麒麟がくる感想あらすじ

麒麟がくる第33回 感想あらすじ視聴率「比叡山に棲(す)む魔物」

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覚恕(かくじょ)が通りかかる

ここで光秀は「恩を返すために山を登ってきた」と相手の言質を取って返します。

光秀はこういうことをするから、論戦の相手としては強敵。最近の光秀は段々と諸葛亮を彷彿させるようになっています。

三国志』でもトップクラスの人気武将・諸葛亮は、フィクションにおいては舌戦で相手を悶死に追い込むことがお約束で、その発動の仕方がなかなかえげつない。

光秀も、義景の心をザクザク刺していきます。

越前はそろそろ雪が降る。

雪が降れば山を越えて一乗谷に向かうことは難しい。

かといって、2万あまりの兵を春まで養うとなれば負担が大きい。

そこを踏まえれば、もはやこの戦は潮時だ。

この積雪はなかなか重要な視点です。

日本海側は世界でも屈指の豪雪地帯。戊辰戦争でも、東軍には冬まで持ち堪える計算はあったものです。

と、ここで延暦寺の天台座主・覚恕(かくじょ)の一行が通り掛かります。

ちゃんと指導をして、きっちりと演じられる高僧の移動です。ただ……神々しさがどうしてこうも嘘っぽいのだろう?

宗教は金がかかる。権威が欲しい。当初は貧しく、汚れた衣で教祖が道を説いていようと、時代が降れば煌びやかな権威で飾り立てるようになる。堕落といえばその通りだけれども、需要があればこそ、そうなる。

太った体を輿で運ばれゆく覚恕からは、宗教の偽善が圧倒的に滲み出ていて、おそろしいものがあった。

『MAGI』を見て、緋色の衣をまとった教皇や枢機卿に圧倒されつつ絶望しかけたけれども、大河もまだまだ死ぬには早い。こんな仏僧を見せられるからには、まだまだ息があるということです。

にしても……覚恕は横川中堂での行をなさった帰りというけれど、何を祈ったというのやら。

光秀はその覚恕と目通りしたことがあるか?と問われます。

かくして、光秀は比叡山の主と向き合うことになるのでした。

 

何百年も続いた利権地図を塗り替えて

覚恕怒りの理由が、義景の口から語られます。

この都には、比叡山が何百年もかけて手に入れた領地、寺、神社、商いがある。

それなのに、あの成り上がり者が上洛し、次々と奪い取って、

汚れた足で踏みつけにする。それが許せぬ! そういう構造がある。

「朝倉様ともあろうお方が、さほどにあの座主に!」

宗教をないがしろにはできないと語る義景を、光秀は煽ります。辛辣発揮です。

義景はここでしみじみと語る。

越前で勢いを伸ばしてきた一向宗と長年戦い、一つだけわかったことがあるのだと。

「お経を唱える者との戦に勝ち目はないということじゃ。踏み潰しても、そこらからいくらでも湧いてくる。虫のようなものじゃからな。この叡山も同じじゃ。信長に伝えよ、この戦を止めたければ、覚恕様にひざまずけと」

義景が、世界史的にみてもホットなことを言い出しました。

当時の世はまさしく、宗教改革の時代。なまじ政治と金を動かせるとなると、宗教は力が強くなる。そういうキリスト教はどなのかとルターが宗教改革をした結果、カトリックとプロテスタントが大量殺戮をしあう時代に突入しました。

日本でも、宗教勢力は肥大化しすぎた。それをどうするか。直面している信長たちなのです。

ここで光秀は、そのおそるべき覚恕と語り合いたいと持ちかけます。光秀なりに解決の糸口を見出そうとするのです。

 

