元亀元年(1570年)11月――。
信長は、たちふさがる比叡山に困惑と怒りを感じています。
なぜ織田に刃向かうのか? その理由を、金のためだと喝破する光秀。
朝倉と浅井は、比叡山にいる。
西には三好、本願寺。
南には一向宗。
信長は包囲されていました。
勝家や信盛 反対の理由とは
近江・宇佐山城で、信長たちは評定をしています。
実に二ヶ月もの間、朝倉は山から降りず、戦おうとしない。このままでは三好や六角は背後をつかれてしまう。こういう状況は一箇所でも打ち破らねばならない。
朝倉攻めを提案すると、軍議に参加していた群臣が反対します。
柴田勝家は、地の利を理由にしました。【桶狭間の戦い】でも指摘しましたが、高所にいる敵は攻めにくい。
一方で、佐久間信盛は御仏を攻めるのは畏れ多いという。
ここに、織田家重臣の個性が見えます。
柴田勝家は実践的なタイプで、佐久間信盛は信心深い。キャストビジュアルでも示されています。
佐久間信盛って、酷い追放をされる影響で無能扱いされがちですが、今年は信長の欠点「人の気持ちを踏みにじるところを強調する役どころ」なのでしょう。
出番が毎回短めなのに、安藤政信さんも金子ノブアキさんも、両者それぞれの特色を出していてお見事です。
信長は苛立ち、また悪いところを見せる。「他に手がないのか!」と怒鳴り、ものに当たります。
ここで光秀が書状を受け取る。何か変化があったのでしょう。光秀がその知らせを聞きに向かうと、明智左馬助がおりました。
信長に報告し、光秀は比叡山に向かいます。
成立しない和睦 怒り狂う義昭
将軍義昭は、織田と朝倉の争いが終わらぬことに怒り狂っています。
放置しろと言ったのに、事態は悪化するばかり、三好や本願寺どもまで都をうろつくことになっています。
摂津晴門にそのことを問いかけても、ノラリクラリとかわされるだけ。
織田にも朝倉にも使者を出し、公方様におすがり和睦せよと提案しているとか。
「ではなぜ戦がやまぬ!」
「わかりませぬ」
「もうよい!」
シラを切る晴門に、義昭は怒るしかない。義昭は待ち受ける駒の元へ向かいます。
虫の籠を義昭に手渡しながら、駒は静かに言います。
「虫が皆死んでおります」
さらに彼女は織田と朝倉の戦がいつまで続くのか問いかけてくる。
「わからん」
無造作に虫を捨てる義昭。
何気ない場面のようで、義昭は決定的に駄目になっていると示されました。
駒への土産にするという手前勝手な理由で捉えた小さな虫が無惨に死んでしまう――そのことを惜しむわけでもなく、平気で地面に捨て去る。
それでも仏門にいた者ですか!
信心深い僧侶は、蚊の命を惜しんで蚊取り線香すら焚かないとも言います。
義昭は堕落しました。蝶を運ぶ蟻に感動していた姿はもうそこにはありません。
どんなけ好感度が高い方だろうが、アクセサリー感覚でペットショップの小型犬を飼って行ったら失望してしまう。そういう類の気持ちが湧いてきます。
駒の心中はどうでしょうか?
直言居士
義昭は駒に、どちらが勝っても死なせたくない者がおると告げます。
その一人が明智十兵衛。
駒が美濃にいたころから知っていたらしいと問いかけ、「好きであったのか?」と問いかけます。
微笑みながら認める駒。義昭にはその正直さが好ましいようです。
「わしも十兵衛を気に入っておる。十兵衛はわしがいやがることを正直に思うたま話すのじゃ。そういう者は他にはおらん。死なすのは惜しい」
義昭の本音のみならず、光秀の本質にも迫ってきました。
光秀はずっとそういう性格で、斎藤道三にもそこが気に入られていた。
気に入られるだけでもなく、斎藤高政の父殺しを非難したことで、相手から殺すと誓われたこともある。
それでも、人は気づいてしまう。
澄んだ水のような光秀と向かいあうことで、見えてくる何かがあることに。
【直言居士】という言葉もある。
「忠言 耳に逆らう」という言葉もある。
この作品のテーマだと思えます。
そうしないと人間も世の中も堕落する。甘い言葉ばかりをホイホイ言う相手に従っていたらよろしくない。そう戒めとしてきたものなのです。
義昭には、まだそう言えるだけの誠意は残されています。
虫の死骸が写される一方、その言葉には、まだ真っ直ぐなものがあるのです。
それにしても駒がここでも重要な役割を果たしていますね。
悟り切った表情をする門脇麦さんはどんどん貫禄が出てきました。
駒が義昭と繋がりを持った理由を、いまだに彼女の初恋を引っ張って「光秀のため」とするのはどうかと思います。
伊呂波太夫はそういう動機付けをされていますが、駒はちがう。だからこそむしろあっさりと過去の恋心を認めたのではありませんか?
