ハタから見れば、鉄のような主従関係で結ばれていた徳川家康と三河軍団。
そんな彼らにも内部分裂の危機は幾度かありました。
例えば長男・松平信康の自刃事件。
かつては織田信長が徳川家の弱体化を狙い、デキる長男を排除した――なんてことも囁かれた事件ですが、最近では家康派と信康派に分かれた末の権力闘争だったのでは?なんて指摘もあります。
あるいは家中が明確に分裂した【三河一向一揆】も徳川家の危機としてよく知られておりますね。
一方であまり注目されないのが【大久保長安事件】でしょう。
時は慶長18年(1613年)。
大久保長安の台頭と死をキッカケにした粛清が行われ、ついには徳川家でもかなり大きな存在感を放っていた大久保忠隣が改易へと追い込まれます。
この忠隣排除を実行したと目されているのが本多正信・本多正純の知将親子。
徳川家の支配体制が進む最中に行われた権力闘争とは一体いかなるものだったのか?
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