実はこのころ信長はまだ尾張を完全には統一できておらず、国内をまとめながら隣国・美濃への進出を準備しておりました。
当時の主要な動きをざっと見ておきますと……。
1560年桶狭間の戦い
↓
1563年小牧山城へ本拠地移転
↓
1565年尾張統一
↓
1567年美濃統一
↓
1568年上洛
1560年代の動きは割と地味な展開ながら、ここですべての【礎】ができていることがわかります。
特に凄まじかったのが美濃統一までの早さ。
上杉謙信がいたため信濃を制圧するまでに凄まじい労力を要した武田信玄と比べると顕著ですよね。国内の乱れた美濃を攻め取るのは比較的容易であり、しかもそこから上洛への道筋が開けるのですから、信長がかなり強運の持ち主であったことも確かでしょう。
地の利は何者にも勝る――というわけで信長上洛までのマンガ「日本史ブギウギ」第155話スタート!
長考モトヤス
なぜ今川義元は海道一の弓取りと呼ばれる?42歳で散った生涯とは
続きを見る
桶狭間の戦い 信長の勝利は必然だったのか『信長公記』にはどう書かれている?
続きを見る
清洲同盟
家康の伯父 水野信元は織田徳川同盟のキーマン 最期は切腹を命じられ
続きを見る
今川氏真は愚将か名将か~仇敵だった家康や信長と友好的でいた理由
続きを見る
戦国ナンバー1
刀を握ったまま斃れる壮絶な最期~足利義輝13代将軍の生涯30年まとめ
続きを見る
戦国一の美女と囁かれるお市の方(信長の妹)浅井に嫁ぎ柴田と共に滅びる波乱の生涯
続きを見る
織田家は美形の一族だったと言われ、岩村城おつやの方などもよく知られますね。
信長の叔母おつやの方は4度も結婚した薄幸の美女 最後は武田家に降り
続きを見る
信長の兄弟でも美少年ぶりがエピソードになった話もあります。
※続きは【次のページへ】をclick!