彼女は光秀とペアになる存在で、麒麟を呼ぶために奮闘している。
キャストビジュアルが第一弾、第二弾ともにあるのは、信長、光秀、そして駒だけです。
公方様の弱者を救う【仁】に共鳴したからこそ、協力しているのです。
菊丸参上
延暦寺を光秀が歩いてゆくと、山崎義家が出迎え、殿の元まで案内します。
おっと、ここで菊丸がチラリと登場。ここまで出てくるとなると、失言騒動の降板はありませんね。菊丸も大したものだけれども、ここでは映らない家康がやはりおそろしい。
どれだけ情報を集めるつもりですか。やはり、もっとも煮ても焼いても食えないのは家康です。
朝倉義景は光秀を出迎え、昔話をします。
美濃を追い出された若侍がいた。
妙な男で公方様にも気に入られ、どこぞの田舎大名を巻き込み、上洛まで果たした。
今では幕府もこの男の顔色を伺うほどの大物、出世した者は昔世話になった者に礼を返すという。
「仁義も礼も廃れた今の世では望むべくもないか」
何を言っているんだ、こいつ?
そう怒りたくなりますね。
良禽(りょうきん)は木を択(えら)んで棲む
(=賢い鳥は木を選んで巣作りをする)
賢者は主君を選ぶとは言いますが。
そもそも光秀の秘めた力を見抜けない義景の小物ぶりが悲しい……。ユースケ・サンタマリアさんは、よく役を掴んでいますね。
池端さんの長いセリフを綺麗に読んだら、大物感が出てくる方がむしろ当然だと思う。
それなのに、この滲み出る小物感。卓越した演技と個性ゆえですなぁ。
しかし彼だけの功績でないとも思えます。隣には、榎木孝明さんという名優。時代劇でアンプ役を果たせる巧みな演者がいればこそ、音がわーっと響くようなものを感じます。
本作は時代劇のベテラン芸を継承させる仕組みがあってお見事です。
覚恕(かくじょ)が通りかかる
ここで光秀は「恩を返すために山を登ってきた」と相手の言質を取って返します。
光秀はこういうことをするから、論戦の相手としては強敵。最近の光秀は段々と諸葛亮を彷彿させるようになっています。
『三国志』でもトップクラスの人気武将・諸葛亮は、フィクションにおいては舌戦で相手を悶死に追い込むことがお約束で、その発動の仕方がなかなかえげつない。
光秀も、義景の心をザクザク刺していきます。
越前はそろそろ雪が降る。
雪が降れば山を越えて一乗谷に向かうことは難しい。
かといって、2万あまりの兵を春まで養うとなれば負担が大きい。
そこを踏まえれば、もはやこの戦は潮時だ。
この積雪はなかなか重要な視点です。
日本海側は世界でも屈指の豪雪地帯。戊辰戦争でも、東軍には冬まで持ち堪える計算はあったものです。
と、ここで延暦寺の天台座主・覚恕(かくじょ)の一行が通り掛かります。
ちゃんと指導をして、きっちりと演じられる高僧の移動です。ただ……神々しさがどうしてこうも嘘っぽいのだろう?
