織田信長最大の不幸は【本能寺の変】に遭ったことそのものではないでしょう。
戦国武将ですから突然死とは背中合わせなわけで、信長自身がそれを意識していなかったとは思えません。
では、何が不幸だったか?
っていえば、やはり事件同日に嫡男・織田信忠も近所にいて討たれてしまったことではないでしょうか。
信長の嫡男・織田信忠が生き残れば織田政権は続いた?26年の儚い生涯
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家を継いでいくことが最大の目的だったわけですから、織田家の家督を譲った信忠が討たれたのはあまりに惜しかった。
というか……。
信長と信忠が裸同然で京都に揃っていたから、明智光秀も突発的に犯行に及んだのでは?
そんな見方もかなり有力かとは思いますが(個人的にはそう思っていますが)、ともかく長男の信忠が亡くなれば次男へ……とならないのが戦国の世。
特に信長の次男は何かと問題ありだとされる織田信雄(のぶかつ)でした。
織田信雄(信長の次男)は本当に愚将だったのか?信長の血筋を現代へ繋げる
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信長の弟・織田信勝(のぶかつ)とは違いますので、そこを念頭に入れて、戦国ブギウギ第48話へレッツゴー!
第一次天正伊賀の乱
◆戦国時代の合戦って、意外に武将本人の意向が反映されたんですよね。
「抜け駆け」なんて言葉でわざわざ禁止されたりするぐらいですから、功を稼ぎたい人物なら、誰もがトライしていたこと。今だったら社長の命令を無視して、勝手に新商品を販売する感じでしょうか。
それだけに成功しないと、かなりリスキーなハズです。
柴田勝家を総大将として、織田軍が上杉謙信と戦った【手取川の戦い】では、豊臣秀吉が最前線から勝手に撤退。
織田軍と上杉軍が正面から激突!手取川の戦いで謙信はどこまで勝家に大勝した?
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上杉軍相手に大敗北を喫した後、秀吉は必死に働き、その分を取り戻しておりましたが……。
信雄家臣団
◆家老の柘植保重(つげやすしげ)さんが可哀相すぎる……。
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