日本は地震大国である。
東日本大震災が「千年に一度」と称される由来となった【貞観地震】は869年に三陸沖で発生。
当時の東北に壊滅的な打撃を与えたのはもとより、他にも南海トラフ巨大地震や数多の活断層地震により、全国で大きな被害が多発してきた。
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戦国時代を含めた中世も例外ではない。
例えば1498年、明応地震により発生した津波により、鎌倉大仏の大仏殿が流されたり、元は淡水湖であった浜名湖が海と繋がる汽水湖に変わったり、確実にその猛威が振るわれてきた。
そして1585年。
マグニチュード8をも上回ると推定される「天正地震」が秀吉一派に襲いかかるのであった――。
かえりくも城
◆小牧・長久手の戦いから、続いて佐々成政を含む北陸地方も制した秀吉さん。
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当初、秀吉の命でこの地を治めたのは金森長近でしたが、飛騨山中(岐阜県)の中でもとりわけ深い山奥にある帰雲城は統治のしにくい場所でした。
そのため、一時は成政について敗北した内ケ島一族を領主として戻し、その所領は安堵いたします。
それが悲劇の始まりとは、このとき知る由もなく……。
祝賀会
◆11月29日、帰雲城では一族の本領安堵を祝して宴会が開かれました。
親族から重臣などが集い、それはそれは楽しい会となったでしょう。
しかし、自然の脅威は、足音も立てずに近寄ってくるのでした……。
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