宗教は金がかかる。権威が欲しい。当初は貧しく、汚れた衣で教祖が道を説いていようと、時代が降れば煌びやかな権威で飾り立てるようになる。堕落といえばその通りだけれども、需要があればこそ、そうなる。
太った体を輿で運ばれゆく覚恕からは、宗教の偽善が圧倒的に滲み出ていて、おそろしいものがあった。
『MAGI』を見て、緋色の衣をまとった教皇や枢機卿に圧倒されつつ絶望しかけたけれども、大河もまだまだ死ぬには早い。こんな仏僧を見せられるからには、まだまだ息があるということです。
にしても……覚恕は横川中堂での行をなさった帰りというけれど、何を祈ったというのやら。
光秀はその覚恕と目通りしたことがあるか?と問われます。
かくして、光秀は比叡山の主と向き合うことになるのでした。
何百年も続いた利権地図を塗り替えて
覚恕怒りの理由が、義景の口から語られます。
この都には、比叡山が何百年もかけて手に入れた領地、寺、神社、商いがある。
それなのに、あの成り上がり者が上洛し、次々と奪い取って、
汚れた足で踏みつけにする。それが許せぬ! そういう構造がある。
「朝倉様ともあろうお方が、さほどにあの座主に!」
宗教をないがしろにはできないと語る義景を、光秀は煽ります。辛辣発揮です。
義景はここでしみじみと語る。
越前で勢いを伸ばしてきた一向宗と長年戦い、一つだけわかったことがあるのだと。
「お経を唱える者との戦に勝ち目はないということじゃ。踏み潰しても、そこらからいくらでも湧いてくる。虫のようなものじゃからな。この叡山も同じじゃ。信長に伝えよ、この戦を止めたければ、覚恕様にひざまずけと」
義景が、世界史的にみてもホットなことを言い出しました。
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当時の世はまさしく、宗教改革の時代。なまじ政治と金を動かせるとなると、宗教は力が強くなる。そういうキリスト教はどなのかとルターが宗教改革をした結果、カトリックとプロテスタントが大量殺戮をしあう時代に突入しました。
日本でも、宗教勢力は肥大化しすぎた。それをどうするか。直面している信長たちなのです。
ここで光秀は、そのおそるべき覚恕と語り合いたいと持ちかけます。光秀なりに解決の糸口を見出そうとするのです。
覚恕の歪み
覚恕は遊女を前に、香を当ててみよと言っております。
「黒方」と答えた相手に「侍従」と返す覚恕。
何気ない場面のようで、いやらしい話です。
遠くから、海を越えて届く香料は高い。焚けば消えるだけのものに金と労力を使う。それを人を救うはずの仏僧が楽しんでいる。不犯のはずが遊女とそうしている。
これほどの堕落の極みもそうそうありませんな。
覚恕は光秀に、朝倉の家老から話を聞いていると声をかけます。なかなかの切れ物だと。
そしてここからは、切れ物からすればうつけに見えるだろうと切り出し、屈折した心情を告白します。
「僕が演じる覚恕は実在の人物です。美しい兄にコンプレックスをもち、兄を超えようと延暦寺のトップになったら、それを信長めが!帝の弟ということなので少しだけ品格を意識してみました」(春風亭小朝)#麒麟がくる
今夜放送!
[総合/BS4K]夜8時 [BSP]午後6時 pic.twitter.com/s3uXh2yONK— 【公式】大河ドラマ「麒麟がくる」毎週日曜放送 (@nhk_kirin) November 22, 2020
見た目も醜い。幼い頃からそうだった。兄君は美しいが、弟は一歩及ばぬ。一歩? 百歩の間違いではないか? いつもそう思うていた……そう言い出すのです。
そして光秀が兄上に拝謁しことがあるかと言い出します。
苦しげに彼は続けます。
「兄君は美しいのじゃ」
そのうえで生まれた折のことを覚えていると。皆驚くが、耳で確かに聞いたのだと。
おや、この子は、もう大きな歯が三本も生えておる。さぞ醜き赤子じゃと。
それを聞いた遊女が鈴を鳴らすように笑うと「笑うでない!」と止めるのです。
父の命を受け出家させられ比叡山に入ると、醜いゆえ外に出されたと思ってしまった。光秀がここで「おそれながら」と言っても、黙って聞け!と言葉を続けます。
覚恕は己に言い聞かせた。
美しきものに生涯頭を垂れて生きるのか? それはやめよう! わしは金を持とう。力を持とう。金と力があれば、皆わしに頭を下げる。ここでそうなりおったと笑い飛ばします。
いまや都の者たちは、皆わしに頭を下げる。金を貸せ、金を貸せ、領地を貸せ、商いをさせてくれ。
美しき帝である兄ですら、先帝の法要を営むために金を融通しろと頼んできた。
覚恕は美しいものに勝ったと思ったのです。
いや……けれども、覚恕は勝ってはいません。むしろ負けている。
彼には金で買った遊女はいるけれども、伊呂波太夫のように誠心誠意を捧げてくれる誰かはいない。
そういう相手がいないということは、心に穴が開いている状態です。いくらそこに何かを詰め込んでも、穴を塞がない限りはきりがない。
どんどん、どんどん、求めるだけ。
欲望ゆえに、覚恕は魔物になりました。さて、この魔物をどうするべきなのか?
