まんが戦国ブギウギ

まんが戦国ブギウギ69話 秀吉の魔性開眼!人たらしテク魅せるころ光秀は

わずかな手勢と共に本能寺で宿泊していた織田信長

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そこへ1万の軍勢で襲いかかった明智光秀にとって最大の痛手は、信長の遺体や首を確保できなかったことであろう。

遺体は、燃え盛る本能寺と共に灰になったと目されており、当時の人々もそれで納得できたであろうが、織田家の人間にとって【事実確認の有無】は最大の感心事である。

「もしも生きていたら?」

少しでもそんな風に考えた途端、光秀に味方することは難しくなるはず……。

そんな折、中国地方で毛利軍と対峙していた羽柴秀吉(豊臣秀吉)はコトのあらましを知るや、すぐに行動を起こす。

大いなるうねりを伴い歴史は動こうとしていた。

 

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急転直下

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本能寺の変の直後、秀吉に向かって「天下を狙うチャンスですよ」と囁いたなんて逸話がありますが、実際のところ官兵衛は秀吉に恩こそあれど、信長に思い入れを持つ由来ってあまりないですよね。

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だから、こんな逸話も残されているのでしょう。

途端にスイッチが入っちゃう秀吉さんも、なかなかのキャラクターに成長してくれそうで。

 


大返し

◆毛利と和睦を済ませた秀吉は、高松城主・清水宗治切腹をさせると一気に中国大返しを進めたと言います。

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そこでいつも問題となるのが、毛利側は「本能寺の変を把握していたのかどうか?」という点。

最近の説では、毛利サイドも知っていて、豊臣秀吉に恩を売るカタチであえて追撃をしなかった――。

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なんて見方もあるのですが、はてさて。
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