黄金の茶室をはじめ、豪華絢爛な大阪城に聚楽第――。
成金趣味と揶揄されがちな豊臣秀吉であるが、自ら演じ、作品を作るほどのめり込んでいた地味な伝統芸能があるのをご存知だろうか?
猿楽(能楽)である。
能楽とは、明治維新後に「猿楽」から読み方が変わったものであり、能や狂言を含む伝統芸能の総称。
起源は平安末期・鎌倉時代とされており、室町時代には観阿弥世阿弥が大成させ、その後も寺社や武士の保護を受けたりするなどして連綿と受け継がれてきた。
みなさんも、NHKなどで放映されている姿をチラリと眺めたことがおありだろう。
あの一見地味な舞台に、派手好きで知られる関白太閤が熱中し、自ら演じていたというが、一体、どのようにしてハマッていったのか。
そこには京都の信長配下たちが影響していた!?
サプライズ
◆古くから信長に仕えた譜代の家臣・村井貞勝さん。
もともと信長の政治補佐のようなポジションで、京都に入ってからは活躍の場がさらに増え、本能寺の改築だけでなく、二条城の造営や御所の修理などにも携わっておりました。
そして京都所司代にも任命されております。本能寺の変のときには、織田信忠ともからむ重要なポジションでありますが、それはまた後の回で…。
信長の嫡男・織田信忠が生き残れば織田政権は続いた?26年の儚い生涯
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猿楽見物
◆村井貞勝とセットで語られるのが松井友閑さんでしょう。
共に織田家中でも有能な高級官吏であり、茶道にも長け、豪商たちとも親交があったことで知られております。
この松井さんも本能寺の変では堺の町衆たちに事件を知らせるという重要な役割を担っておりまして。なんだか続々と材料が……。
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