駒がいてこそ物語が動く
兎の看板がある東庵の診療所では、駒の元に小さな来訪者がいます。
芳仁丸を転売して駒に叱られた平吉です。
彼は500粒の芳仁丸を売ってくれとせがんできます。
金をいっぱい稼ぎたい、そうしなければ妹が戻ってこないと訴えるのです。貧しさに耐えかね、おっ母が妹を売ってしまった。叡山の僧侶は芳仁丸ならば買ってくれる、妹を叡山から連れ戻すと言うのです。
そうです。幼い妹は叡山のお坊様に買われていたのでした。
あの覚恕と遊女を見た後では、最悪の想像がよぎります。こうまで腐り果てた比叡山への不信感が湧いてくるのです。
それにしても、やはり本作は駒がいてこそである――この場面でそう思いました。
本作では主に、オリジナルキャラに対して「不要だ」とするメディアや意見のほうが、個人的にはいらないと思います。視聴率が低いのも彼らのせいだというネットニュースを見かけましたが、いかなる根拠があっての断言なのか?甚だ疑問でした。
本作は視聴率もそこまで低迷していない。
『独眼竜政宗』時代はともかく、近年の大河基準で言えば特段低いわけでもない。コロナ禍もあるからには、低いとも高いとも断言できません。
でもまあ、気持ちはわかります。
まがりなりにも記事にする以上、ドラマを見た感想として「わかりません」と言えるわけがない。ならばセンセーショナルな煽りで記事を構成したほうがアクセスを稼げます。そういった事情から、無理にでも叩き記事を出すのでしょう。
視聴率低迷というならば、長期間にわたって2桁を切るような事態を指すのではありませんか?
それにネット上ではしばしば【ノイジーマイノリティ】という現象も起きがちです。要は、声のでかい(ヒドイ批判)のほうが目立つ――その辺を踏まえず、制作環境に悪影響があれば、視聴者にとっても大きな損失となりかねません。
実は、駒のような架空人物や、これまで注目されなかったマイナーな歴史人物を強調されることは、世界的な歴史ドラマのトレンド最先端であります。
Amazonプライムが、織豊時代を扱いながら、信長でも秀吉でもなく、なぜ天正遣欧少年使節団を主役にしたのか? その“なぜ”が大事なのです。
まぁ、架空の人物を叩く――というのは、それぐらいしかケチをつけられないことの裏返しでもあるんですけどね。
逆に言うと、本作が盤石なことの証明でもありましょう。
てなわけで話を『麒麟がくる』の信長に移しまして。
京都にとって不都合な史実
浅井朝倉や本願寺、比叡山らに包囲された織田軍。
事態は一向に改善しませんでした。
それどころか伊勢長島の一向一揆衆が蜂起して、尾木江城の城主だった織田信興(信長の弟)が討たれてしまいます。
本作は合戦シーンが少ないと指摘されますが……合戦そのものというより、快感・爽快感を伴う合戦描写が少ないのでは?と思えます。
そのくせ、死ぬ間際が生々しいもんだから「戦争は嫌だ……」と思える。
そんな信長が退路を断たれたことに、狙い通りだとほくそ笑む二人がいます。
覚恕と摂津晴門です。
晴門は、朝倉も織田も和睦したがっていると公方に言いながら、織田を追い詰めて袋の鼠にしようとしている。京都から織田を一掃し、幕府と比叡山が手を組めば、古きよき都に戻ると確信していると言うのです。
「成り上がり者に夢は見させぬ」
そう意気投合しております。今年は、京都に厳しい大河だ……。
権威も、富も、汚い既成勢力のおかげで成立する。そんな京都にとって不都合な史実に踏み込んできました。
そしてこの密談を、菊丸が床下で聞いております。
宇佐山城に光秀が戻り、覚恕の手紙を出します。
信長はそれを読みます。家康の忍びこと菊丸が聞いた密談内容でした。
摂津晴門と覚恕の結びつきに驚き、公方様の和睦が進まない理由を理解。ここで信長が「公方様はご存知か?」と言うのが怖い。
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光秀が即座に否定し、比叡山に取り入る幕府内のものが悪いと誘導しますが、さて……。
信長は猜疑心旺盛、かつルールの適用が周囲とは違います。管理できないのは知っていたに等しいとして、義昭を断罪することは当然想像できるわけです。
毎週、信長の義昭への不満がじわじわと溜まってゆきます。
信長は、東を藤吉郎と家康が抑えているとしながらも、弟が討たれた尾張に戻ろうとします。
光秀はここで京都をお捨てになるのか、今までの苦労を水の泡にするつもりかと問いかけます。
仕方あるまい――。
そう投げやりになって背を見せる信長。しかし、光秀はそんな信長対応の達人になりつつある。
美濃に戻ってなんと申し上げるのか? 比叡山の坊主に負けて帰ったと?
