慶長8年2月12日(1603年3月24日)は日本史にとっても徳川家にとっても大きな節目となった。
家康が伏見城で征夷大将軍の宣下を受けたのである。
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室町幕府の足利尊氏。
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公家の頂点に立つことで政権に箔をつけた豊臣秀吉とは違い、あくまで武家の棟梁としての道を選んだ家康。
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実際はこのとき内大臣にも任命されていたが、いずれにせよ将軍になった後も手を一切緩めず総仕上げに取り掛かっていく。
他でもない――大坂の陣で、マンガ「日本史ブギウギ」第181話スタート!
征夷大将軍
秀頼と千姫
◆豊臣家を継いだ豊臣秀頼と、徳川秀忠の娘・千姫を結婚させれば両家は円満であろう――。
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とは簡単にいかないのが、戦国の気風が残る江戸初期。
例えば、石田三成との確執から徳川に従っていた加藤清正や福島正則らの豊臣系有力大名もまだまだ健在でした。
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大御所
◆当初は江戸と伏見で(後に駿府で)始まった二元政治。
徳川秀忠のもとにも家康の息のかかった有力家臣団が配され、着々と江戸幕府の基礎は固められていきます。
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それでもやはり大きな方針を決めたのは家康です。次のターゲットは……。
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