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【戦国ブギウギ59話】
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そして比自山
◆天正伊賀の乱で伊賀が拠点としていた比自山砦。
蒲生氏郷が攻め込んだときにはすでにもぬけの殻で出し抜かれるという、まさに忍者という戦いをしていた様子がうかがえます。
一方、こんな兜(黒漆塗燕尾形兜、別名、銀鯰尾兜とも)をしている氏郷さんですが、軍規や道徳などには殊のほか厳しい人格で、ちょっとした違反でお気に入りの家臣を斬ったなどという話も残っております。
しかも、そのことで本人もむちゃくちゃ苦しんでいたとか……どんだけ~!
フクチは、伊賀の武士=忍者の福地宗隆で、彼が安土城で信長に対して「自分が道案内します」と言ったことで第2次侵攻作戦が発動しました。
敵も伊賀忍者、味方も伊賀忍者というわけですね。
息子と娘婿
◆先程も少し触れましたとおり、織田信雄はかつて、わずか8千の軍勢を3つに分けて伊賀へ進軍。
重臣を失うなどフルボッコにされた経験があります。
それでも今回の第二次天正伊賀の乱では総大将に任じられました。一応のメンツを保つ機会を信長に与えられたのでしょう。
しかし実際は先陣きっていった氏郷たちの活躍があったわけで、もしも本能寺の変がなければ蒲生氏郷さんの名前は格段に広がっていた可能性もありますね。
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著者:アニィたかはし
文:五十嵐利休
書籍版『戦国ブギウギ』です!