そんなことを言ったら美濃の衆も帰蝶様も笑う。そう煽ります。
光秀の煽りスキルがぐんぐんと伸びてきましたね。長谷川博己さんでなければ、こういう脚本は受け止めきれない。池端さんが投げるボールを、キャッチャーとしてしっかり受け止める、そんな圧倒的な信頼感がある。
童顔で無邪気な残虐性が一番怖い
信長の顔に動揺が広がります。
こういうときの信長は、まるで幼い子どものよう。無邪気そのものに見える。だからこその染谷将太さんなのでしょう。
信長は抵抗する。
尾張のうつけ者が、将軍を支えて3年もいた。帝にも天下一と認められた。帰蝶が笑いたければ笑えばいい。父上が生きていたら褒めてくれる。美濃の者も褒めてくれる。そう言い募るのです。
信長は帰蝶を“母”と言いました。
親は子を褒める。親に褒めてもらえたときのうれしい気持ちが胸にずっとある。そういう気持ちを蘇らせてくれる帰蝶は特別な存在です。
二人の間に子がいるかどうかとか、そういうことは関係ない。
心が通じ合う帰蝶の拒絶がおそろしくて仕方ない。そんな幼い心がそこにはあります。
光秀はそんな信長を、どこか冷たい目で見ている。
帰蝶が“母”ならば、光秀は“父”かもしれない。
「帰蝶は笑うか……」
信長はしおらしくしょんぼりとして座り込み、こう続けます。
「他に手があるか?」
光秀が公方様への和睦を提案すると、信長が一捻りします。
「和睦か……和睦を……帝だな……帝に使いを出すか」
この場面はやはり、信長がとても哀しかった。
これだけのことをしても、認められないことに冷や冷やしている。それは演じる側にもきっと通じるものはあると思えます。
染谷さんは信長を演じることを楽しまないと、きっと大変でしょう。
当初はミスキャストと叩かれ、それをひっくり返せば“天才”オーラが出ているとまで言われるけれども。彼自身は一貫して、自分なりの演技を真摯につきつめているだけでしょうに。
常に一生懸命、全力なのに、叩かれたり、褒められたり。気にしなければよい?
なまじ役者として必要な感受性があるからこそ、きっと伝わってくるものがあってつらいとは思う。
褒められても、それがどれほど虚しいか?
信長を演じていて、常に感じるとは思うのです。
大河で信長ってそういうもんだよな……と割り切るにしたって、毎回綱渡りをしているようなもので。役者は感受性豊かでないとできないけれど、ゆえに辛いこともある。
だったらとことん楽しむしかないし、演じることを極めるしかない。そういう世界に飛び込む心意気が、信長本人に通じるところがあると思えるのです。
しかし、これが大正解かもしれません。
この信長は、後に歴史を変えたと言われるのではないでしょうか。
2010年代半ば以降、ものをやたらと損壊したり、焼いたり、殺戮をする歴史劇の人物は、小柄童顔でかわいらしいタイプが最先端だと思う。
『三国志 Secret of Three Kingdoms』の曹操を演じる謝君豪は、背がそこまで高くない。小柄です。童顔で愛嬌があり、かわいらしさすら感じる。
それなのに前置きなしに怒鳴り、声を荒げ、「それならあいつらは皆殺しだな」とさらっと言ってしまう。
そこがいい!
小物のようで、なんだか怖い。ミスキャストのようで、これはこれでおそろしいしありだと思える。『ゲーム・オブ・スローンズ』のデナーリスを演じたエミリア・クラークも同系統ですね。
こういう人物を見ているとしみじみと思えます。
童顔で無邪気な方が、むしろ残虐行為をやらかす様がおそろしいのだと。
「朕と弟との戦いやもしれぬ……」
京の御所では、美しき帝が東庵と囲碁を打っています。
信長と覚恕をどうにかしたい。取り上げた領地を返し、都での商いも認めるために和睦したいのだと。
東庵は将軍様が収めたいと案じていたと指摘すると正親町天皇はこう言います。
覚恕は朕の弟ゆえ、何を考えているか全てわかる。はじめから将軍を相手にする気はなく、己の力を誇示し、兄に頭を下げさせたいのだろう、覚恕の胸にあるのはそれだけだろうと。
そして覚恕のことをこう嘆きます。
叡山であれだけあまりある富を蓄えていながら、この御所のやぶれた屋根すら修復しようと申し出たことはない。
叡山で酒を飲み、女色に溺れ、双六、闘鶏にうつつを抜かしておる。
無惨な弟と分析するのです。
これを坂東玉三郎丈が語る残酷さよ。
才能なり美貌があるものが周囲を傷つけると描くうえで、これほど説得力のある人物がいるでしょうか。彼を見ていると、紫式部に謝りたくなる。
『源氏物語』で、中年以降の光源氏は美貌の詳細を省かれて、オーラがともかく美しいと紫式部は主張するわけです。
でも、肉もついたし、それは無理矢理褒めているだけじゃないの? なんだよ、オーラって。
そう思っていたのですが、光源氏がこの坂東玉三郎丈のようだったのではないかと想像すると、納得しかありません。古典理解を深める実にありがたいドラマですね。
