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【鉄砲伝来】
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鉄砲鍛冶と炮術師
16世紀半ばに鉄砲が拡大したのは間違いない。
しかし、そのためには生産体制や原料確保が必須。
銃身そのものだけでなく弾や火薬を用意する技術や資源がなければどうにもなりません。
日本では、伝播の過程で工夫を凝らし、技術に磨きがかけられてゆきました。
結果、技術自慢の鉄砲鍛冶が生まれ、流派ごとに火薬調合の割合が決められ、そして鉄砲を撃つ狙撃手も育成される。
火薬の調合から発射まで伝える炮術師は、それぞれが工夫をこらして諸国を歩き、自分たちなりに工夫と拡大を重ねていくのです。
種子島久時が南浦文之に『鉄炮記』を記させたのも、こうして各地で進化を遂げる鉄砲の発祥を明確にしたいという願望もあったのではないでしょうか。
そのうち一大生産地として知られるようになったのが堺や紀州です。
寺までもが鉄砲で武装する新時代が到来し、平安時代末期に猛威を振るった僧兵は、鉄砲の武装によりさらに手強い組織となりました。
再び大河ドラマ『麒麟がくる』に注目しますと、あの作品では鉄砲伝来の史実をプロットに練り込んでいました。
主人公の光秀は、鉄砲とその鍛冶を求めて各地を歩き回ります。
その過程で、国友村の鉄砲鍛冶である伊平次と出逢う。
織田信長が、舅である斎藤道三と面会を果たすとき、帰蝶は紀州を経由して大量の鉄砲を手に入れていました。
鉄砲が大量にあるということは、多くの要素が揃ってこそ成立する。
・技術および技術者
・火薬と弾薬の確保
・鉄砲そのもの
・兵士の鍛錬
他の武器を備えるより、はるかに手間と資金がかかり、かつルートが成立していなければ実現できない。
そうした要素をこなせる証が鉄砲でした。
鉄砲の大量投入は、先見の明や将の器に収斂されがちですが、そうした単純な要素だけでなく様々なシチュエーションが絡み合ってこそ成立します。
鉄砲隊と、そうではない部隊が向き合った場合、当然ながら物量や流通ルートを確保している時点で、持っている側が勝利をおさめる蓋然性は高くなります。
それほどの転換点でした。
日本の火縄銃が持つ特徴
ナポレオン戦争の際、当のナポレオンはライフルに否定的でした。
ライフリングされた銃は弾丸を込めることが難しく、時間がかかります。しかも当たるとは限らない。
だったら命中精度より、ともかく大量に撃ったほうがいいだろう!ということを重視していたため、ライフルに否定的であったのです。
一方でイギリス陸軍は違った。
世界初のライフル兵部隊を組み、ナポレオンと対峙します。
世界初のスナイパー部隊・英軍グリーンジャケットがナポレオンを撃破する
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ナポレオンに先見の明がなかったと、簡単には片付けられません。
弾幕を張る戦法が重視されていて、これがヨーロッパ型銃兵の通常運用だっのです。
銃の性能にも由来します。
ヨーロッパ大陸や中国で主流となった形式は、狙撃精度に劣る【緩発式】であり、日本では狙撃精度の高い【瞬発式】(マラッカ式)が主流となりました。
ヨーロッパにおいて【瞬発式】は狩猟あるいは戦闘員が限られた船上で装備されていたものですが、日本ではそれがメインとなったのですね。
緩発式:引金を引く速度により調節できる。速くひけば速く、ゆっくりと引けばゆっくりと動き、火皿に点火する。暴発しにくいが、狙撃精度が劣る
瞬発式:ロック機構により、即座にアームが火皿を叩く。引き金を引く速さは関係ない。狙撃精度が高い
かくして当時の合戦は、精神性や文化というより、銃の特徴により戦術が変化。
同時代の他国と比べると、日本では狙撃精度を語る伝説が多くなりました。
というのも日本では当初、高威力と高い命中精度、そして所持していることそのものが、ステータスシンボルとなる武器だったのです。
弓矢と似たような存在と申しましょうか。
腕前を競い合うことが武士の誉。どれだけ小さな的を射抜けたか?を評価し合う。
そんな性格の武器でしたが、大量生産によって事情は変わってゆきます。
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