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【戦国武将と馬】
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御馬揃えは自慢のイベント
そんな名馬コレクター信長にとって、御馬揃えはコレクションを自慢する晴れの舞台でもありました。
このとき、信長の愛馬六頭が披露されています。
・鬼葦毛
・小鹿毛
・大葦毛
・遠江鹿毛
・小雲雀
・河原毛
誰もが驚くほどの名馬は、遠くは奥羽から集めた名馬です。
観客が驚きの声を上げる様子を、信長は満足げに眺めたことでしょう。馬具も美しく素晴らしい古今の名物であり、見る者を驚かせたそうです。
現代風に言えば、高級スポーツカーを、著名なチューンナップ会社で特別仕様に仕上げたカスタムカーみたいなものでしょうか。
集めるのが好き、乗るのも大好き、馬揃えや競馬も大好き、信長さん。
そんな彼が普段から馬で野山を駆け回っていたからこそ、『戦場の高低差を意識して勝利に持ち込めたのではないか?』という「桶狭間の戦い」記事は以下の記事をご覧ください。
桶狭間の戦い 信長の勝利は必然だったのか『信長公記』にはどう書かれている?
続きを見る
戦国時代の馬は、本当にポニーサイズ?
大河ドラマ等では、サラブレッドのように見目麗しき馬に乗って騎馬武者が突撃してゆく場面が見られます。
ここでよく言われるのが、「そうはいっても戦国時代の馬はポニーみたいなものでしょ?」という話です。
確かに当時は小型の馬ではありました。
宣教師は「西洋の馬と比べて見栄えが悪い」と記録しています。
ただしこれは戦国時代の馬に限った証言ではなく、フン族やモンゴル人の馬も、ヨーロッパ人からすると「醜い」と記録されています。
西洋人からすると、馬具の形状が見慣れないもので、たてがみの整え方が異なるため、「なんだか変で醜い馬だ……」と思ってしまった可能性もあるでしょう。
醜い=小さいとは言い切れないわけです。
ちなみに現在の規定ではポニーとは体高147センチ以下のものをさします。
戦国時代の記録では、この規定ではかるとポニーではない馬もいたことになります。
たしかにヨーロッパや中東原産の馬よりは小型ですが、ポニーと一括りにはできないでしょう。
更には、小型だから必ずしも力が劣っているわけでもなく、前述したフン族やモンゴル人は、小型の馬でヨーロッパ大陸を荒らし回りました。
在来種の木曽馬が甲冑武士を乗せた状態のまま凄まじい速度で走り去る動画がツイッターでも話題になっておりました。
「蘇った騎馬武者」
普段はおっとりの木曽馬。
しかし!
本気出したらスゴい!!
甲冑を身に纏った総重量90㎏の武者を乗せて約時速40㎞で突撃!
正に侍の馬武者の鎧がバタバタしてないのに注目!
上半身が揺れないのが和式馬術特有の騎乗方法です。ドン引きの迫力ですね。#紅葉台木曽馬牧場 pic.twitter.com/vahwDkvXnO
— 甲冑装束騎乗会 (@in20876533) May 26, 2020
ヨーロッパ人から見て日本の馬は、確かに「醜い馬」「小さい馬」だったのかもしれません。
しかし、勇猛果敢で、武士たちを乗せて立派に戦ったことは確か。
その歴史を考えれば、日本刀のように、突如、ゲームなどでブームがやってきてもフシギではないでしょう。
KOEIから発売の『駿馬乱舞』――。
マジでありかもしれませんね(と思ったら『ウマ娘』が先に出てしまいましたね……)。
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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link)
【参考】
馬の博物館『平成28年度秋の特別展 信長の馬・秀吉の馬』
ほか