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【戦国ブギウギ58話】
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犬
◆【三木城の干し殺し】と同様、秀吉と官兵衛は鳥取城に対して徹底的に「付城(見張り用の砦)」作戦を進め、水路・陸路からの補給を遮断しました。
みるみるうちに飢えていく鳥取城。親兄弟も関係なく死者の肉を漁るほどの地獄絵図になったと伝えられております。
大河ドラマで流さないワケですな。
でもね、史実は史実として伝えるべきだと思うんですよね。誰だって二度とこんな悲劇は望まないわけで……。
決着
◆援軍もままならず、死者の肉を喰らいあう惨状の中、究極まで粘った吉川経家さん。
結局、降伏の道を選ばざるを得ませんでした。
天正9年(1581年)10月。
6月の開戦から実に4ヶ月間、真夏の包囲網に耐えた精神力は驚くべきものがあります。
降伏の条件は、城兵の命と引き換えに責任者たちが切腹――。
というもので、後の清水宗治さんとソックリな状況ですが、少し事情が違ったのは、このとき信長と秀吉は吉川経家の命を救おうとしていたことでしょう。当初、切腹までは言っていなかったのです。
清水宗治が武士の鑑と称された理由~秀吉の備中高松城水攻めに対し籠城からの切腹
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ところが、経家さんは秀吉からの打診に対して首をタテにふらず、自身が責任を取るとして腹を切りました。その後、首は信長の元へ送られ、丁重に葬られたとか。
ひるがえって現代。
臭いものにフタをしてしまった結果、その中に埋もれていた美談まで腐らせてしまったとしたら、やはり国民的ドラマとしては反省すべき点ではないでしょうか。
ちなみに、経家の子孫はその後、鳥取藩池田家の家臣として江戸時代を通して現代まで残り、笑点の前司会者(桂歌丸さんの前)・五代目三遊亭圓楽さんがその血筋だったと言います。
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著者:アニィたかはし
文:五十嵐利休
書籍版『戦国ブギウギ』です!