それが馬です。
馬には様々な用途があり、
・合戦
・移動
・スポーツ
・イベント
・贈呈品
・権威の象徴
と、物理的な使い方もさることながら、他にも武士ゆえの付き合いや見栄にも欠かせないものでした。
信長配下の者や親しい者たちを京都に揃えて行われた豪華絢爛の軍事パレード。
一番部隊から十一番部隊まで、その中には近衛前久らの公家衆や、細川氏や伊勢氏など室町幕府の幕臣衆も参加しておりました。
当然ながら、柴田勝家や明智光秀、前田利家など、お馴染みのメンツも参加しております。
一方で、馬と言えば、武田家が誇った騎馬隊などが戦場での華であり、当時から信長が恐れるほどに有名でしたが、同時代の北条家の方が騎馬数が多かった――なんて記録もあったりします。
今回は、戦国武将と馬を見て参りましょう。
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馬は高級車以上のステータスシンボル
戦国武将にとって、どんな時でも大切な馬。
現代人が愛車自慢するように、彼らは何としても人よりよい馬を手に入れたいものだと願っていました。
愛馬とは、すなわち自身を魅せるためのステータスシンボルでもあるのです。
とりわけ当時は、奥羽の馬、中でも福島県中通りの生産馬が最上とされていました。
必然的に奥羽の大名にとって、それは大切なものとなります。
馬は、中央の権力者に贈呈するため、鷹と並んで大事なもの。奥州を治めていた伊達輝宗は、信長に名馬を献上して、彼を喜ばせています。
もらった側の嬉しさたるや。
現代で喩えるならば、ランボルギーニやフェラーリなどの高級車をもらった以上の喜びかもしれません。
傅役・平手が切腹したのは馬をめぐるトラブルから!?
馬をめぐっては、心温まる贈り物だけでなく、トラブルも多々あります。
「お前の馬いいなあ。俺にくれよ」
「絶対にイヤ!」
こんなやりとりがあると、人間関係がこじれます。当たり前ですが。
著名な例では、武田信玄が父・信虎の愛馬である「鬼鹿毛」を譲ってくれと頼んで断られた話がありますね。
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あるいは、織田信長の傅り役であった平手政秀が切腹した理由は、
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そんな話もございます。
一説によると、五郎右衛門が持っている駿馬を信長が欲しがったところ、相手が悪態をついて断ったことが一因とされています。
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駿馬の恨みは、なかなかおそろしい……。
勝頼や盛信の愛馬を見てニヤニヤ?
駿馬=現代の高級車と想像すると、確かに他人に向かって「それ、チョーダイ」というのは、たしかに強引な気がします。
稀代の権力者となった織田信長さんが、茶器と並んで駿馬のコレクターでもあります。
大名から贈呈されるだけでは飽き足らず、合戦で打ち倒した敵の馬も手に入れました。
武田家滅亡の折、武田勝頼の愛馬大鹿毛と仁科盛信秘蔵の葦毛馬が確保されると、すぐに進上させており『信長公記』等にも記されているほどです。
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こうして信長が生涯に手に入れた馬は、三桁は越えるそうで。
全部乗りこなせたとも思えませんから、手に入れて眺めてニヤニヤしていただけの馬もいたことでしょう。
ガレージに並んだ愛車を眺めるコレクターのようですね。そして……。
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