとその隙間や人体の急所をお互いに狙って鎬を削ることになります。
鎧の隙間を狙うこと専用の「鎧通し」と呼ばれる分厚い刃の短刀もありますし、首を取るにもそれなりの力や時間がかかります。そこを逆襲されて……なんて話もよくあります。
鉄砲の場合、とにかく的中さえすれば余計な損耗はほぼなくなります。首は後で取ればいいですし。
そのため、日本では特に「命中率が高い鉄砲」が求められ、それを作るために各地の鍛冶は腕を磨くようになりました。
これまた物騒な話ですが、質の高い鉄砲をたくさん作れれば、どこかの大名がまとめて買って良い収入になる可能性が高いので、商売の基本に基づいた行動ともいえますね。
江戸幕府の許可で「拝借鉄炮」や「預鉄炮」
どんどん精度を高めていく鉄砲。
こんなもんが広がっていったらそりゃあヤバイ。
つーことで豊臣秀吉が刀狩りを行って以降は、江戸時代を通じて鉄砲の所持規制が行われています。
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しかし、江戸時代に入った頃、猪や鹿などによる田畑への食害防止などのため、鉄砲は不可欠なものにもなっていました。
他の手段もなくはないですが、鉄砲が一番効果的かつ労力が少なかったからでしょうね。
そのため、幕府は一定の期間に限り、鉄砲を借りられる制度を設けています。
「拝借鉄炮」とか「預鉄炮」なんて呼ばれていました。
あるいは、許可の期間をとって「日切鉄炮」や「四季打鉄炮」と呼ぶこともあったようです。
ただし、鉄砲を遠距離に渡って持ち歩くことには規制がかけられています。
特に、関東への持ち込みは老中の許可が必要とされ、厳しく制限されていました。江戸だけじゃなくて関東ほぼ全域というあたりがミソですね。
ちなみに、クロスボウも実は戦国時代に入ってきていました。
しかし、射程や手入れの難易度・携帯性で弓に劣り、威力では火縄銃に劣るということで広まらなかったようです。
古代にも中国から「弩」と呼ばれていたクロスボウの一種が入ってきていましたが、これもあまり広まっていません(使っていた形跡はあるのですが)。
弓・火縄銃・クロスボウの特徴を簡単にまとめると
【弓】
熟練に時間がかかるが、手入れが比較的楽で携帯性もよく、速射性・射程距離・威力ともに申し分ない
【火縄銃】
手入れ方法や製作にやや難があり、火縄によって敵に勘付かれるおそれもあるが、破壊的な威力を持つ
【クロスボウ】
扱いやすく慣れるまでの時間が最も短く、一般人でも戦闘員になれるが、威力や携帯性で劣る
だいたいこんな感じですかね。
どれも一長一短ですが、弓のメリットの多さが日本人には好ましく思えたのでしょう。
日本で弓が特別視される理由
これは個人的な意見ですが、弓がずっと現役であり続けたのは、日本では魔除けにも使われる別格の武器だったからかもしれません。
矢をつがえずに弦を引いて音を鳴らす「鳴弦の儀」という儀式が平安時代から行われており、源氏物語にも出てきます。
現代でも、皇室や神社では鳴弦の儀をやることがありますね。
武家の末裔の方が参加していることもあるので、公開されているものは見に行ってみるのもよろしいかと。
さらに、「弓を引く」「弓馬の道」「海道一の弓取り」といった慣用句も多いですし、日本人にとって弓は「単に有用かどうか」では割り切れない文化的な密着があったのでしょう。
源為朝のように、「数人がかりで弦を張るような強弓を一人で扱える人」への憧れも影響していそうです。
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現代でも、流鏑馬や三十三間堂の通し矢など、弓を使う文化行事は他の武道と比べて多いですよね。
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奉納相撲もありますが、相撲そのものが神事ですし。
その辺の証明はかなり難しいところですが、人も武器も適材適所ということですかね。
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長月 七紀・記
【参考】
国史大辞典
鉄砲伝来/wikipedia