歴史に「IF」は禁物と言いながら、つい考えてしまいたくなるのが戦国時代。
もしも立花宗茂が関ヶ原本戦に間に合っていたら?
もしも秀吉が子沢山だったら?
もしも信長が本能寺に泊まっていなかったら?
そして、当の光秀本人も強く願った「IF」がこれであろう。
「もしも細川藤孝・細川忠興親子が味方してくれたら?」
細川親子と言えば織田信長にも重宝された武家の名門一族であり、光秀の娘・明智たま(細川ガラシャ)の嫁ぎ先でもあった。
光秀が蜂起したからには、当然ながら味方に……。
そう期待していたところで起きたのが秀吉による【中国大返し】であった――マンガ「日本史ブギウギ」第169話スタートなり!
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迫る秀吉
◆結局、細川藤孝&細川忠興親子は
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剃髪して喪に服すというリアクションで済ませ、光秀からの要請を断りました。
困りきった光秀は……。
迷走光秀
◆方々で助けを求める光秀ですが……。
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ヤマザキ
◆光秀と秀吉――両軍が向かい合ったのが京都南部にある山崎でした。
大坂から来て京都の玄関口ともいうべき位置。
光秀は満足な兵を用意できず、不本意ながらも陣を構えるのでした。
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