ハタから見れば、鉄のような主従関係で結ばれていた徳川家康と三河軍団。
そんな彼らにも内部分裂の危機は幾度かありました。
例えば長男・松平信康の自刃事件。
かつては織田信長が徳川家の弱体化を狙い、デキる長男を排除した――なんてことも囁かれた事件ですが、最近では家康派と信康派に分かれた末の権力闘争だったのでは?なんて指摘もあります。
あるいは家中が明確に分裂した【三河一向一揆】も徳川家の危機としてよく知られておりますね。
一方であまり注目されないのが【大久保長安事件】でしょう。
時は慶長18年(1613年)。
大久保長安の台頭と死をキッカケにした粛清が行われ、ついには徳川家でもかなり大きな存在感を放っていた大久保忠隣が改易へと追い込まれます。
この忠隣排除を実行したと目されているのが本多正信・本多正純の知将親子。
徳川家の支配体制が進む最中に行われた権力闘争とは一体いかなるものだったのか?
マンガ「日本史ブギウギ」第183話スタート!
人物伝
八王子千人同心
銀山開発
一里塚
正信の暗躍
◆大久保長安事件でキーマンとなるのが本多正信さん。
家康の懐刀だった知将ですが……。
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本多正信の生涯|家康が頼りにした側近は頭脳明晰で敗者に優しい平凡武将
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事件
◆慶長18年(1613年)に大久保長安は中風(脳卒中等)の悪化で死亡しました。
彼ら大久保一派を敵視していたのが本多正信と本多正純の親子。
「幕府転覆を企てている!」と難癖をつけ、大久保一族の身辺調査に取り掛かりました。
結果、大量の金銀を発見――。
大久保長安の一族はことごとく処刑されてしまいます。
問題は、長安だけで終わらなかったことでしょう。追及の手はその上司・大久保忠隣にまで及ぶことになるのですが……。
後日譚
将棋好き
◆大久保氏は、家康にとって非常に関係の深い一族です。
その団結の強さで「大久保党」とも呼ばれ、三河時代から常に粉骨砕身、徳川のために働き続けてきました。
大久保忠隣は、そんな大久保一族で中心的存在(父は大久保忠世)。
徳川秀忠を二代目将軍に推し、江戸幕府でも重要なポジションを担っていく――そう思われた矢先に起きたのがこの【大久保長安事件】でした。
敵対する本多正信・本多正純らの手により長安一族の処分が進められ、その後は忠隣が、自らの不手際などもあり、慶長19年(1614年)1月19日、ついに改易へと追い込まれてしまいます。
要は、本多親子との権力闘争に負けたのですね。
上記マンガのように、旅館で将棋を指していたのは同年1月25日のこと。
改易に処された忠隣は、その後、近江上笠村(現草津市)や彦根で隠居生活を送ることとなりました。
彦根はご存知、井伊直政に任せられた近江の重要エリアであり、忠隣は、その息子・井伊直孝から何度も再出仕をすすめられます。
忠隣は潔白であるから名誉を取り戻すべき――。
直孝からそう言われるたびに忠隣は、こう答えたと言います。
今さら私の無実を証明しても、亡き家康の過誤を公にするだけ。
主君の恥を公言するのは臣下として不忠の極みである。
そして大久保長安事件から15年後の寛永5年(1628年)6月27日。
忠隣は、最期を迎えました。
享年76。
徳川政権樹立の功労者にしてはあまりに寂しい、されど見事な引き際だったのかもしれません。
続きは次週へ。
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著者:アニィたかはし
文:五十嵐利休
武将ジャパンで新感覚の戦国武将を描いた『戦国ブギウギ』を掲載!



















