麒麟がくる感想あらすじ

麒麟がくる第33回 感想あらすじ視聴率「比叡山に棲(す)む魔物」

麒麟がくる第33回感想あらすじ~視聴率は13.1%でした

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麒麟がくる全視聴率
麒麟がくる感想あらすじレビュー

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元亀元年(1570年)11月――。

信長は、たちふさがる比叡山に困惑と怒りを感じています。

なぜ織田に刃向かうのか? その理由を、金のためだと喝破する光秀。

朝倉と浅井は、比叡山にいる。

西には三好、本願寺

南には一向宗。

信長は包囲されていました。

 


勝家や信盛 反対の理由とは

近江・宇佐山城で、信長たちは評定をしています。

実に二ヶ月もの間、朝倉は山から降りず、戦おうとしない。このままでは三好や六角は背後をつかれてしまう。こういう状況は一箇所でも打ち破らねばならない。

朝倉攻めを提案すると、軍議に参加していた群臣が反対します。

柴田勝家は、地の利を理由にしました。【桶狭間の戦い】でも指摘しましたが、高所にいる敵は攻めにくい。

一方で、佐久間信盛は御仏を攻めるのは畏れ多いという。

ここに、織田家重臣の個性が見えます。

柴田勝家は実践的なタイプで、佐久間信盛は信心深い。キャストビジュアルでも示されています。

佐久間信盛って、酷い追放をされる影響で無能扱いされがちですが、今年は信長の欠点「人の気持ちを踏みにじるところを強調する役どころ」なのでしょう。

出番が毎回短めなのに、安藤政信さんも金子ノブアキさんも、両者それぞれの特色を出していてお見事です。

信長は苛立ち、また悪いところを見せる。「他に手がないのか!」と怒鳴り、ものに当たります。

ここで光秀が書状を受け取る。何か変化があったのでしょう。光秀がその知らせを聞きに向かうと、明智左馬助がおりました。

どうやら朝倉家家老の山崎吉家と接触ができたようです。

信長に報告し、光秀は比叡山に向かいます。

 


成立しない和睦 怒り狂う義昭

将軍義昭は、織田と朝倉の争いが終わらぬことに怒り狂っています。

放置しろと言ったのに、事態は悪化するばかり、三好や本願寺どもまで都をうろつくことになっています。

摂津晴門にそのことを問いかけても、ノラリクラリとかわされるだけ。

織田にも朝倉にも使者を出し、公方様におすがり和睦せよと提案しているとか。

「ではなぜ戦がやまぬ!」
「わかりませぬ」
「もうよい!」

シラを切る晴門に、義昭は怒るしかない。義昭は待ち受ける駒の元へ向かいます。

虫の籠を義昭に手渡しながら、駒は静かに言います。

「虫が皆死んでおります」

さらに彼女は織田と朝倉の戦がいつまで続くのか問いかけてくる。

「わからん」

無造作に虫を捨てる義昭。

何気ない場面のようで、義昭は決定的に駄目になっていると示されました。

駒への土産にするという手前勝手な理由で捉えた小さな虫が無惨に死んでしまう――そのことを惜しむわけでもなく、平気で地面に捨て去る。

それでも仏門にいた者ですか!

信心深い僧侶は、蚊の命を惜しんで蚊取り線香すら焚かないとも言います。

義昭は堕落しました。蝶を運ぶ蟻に感動していた姿はもうそこにはありません。

どんなけ好感度が高い方だろうが、アクセサリー感覚でペットショップの小型犬を飼って行ったら失望してしまう。そういう類の気持ちが湧いてきます。

駒の心中はどうでしょうか?

 


直言居士

義昭は駒に、どちらが勝っても死なせたくない者がおると告げます。

その一人が明智十兵衛。

駒が美濃にいたころから知っていたらしいと問いかけ、「好きであったのか?」と問いかけます。

微笑みながら認める駒。義昭にはその正直さが好ましいようです。

「わしも十兵衛を気に入っておる。十兵衛はわしがいやがることを正直に思うたま話すのじゃ。そういう者は他にはおらん。死なすのは惜しい」

義昭の本音のみならず、光秀の本質にも迫ってきました。

光秀はずっとそういう性格で、斎藤道三にもそこが気に入られていた。

気に入られるだけでもなく、斎藤高政の父殺しを非難したことで、相手から殺すと誓われたこともある。

それでも、人は気づいてしまう。

澄んだ水のような光秀と向かいあうことで、見えてくる何かがあることに。

【直言居士】という言葉もある。

「忠言 耳に逆らう」という言葉もある。

この作品のテーマだと思えます。

そうしないと人間も世の中も堕落する。甘い言葉ばかりをホイホイ言う相手に従っていたらよろしくない。そう戒めとしてきたものなのです。

義昭には、まだそう言えるだけの誠意は残されています。

虫の死骸が写される一方、その言葉には、まだ真っ直ぐなものがあるのです。

それにしても駒がここでも重要な役割を果たしていますね。

悟り切った表情をする門脇麦さんはどんどん貫禄が出てきました。

駒が義昭と繋がりを持った理由を、いまだに彼女の初恋を引っ張って「光秀のため」とするのはどうかと思います。

伊呂波太夫はそういう動機付けをされていますが、駒はちがう。だからこそむしろあっさりと過去の恋心を認めたのではありませんか?

彼女は光秀とペアになる存在で、麒麟を呼ぶために奮闘している。

キャストビジュアルが第一弾、第二弾ともにあるのは、信長、光秀、そして駒だけです。

公方様の弱者を救う【仁】に共鳴したからこそ、協力しているのです。

 

菊丸参上

延暦寺を光秀が歩いてゆくと、山崎義家が出迎え、殿の元まで案内します。

おっと、ここで菊丸がチラリと登場。ここまで出てくるとなると、失言騒動の降板はありませんね。菊丸も大したものだけれども、ここでは映らない家康がやはりおそろしい。

どれだけ情報を集めるつもりですか。やはり、もっとも煮ても焼いても食えないのは家康です。

朝倉義景は光秀を出迎え、昔話をします。

美濃を追い出された若侍がいた。

妙な男で公方様にも気に入られ、どこぞの田舎大名を巻き込み、上洛まで果たした。

今では幕府もこの男の顔色を伺うほどの大物、出世した者は昔世話になった者に礼を返すという。

「仁義も礼も廃れた今の世では望むべくもないか」

何を言っているんだ、こいつ?

そう怒りたくなりますね。

良禽(りょうきん)は木を択(えら)んで棲む

(=賢い鳥は木を選んで巣作りをする)

賢者は主君を選ぶとは言いますが。

そもそも光秀の秘めた力を見抜けない義景の小物ぶりが悲しい……。ユースケ・サンタマリアさんは、よく役を掴んでいますね。

池端さんの長いセリフを綺麗に読んだら、大物感が出てくる方がむしろ当然だと思う。

それなのに、この滲み出る小物感。卓越した演技と個性ゆえですなぁ。

しかし彼だけの功績でないとも思えます。隣には、榎木孝明さんという名優。時代劇でアンプ役を果たせる巧みな演者がいればこそ、音がわーっと響くようなものを感じます。

本作は時代劇のベテラン芸を継承させる仕組みがあってお見事です。

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