彼を美しいというのは簡単だけれど。それだけで済まされるのかどうか。衣通姫という着衣を越えて伝わる美貌の伝せつがあるけれども、それを思い出すほど。常に光がほとばしっているみたい。そりゃ覚恕も歪むでしょう……。
東庵は双六と闘鶏は耳が痛いと言う。
帝はそちは格別だととりなします。
なんでも幼少期から病弱であったために、先帝が案じて呼び寄せた鍼の名医なのだとか。東庵は「恐れ多い限り」と謙遜します。
そして帝の厳しい囲碁の一手に唸るのでした。
東庵がここで叡山をどうするか尋ねると、信長を助けると帝は言い切ります。この館の屋根を直してくれた。そればかりでなく、覚恕は公家たちに金を貸し、領地を奪ってきたと嘆きます。公家たちの苦しみは如何ばかりか。
「これは朕と弟との戦いやもしれぬ……」
大仰な歴史的な出来事の背後に、生々しい人間の心理がある。そう示す言葉でしょう。
これぞ本作の本質だと思えるのです。
本能寺に至るまで、光秀の心の動きを見ていきましょう。これまた世界の歴史学と歴史ドラマの最先端、今挑むべき課題でもあると思います。
激怒の松永「これが公方様じゃ!」
近江の三井寺には、二条晴良が来ておりました。
織田、朝倉、浅井、延暦寺に対し和睦を促すよう伝えたのです。信長は延暦寺や朝倉の条件をのみ、本陣を引き払いました。
覚恕と晴門はこの結末に浮かれています。
信長は我らを甘く見ておった、これで都は古き良き姿に戻ると言い合いますが……比叡山の僧侶が女を侍らせ、幼女を金にあかせて買う。比叡山と幕府が癒着し、金を儲ける。公家が借金に苦しむ。
そんな“古き良き姿”を戻してやると思っているのです。
そしてこれを機に、武田信玄を京に迎え入れ、織田信長を潰す段取りをしている。既に信玄とは文を交わしておると語られます。
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家康が大変なことになりそうですね。
でも、同時に家康がどうして情報網をフル回転させているかもわかってきます。
彼は自分の持ち前の思考力で【仮説】を形成したい。そのためにはデータ、データ、データ! これから先がどうなるか読み取るために、菊丸たちを使っているのです。
やはり、家康は強い。素晴らしい!
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そして二条城には、束の間の平安が訪れます。
義昭は、能を見ている。
けれどもご覧ください。大和で火花を散らす筒井順慶と松永久秀が同席していて。摂津晴門がほくそ笑んでいます。
このあと、光秀は松永久秀とすれ違います。
カッと久秀の顔に怒りがのぼる。
顔を構成する筋肉ひとすじにまで感情が宿る。
吉田鋼太郎さんの底力を感じる――ここでの彼を見て、演じることが芸術ではないと言い張る人がいるのかどうか? そんな渾身の場面です。
久秀は訴えます。
この席に筒井順慶が招かれている!
長年血に塗れて争っている、あの男がいる!
その祝いの席である!
これは罠じゃ!
あの順慶が公方様の養女を娶る、その前祝い!
血を吐きそうな口調で久秀は訴えます。
大和国は、古くから筒井一族が治めてきた。信長と連携することで、それを変えようとした。
それを知っていながら、公方様は何故、わしを笑いものにするために招いたのか!
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光秀が否定しようとしても、久秀の傷ついた魂には届かない。
「それが公方様じゃ! これが幕府じゃ!」
久秀は幕府を離れると言い切ります。大和に戻り、あの順慶と戦うのだと。
信長様にその旨伝えてくれと言い、彼は去ってゆきます。
光秀は追い縋るも、届かない。先週の鉄砲調達での筒井順慶相手の譲歩が裏目に出ています。
それにしても、吉田鋼太郎さんはどこまですごいのか。抑揚、滑舌、顔の筋肉まできっちりと計算されている。
坂東玉三郎丈の演技はただただひたすら美しいけれど、彼は理詰めで、シェイクスピアを感じさせて、圧倒されました。
大和という複雑な国の歴史に血が通う。劇の底上げをするそんな気合いが圧倒的で、酔いしれるしかない圧巻の演技でした。
「信長様の戦はまだ終わってはおりませぬぞ!」
そしてこのあと「明智様〜」と摂津晴門がくる。
公方様が十兵衛様を案じているとおだてる。
光秀は怒りをこめながら、松永久秀が怒ると分かっていながら呼んだのか、仕組んだのかと問い詰めます。
晴門は、公方様は皆がよう力を合わせることを望んでいると言い逃れる。そういう心を“親心”とたとえる。戦はやめさせたいとのらりくらりと逃げようとする。
そして戦が終わったと笑い飛ばそうとする。
ここで光秀は、双眸に白い炎を宿して反論する。
「信長様の戦はまだ終わってはおりませぬぞ!」
摂津晴門はまだいる。比叡山も無傷だ。古き悪しきものが残っている。それを倒さねば新しき都は作れぬ。よって戦は続けねばならぬ!
