戦国時代における忍者ほど“謎”な存在はいない。
伊賀と甲賀を筆頭にして、黒脛巾組や風魔、軒猿衆など。全国各地の大名で隠密集団が抱えられていたことは知られているが、彼らの素性はイマイチよくわかってない。
当然である。
忍者とは、そもそもスパイ活動を仕事とするワケだから、いちいち歴史(=記録)に残されているようでは失格であり、だからこそ『謎』な存在であることが有能さも表す――というややこしい話である。
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しかし、本来、隠密であるはずの忍者たちも、時代の流れには逆らえず、ある男によって表舞台へ引きずり出されることになってしまう。
1581年、織田信長による第二次天正伊賀の乱、勃発!
第二次天正伊賀の乱
◆1581年の織田信長と言えば、飛ぶ鳥も落とす勢いの存在。
伊賀の忍者は、基本的に金で各地の大名に仕えるという方式だったため、特定の大名には肩入れせず、逆に敵対もせず、ましてや織田信長を敵に回すメリットも感じてないでしょうし、また、その傘下につくこともありえなかったでしょう。
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つまり本来なら敵にも味方にもならないどっちつかずでいたかったはずなのに、いよいよ真正面から攻めこまれた直接のキッカケは、信長次男・織田信雄による【第一次天正伊賀の乱】が背景にありました。
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望月猪太郎
◆第二次天正伊賀の乱では、織田信長の次女・冬姫を嫁にしていた蒲生氏郷さんが活躍をしたと伝わっております。
蒲生賢秀の息子で元近江の武将。織田家に人質に出されていた時代、信長に能力を認められ、次女の冬姫を嫁にもらいました。
めっちゃデキる男ってワケですな。
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これは後の話ですが、蒲生氏郷の死後、未亡人となった冬姫は、自身に言い寄ってきた当代一の女好き・豊臣秀吉をピシッと断ったという話もあります。
ともあれ、伊賀攻めを任じられた蒲生氏郷は、巨漢の配下・望月猪太郎を引き連れ、深部へと進軍していくのでした。※望月伊太郎は実際にこの合戦で討ち取られたとされております
そして比自山
◆天正伊賀の乱で伊賀が拠点としていた比自山砦。
蒲生氏郷が攻め込んだときにはすでにもぬけの殻で出し抜かれるという、まさに忍者という戦いをしていた様子がうかがえます。
一方、こんな兜(黒漆塗燕尾形兜、別名、銀鯰尾兜とも)をしている氏郷さんですが、軍規や道徳などには殊のほか厳しい人格で、ちょっとした違反でお気に入りの家臣を斬ったなどという話も残っております。
しかも、そのことで本人もむちゃくちゃ苦しんでいたとか……どんだけ~!
フクチは、伊賀の武士=忍者の福地宗隆で、彼が安土城で信長に対して「自分が道案内します」と言ったことで第2次侵攻作戦が発動しました。
敵も伊賀忍者、味方も伊賀忍者というわけですね。
息子と娘婿
◆先程も少し触れましたとおり、織田信雄はかつて、わずか8千の軍勢を3つに分けて伊賀へ進軍。
重臣を失うなどフルボッコにされた経験があります。
それでも今回の第二次天正伊賀の乱では総大将に任じられました。一応のメンツを保つ機会を信長に与えられたのでしょう。
しかし実際は先陣きっていった氏郷たちの活躍があったわけで、もしも本能寺の変がなければ蒲生氏郷さんの名前は格段に広がっていた可能性もありますね。
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著者:アニィたかはし
文:五十嵐利休
書籍版『戦国ブギウギ』です!










