宇多天皇から、再び高まりりつつあった天皇政治(親政)の機運。
左大臣には従来どおり藤原北家の長者・時平が就任しますが、右大臣には菅原道真が配されました。
道真は、時平の父・藤原基経の時代にも、遣唐使の「任命→廃止」を巡って藤原一族の圧をはねのけた天才型政治家です。
まだ若い時平では、簡単にどうこうできないだろう――と、そんな矢先に起きたのが「昌泰の変」でした。
時平は、自らの信任厚い醍醐天皇に讒言し、道真を大宰府に左遷したのです。
しかし、その罠はブーメランとなって本人に降りかかるのであり…………。
マンガ「日本史ブギウギ」、第49話、スタート!
風紀
◆藤原時平さんは、権力者藤原TOPのイメージとは違ったオモシロエピソードが残されておりまして。
その代表的な一つが、
【衣服の乱れは心の乱れ】
作戦でしょう。
漫画の通り、自分が叱られるというお芝居で緊張感を持たせる――そんな荒業を繰り出します。
個人的には、
【オシゴト中に他人のオナラに爆笑してしまい、そのまま笑って仕事がデキなくなった】
というのも好物でして。
江戸時代には『天満宮菜種御供(てんまんぐう なたねの ごくう)』、通称『時平の七笑(しへいの しちわらい)』という歌舞伎の演目にもなりました。
江戸時代のセンス、凄いなぁ。
三谷幸喜さん、現代劇でお願いします。
失意
◆藤原南家は、藤原仲麻呂(恵美押勝)時代に権勢を奮った一族です。
その後は、大きく目立った者も現れず、北家の勢いにやられっぱなし。
しかし、藤原為憲が平将門の乱で名を挙げると武家一族に子孫が広がり、後に藤原通憲(信西) が出てきます。※保元の乱、平治の乱で目立ってそして死ぬ人
藤原清貫はその間、かなり出世した人物です。
時平にうまく取り入ったのですね。九州に飛ばされた道真の様子を報告したりしております。
人を呪わば……
◆菅原道真を九州に追いやった時平は、妹の藤原穏子を醍醐天皇の女御として入内させるなど、着実に足場を固めておりました。
この時代は後に「延喜の治」と呼ばれまして。
藤原氏一族が、さほど無茶してないよね(他の学者や一族にもチャンスあったよね)ということで、いい時代だよね、とされているんですが何だか危なそうな方もいたんすなぁ。
ほとんど名前は出てきませんが、この後、清貫は中々スゴいことになります。
祟り
◆清貫さん、こんな悪者顔して、大納言(正三位)まで昇り詰めます。
といっても藤原氏の主役はあくまで北家であって、時平が亡くなった後は、弟の忠平が藤原氏TOPになっています。
前述「延喜の治」とは、正確には時平と忠平の時代を合わせてのものになりますね。
対策会議
◆930年、平安京は雨の降らない干ばつに見舞われておりました。
そこで行われたのが雨乞い――をするかどうかの会議。
醍醐天皇が迷っておりますと、にわかに雨が降り出すのですが、スッカリ調子に乗ったのが例の清貫でして、激しくフラグ臭が湧き上がってくるのでした。
直撃!
◆雨乞いの儀式をするか否か――。
その話し合いをしようとしていると、突如、雲が真っ黒になり、閃光が走りました。
清涼殿に走った光は、藤原清貫を直撃。衣服が焼けただけでなく、胸部が裂けた状態で亡くなるという、恐ろしい死に方をしております。
失意のうちに太宰府で亡くなった菅原道真の怨霊。清涼殿落雷事件として多大なインパクトを歴史に残します。
他にも複数名の貴族、警護の者たちが犠牲となりました。
道真の怨霊は「火雷天気毒王」となって現れ、太宰府へ左遷させた醍醐天皇も呪い殺したと伝わります。
将門登場
◆あまりにショックだったのでしょう。
清涼殿落雷事件から数ヶ月で醍醐天皇は崩御され、代わりに皇子の朱雀天皇が即位しました。
ちょうどこの頃、平将門が台頭してくるのですね。
いわゆる【桓武平氏】の一族で、父・平良将(たいら の よしまさ)から実力者として知られておりました。
そして平将門の時代と言えば……。
海賊オブ瀬戸内海
◆平将門と必ずセットで語られる――それが藤原純友さんですね。
藤原北家の出。つまりは権力エリートど真ん中の一族であり、祖父が、あの藤原基経の兄・藤原遠経でした(その父は藤原長良)。
ただ、細かく見れば、嫡流から外れた流れでもあり、ここから一族のトップに成るのは至難の業でもありまして。
※次週へ続く
【過去作品はコチラから→日本史ブギウギ】
著者:アニィたかはし
武将ジャパンで新感覚の戦国武将を描いた『戦国ブギウギ』を連載。
従来の歴史マンガでは見られない角度やキャラ設定で、日本史の中に斬新すぎる空気を送り続けている。間もなく爆発予感の描き手である(編集部評)