「おわかりか?」
そう言い切る光秀。ハセヒロさんは、脚本と演出にかけられた罠をくぐり抜けたのです。
吉田鋼太郎さんの怒り。片岡鶴太郎さんの狡猾さ。そのあとに印象を残す演技を求められる。とんでもないことだ。
それでも彼は応じ、圧倒するようなものを放った。眉毛の動かし方ひとつとっても素晴らしかった!
スパルタというか、厳しいというか。
日本人の日本人による、日本人のための歴史劇を継承したい、そんな願いがある、そういうドラマです。
コロナ禍の今、座長になったハセヒロさんは不幸なのか?
それとも幸運か?
彼自身の気持ちはわからない。けれども、大河にとってはこの上ない幸運です。こんな妥協を知らない、意志の強い役者が先頭にいるのだから。
焼き討ちで無残に斃される薬売りの少年
元亀2年(1571年)、秋――。
信長はふたたび比叡山のもとへ結集しました。
そして叡山を潰す戦と宣言し、京都を蝕む悪のもとと断罪し、山に巣食う者を討ち果たせと言い切る信長なのでした。
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延暦寺へ織田信長の兵士が攻め入ります。
女が斬殺され、悲鳴が響く。
そんな中、芳仁丸を売っているあの平吉も逃げ惑い、斬り殺されてしまいます。
芳仁丸を握っていた小さな手が動かなくなる絵。これぞ本作という気がします。
戦闘があり、一方的に動かなくなる民を見せる。その中には女性と子どももいる。ここまで描いてこそ、戦争の惨さがわかるのです。
今年の大河は誠意を感じます。
こういうことのように「酷かった!」と非難されたことに、なんだかんだと言い訳をするのはよろしくありません。
そうは言っても、そんなに死んでいないとか。そこまで焼かれていないとか。大袈裟だとか。相手にも非があるとか。戦場での死者数や被害状況の確定は難しく、そうそうはっきりできるものでもない。
考えるべきであるのは、その出来事がどう語られ、人々の記憶に残されたか。
比叡山での信長の悪行がこうも語られたということは、何かがあったということでしょう。
後世、信長を庇いたい層はなんやかやと言い募ったことでしょうが、大事なのは当時どれだけ人が恐れ慄いたか。
そこなのです。
その点、本作は衝撃を受け、歯軋りする光秀の姿でも表すからえらい。
光秀は全てを斬り捨てよと言う信長に武器を持たぬ者はどうするのかと問いかけている。信長は逃げよと今まで何度も言ってきたととりあわない。
藤田伝吾はそんな光秀に、信長の命令通り全員斬り捨てるべきか聞く。信長は女子供は逃せと返す。
時代を越え、戦の愚かさと残虐さを見せてくる光秀。
戦は嫌いだった。けれども戦をせずに理想は言えないと悟った。ゆえに、世を変えようとしない、帰ることを阻む奴らに戦で変えてやると言えた。
それでもやはり、戦は酷い。
光秀は女子供をかばったという言い訳も、苦しいとしか言いようがない。
人の業の中へ、光秀は深く沈み込んでゆくのです。
MVP:覚恕
それにしても、本作はやってくれおった……としか言いようがない。
比叡山焼き討ちの原因はいろいろ言われている。けれども、本作は帝の弟にして天台座主・覚恕をクローズアップすることで、とんでもない領域に踏み込んできた感はある。
だって、おかしくないですか?
神道は天皇を頂点とするのに、その弟が仏教のトップって、整合性矛盾を感じませんか?
