人取り・刈田・七尺返し

大坂の陣図屏風/wikipediaより引用

合戦・軍事

戦国時代はリアル北斗の拳ワールド~食料を奪い人身売買も日常だった

こちらは3ページ目になります。
1ページ目から読む場合は
戦国時代の人取り・刈田・七尺返し
をクリックお願いします。

 


「人取り」……雑兵たちの戦利品

ルイス・フロイスをご存知でしょうか?

戦国時代に各地の様子を『日本史』として著した宣教師であり、その中で彼は「この国では食うために戦う」そして「人さらいも頻繁に行っている」と述べております。

ルイス・フロイス
ルイス・フロイスは信長や秀吉にどんな印象を抱いていた?日本に骨を埋めた宣教師

続きを見る

フロイスの記述は大げさだ!

――として時に重要視されないこともありますが、何もこの「人取り」はフロイスの著作だけでなく国内にも数多く記録が残されていて、否定しきれない事実と目されております。

例えば名将として名高い武田信玄

武田信玄
武田信玄は本当に戦国最強の大名と言えるのか 戦歴や人物像に迫る53年の生涯

続きを見る

その功績をまとめた『甲陽軍鑑』には

「越後へ侵入して女性や児童を乱取りし連れ帰って召使(つまり奴隷)にした」

なんて表現もあり、それを恥じるどころか

「信玄公のご威光である」

「甲斐の生活が豊かなのも信玄公のお陰である」

と誇るような記述があります。

赤備えの山県昌景や、無傷の馬場信春など、輝かしい功績に目のいく武田ファンの皆様には気分の害される話かもしれません。

ただ、これには少し説明が必要で、武田家としても、人や物を奪い取る「乱取り」ばかりを行う連中を蔑視しておりました。

戦場で讃えられるのは敵の首をあげた勇猛な武者――というのは今の評価と変わりません。

しかし、その一方で、雑兵(足軽の更に下にいるような農民や民衆たち)たちがいなければ戦争も成り立たないのも事実。

彼らの行為を「褒めはしないけど、戦争で働いてくれたら、敵からは何をとってもよいよ」ということを承知していたのです。

 

むろん、これは武田家に限った話ではありません。

島津と龍造寺との戦争では「人取り」に成功した雑兵たちが、城を落とす前に「もうお腹いっぱい」とばかりに帰国してしまった――なんて例もあります。

あるいは上杉家でも、あまりに略奪行為が凄まじくてこれを禁じるお触れもだされたことがあるほどでした。

というか「人取り」「乱取り」を禁じる記録はさして珍しくもないかもしれません。

なんせ後の将軍となる徳川軍でも普通に出されていたものです。

北条との戦いで徳川家康は味方についた村への「いっさいの人取りを禁ずる」という命を出しており、その中で「奪い取った者を送り返せ」とか、人だけでなく「牛馬もとるんじゃない!」なんて趣旨で自軍へ伝えておりました。

徳川家康
徳川家康はなぜ天下人になれたのか?人質時代から荒波に揉まれた生涯75年

続きを見る

 


合戦に参加するのは雑兵たちが圧倒的に多いから

勘の良い方なら、もうピンときたかもしれません。

禁ずる――という記録がキッチリ残っているということは、その裏では「何倍もの略奪行為が行われてきた」ことの証左でもありましょう。

こうした卑劣な行為が現代であまり注目されないのは、前述のように「乱取り」が武士としては褒められた行為ではなかったこと、雑兵たちを戦場に駆り立てる「飴」であったことが原因かと思われます。

雑兵たちが行うだけで、普通の武士はカッコ悪いからやらないんすな(ただし、合戦に参加するのは雑兵たちが圧倒的に多い)。

鷹狩が大好きだった織田信長さんは「乱取」と名付けた鷹を飼っており、これまた『信長公記』にも堂々と表記されております

織田信長
織田信長の天下統一はやはりケタ違い!生誕から本能寺までの生涯49年を振り返る

続きを見る

いずれにせよ戦場での「人取り」、そして人身売買はさして珍しくもないことでした。

たとえば戦争が終わった直後の城下町では「取引所」が設置されるほどで、大河ドラマでも主人公(井伊直虎)が買いに行こうとしたなんて話しがありましたしね。

もちろん、その実態はおそろしく生々しいものです。

今も残る資料の中には、人さらいのことを指して「男女、牛馬、数知れず」だの「十五、六の童子」だの「足弱(女・子供)を百人ばかり御取り」だの、目を覆いたくなるような表現が並んだりします。

記事末の書籍『戦国合戦の舞台裏』(→amazon)や『雑兵たちの戦場』(→amazon)には驚くほど多数の事例が紹介されており、本記事の参考にさせていただきました。

より詳しい実情を知りたい方は、本書をご覧いただければと存じます。

戦国時代はエネルギーにみちあふれていて、今も私たちをひきつける力があります。

その一方でリアルに、生きることが厳しい時代でした。

現代の我々であれば、一日がかりで入力したデータがパソコンの不調で吹っ飛ぶだけでも哀しいもの。

ましてや何ヶ月も掛けて育てた稲や麦を武士たちに掠奪破壊されたら、どれほど辛いことでしょうか。

合戦の裏には民の苦難もあったことを、忘れないでいたいものです(とはいえ民たちも、敗軍の将兵に襲いかかったり、戦争前にお金を渡して戦火を免れようとしたり、あるいは雑兵として戦争に参加したり、単に弱いだけの存在でもなかったのではあります ※悲惨なことには変わりませんが)。


あわせて読みたい関連記事

戦国時代の百姓
戦国時代の百姓はしたたかで狡猾?領主を巻き込み村同士の合戦も起きていた

続きを見る

武田信玄
武田信玄は本当に戦国最強の大名と言えるのか 戦歴や人物像に迫る53年の生涯

続きを見る

北条氏康
北条氏康は信玄や謙信と渡りあった名将也~関東を制した相模の獅子 57年の生涯

続きを見る

コメントはFacebookへ

ルイス・フロイス
ルイス・フロイスは信長や秀吉にどんな印象を抱いていた?日本に骨を埋めた宣教師

続きを見る

徳川家康
徳川家康はなぜ天下人になれたのか?人質時代から荒波に揉まれた生涯75年

続きを見る

織田信長
織田信長の天下統一はやはりケタ違い!生誕から本能寺までの生涯49年を振り返る

続きを見る

文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link

【参考文献】
盛本昌広『増補新版 戦国合戦の舞台裏 (歴史新書y 63)』(→amazon
藤木久志『【新版】 雑兵たちの戦場 中世の傭兵と奴隷狩り (朝日選書(777))』(→amazon

TOPページへ


 



-合戦・軍事

×