両軍の争いは【小牧・長久手の戦い】に発展し、戦線が膠着したため滝川一益を引き込んだ秀吉は、蟹江城エリアで大軍による雌雄を決しようとしていた。
蟹江城合戦で一益が再浮上!しかし家康に囲まれて~まんが戦国ブギウギ89話
続きを見る
秀吉vs家康の総力戦となった「小牧・長久手の戦い」複雑な戦況をスッキリ解説
続きを見る
が、家康の電光石火の行軍により、一益のいる蟹江城は陥落。戦線はまた停滞しはじめる。
次に戦局を動かすのは誰か?
尾張の戦場に倦怠感が漂うころ……北陸では新たな衝突が起きようとしていた。
お好きな項目に飛べる目次
お好きな項目に飛べる目次
三河の愉快な仲間たち
◆三河といえば鉄の結束!
泥臭く戦い、領地恩賞は少なくても家康のために命を張る――。
そんなイメージがありますが、これって見方によっちゃ体育会系バリバリな世界ですよね。
給料悪くてもこの会社に骨を埋めます!みたいな。
もちろん井伊直政などは30万石高という大出世を遂げますが、他の三河家臣団と比べて後発組で入ったから「頑張れば恩賞を貰える」というシンボルにされていた――そんな見方もあります。
武田の赤備えを継いだ井伊直政(虎松)徳川四天王の生涯42年とは?
続きを見る
それだけに体育会系ノリについていけない人は辛くもあり……。
西三河の旗頭
◆三河で生まれた石川数正は家康の人質時代から仕えてきたと言います。
家康の右腕・石川数正はなぜ豊臣へ出奔した?どうする家康松重豊
続きを見る
姉川の戦い、三方ヶ原の戦い、長篠の戦い……と徳川家の主要な合戦にも参戦した、まさに古参中の古参。その信頼も並々ならぬものがあったハズです。
だからこそ、家康を盲信しない冷静さも持ちあわせていたのかもしれません。
徳川家臣団、ほんと不思議です。
※続きは【次のページへ】をclick!