明治以降の国家神道の矛盾に突っ込むような強烈はことをやらかしてきました。
本作は時系列的には国家神道のはるか前ではある。とはいえ、日本史においてずっと天皇を頂点とした神道が尊ばれたという、最近どこぞで見かける見解に、正面切ってヘビーなパンチを入れるようではある。
志尊の帝のはずなのに、やっていることは兄弟喧嘩だ! そう暴いてしまった信長の凶暴性がまた見えてきました。
「神仏を尊ぶ心はわしも同様」と言いつつ、母に叱られながらも仏間であばれ、ペチペチと石仏を叩いていた信長。
周囲からすると「一貫性がないうつけだなぁ」となりかねないのですが、これは信長のルールの悪用癖が出てしまっているのだと思います。
普通の人は、神をありがたいものだと敬愛して畏れるけれども、信長はあくまで【人が決めたルール】ということで従う。スーツにネクタイをつける程度の感覚でそうする。
心底信じないけど一応は従って、そのうえでちょっとでも破綻を見つけたら「はい、ルール違反です!」とイエローカードを出す感覚で相手を滅ぼしかねない。
周りからすれば、よりもよって一番神なんてどうでもいいと思っているお前が言えたものかと恐怖と嫌悪を感じる。
そういうことを信長のような【創業】タイプの英雄は率直にやらかします。
家康のような【守成】タイプは、もっとマイルドにできるんですけどね。
覚恕はいわば、当時の宗教そのものの意義を体現したようでもなる。
世界史的に見ても肥大した宗教をどうするのか、そこはターニングポイントでした。
総評
肥大化した宗教をめぐるところまで本作は大きく描く!
信長の比叡山焼き討ちは、大袈裟だとか、比叡山側にも問題があるとか言われますけれども、ここはむしろ原点回帰で良いとは思う。
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酷く、大変なことだった。
そう再認識することでよいのではありませんか?
前述の通り、世界は宗教改革で揉めている。
比叡山どころじゃない単位で大量死が出ていた時代です。
東洋でも織田信長という男が、宗教に疑念を抱いて大きな行動を起こした。そう世界史的な中で位置付けてもよいのではありませんか。
とはいえ、いかに人類史の上でのステップのようであれ、人が死に、心が痛むことは確かである。
苦悩する光秀からは、生々しい痛みと悩みが見えてくるのです。
世の中を変えるといったところで、それに伴う痛みは仕方ない。宿命です。
ハセヒロさんは逃げることなく、悶える光秀という姿を見せてきます。
おまけ
再来年大河だ!
『鎌倉殿の13人』。今さらですが、今年春の時点で外さないと私は予想していました。noteでそのへんをまとめていますが。
キャスティングが発表されましたね。
北条政子役が小池栄子さんという時点で、これは成功しかないと確認しました。
小池さんが冷酷な判断をする役を演じるところを、私はどうしても見たかった……小池さんの北条政子を見るまでは、絶対に生き延びてやろうと思える。そういう歴史的な快挙です。
彼女の魅力は尽きない。
賢くて果断がある。そういう役を割り振らねば日本の損失だとすら思っておりました。彼女みたいな女性は歴史上に顔をだす。武則天とか、エカテリーナ2世とか、大胆不敵にいろいろ断行する。時代も洋の東西も超えたすごい存在として出てくる。そういう小池さんが尼将軍、もう勝利ですね。勝ちましたね。決まりです。
そんな北条政子も注目ですが、空気を絶望的に読めない英雄像としては、源義経の菅田将暉さんです!
義経といえば、その悲劇的な人生がやはり有名ですね。私も小学生時代、初めて『義経記』を読んだ時は涙しました。
けれども、大人になっていろいろ読んでいくと、義経には複雑なものを感じるようになる。アルミホイルを噛み締めたような味が広がっていく。
「まぁ、私が頼朝でも、義経はこうしちゃうかな? なんかイラつくよなこいつ! 放置するには強すぎるし」
そんなあたりですかね。まあ、義経にはなんかこう……イラつかせるものがあるのでしょう。
そういう役を演じさせる若手俳優といえば、染谷将太さんと菅田将暉さんがツートップ、東西横綱の感があるので、もう納得しかありません。
見ていてムカつく、そんな義経像に期待しています。
予習としては町谷康『ギケイキ』ですね。
NHKは本気だ。大河を継続させるために、えげつないほど一軍を投入してきた。
VOD時代、もう日本史を題材にしたドラマは躊躇できない。なまっちょろいものもできない。見せてあげますよ、本物の日本史ドラマを!
そういう不退転の覚悟を感じます。
私の受信料を、小池さんの北条政子に使われるならば、払う甲斐があるもの。
大軍を前にしてえげつない決断をする、そんな小池栄子さんがずっと見たかった!
ついにその願いが叶う日が来ました。
◆【大河予想】『鎌倉殿の十三人』は成功するのか(武者)(→link)
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【参考】
麒麟がくる/公式サイト