覚恕の歪み

覚恕は遊女を前に、香を当ててみよと言っております。

「黒方」と答えた相手に「侍従」と返す覚恕。

何気ない場面のようで、いやらしい話です。

遠くから、海を越えて届く香料は高い。焚けば消えるだけのものに金と労力を使う。それを人を救うはずの仏僧が楽しんでいる。不犯のはずが遊女とそうしている。

これほどの堕落の極みもそうそうありませんな。

覚恕は光秀に、朝倉の家老から話を聞いていると声をかけます。なかなかの切れ物だと。

そしてここからは、切れ物からすればうつけに見えるだろうと切り出し、屈折した心情を告白します。

見た目も醜い。幼い頃からそうだった。兄君は美しいが、弟は一歩及ばぬ。一歩? 百歩の間違いではないか? いつもそう思うていた……そう言い出すのです。

そして光秀が兄上に拝謁しことがあるかと言い出します。

苦しげに彼は続けます。

「兄君は美しいのじゃ」

そのうえで生まれた折のことを覚えていると。皆驚くが、耳で確かに聞いたのだと。

おや、この子は、もう大きな歯が三本も生えておる。さぞ醜き赤子じゃと。

それを聞いた遊女が鈴を鳴らすように笑うと「笑うでない!」と止めるのです。

父の命を受け出家させられ比叡山に入ると、醜いゆえ外に出されたと思ってしまった。光秀がここで「おそれながら」と言っても、黙って聞け!と言葉を続けます。

覚恕は己に言い聞かせた。

美しきものに生涯頭を垂れて生きるのか? それはやめよう! わしは金を持とう。力を持とう。金と力があれば、皆わしに頭を下げる。ここでそうなりおったと笑い飛ばします。

いまや都の者たちは、皆わしに頭を下げる。金を貸せ、金を貸せ、領地を貸せ、商いをさせてくれ。

美しき帝である兄ですら、先帝の法要を営むために金を融通しろと頼んできた。

覚恕は美しいものに勝ったと思ったのです。

いや……けれども、覚恕は勝ってはいません。むしろ負けている。

彼には金で買った遊女はいるけれども、伊呂波太夫のように誠心誠意を捧げてくれる誰かはいない。

そういう相手がいないということは、心に穴が開いている状態です。いくらそこに何かを詰め込んでも、穴を塞がない限りはきりがない。

どんどん、どんどん、求めるだけ。

欲望ゆえに、覚恕は魔物になりました。さて、この魔物をどうするべきなのか?

 

駒がいてこそ物語が動く

兎の看板がある東庵の診療所では、駒の元に小さな来訪者がいます。

芳仁丸を転売して駒に叱られた平吉です。

彼は500粒の芳仁丸を売ってくれとせがんできます。

金をいっぱい稼ぎたい、そうしなければ妹が戻ってこないと訴えるのです。貧しさに耐えかね、おっ母が妹を売ってしまった。叡山の僧侶は芳仁丸ならば買ってくれる、妹を叡山から連れ戻すと言うのです。

そうです。幼い妹は叡山のお坊様に買われていたのでした。

あの覚恕と遊女を見た後では、最悪の想像がよぎります。こうまで腐り果てた比叡山への不信感が湧いてくるのです。

それにしても、やはり本作は駒がいてこそである――この場面でそう思いました。

本作では主に、オリジナルキャラに対して「不要だ」とするメディアや意見のほうが、個人的にはいらないと思います。視聴率が低いのも彼らのせいだというネットニュースを見かけましたが、いかなる根拠があっての断言なのか?甚だ疑問でした。

本作は視聴率もそこまで低迷していない。

『独眼竜政宗』時代はともかく、近年の大河基準で言えば特段低いわけでもない。コロナ禍もあるからには、低いとも高いとも断言できません。

でもまあ、気持ちはわかります。

まがりなりにも記事にする以上、ドラマを見た感想として「わかりません」と言えるわけがない。ならばセンセーショナルな煽りで記事を構成したほうがアクセスを稼げます。そういった事情から、無理にでも叩き記事を出すのでしょう。

視聴率低迷というならば、長期間にわたって2桁を切るような事態を指すのではありませんか?

それにネット上ではしばしば【ノイジーマイノリティ】という現象も起きがちです。要は、声のでかい(ヒドイ批判)のほうが目立つ――その辺を踏まえず、制作環境に悪影響があれば、視聴者にとっても大きな損失となりかねません。

実は、駒のような架空人物や、これまで注目されなかったマイナーな歴史人物を強調されることは、世界的な歴史ドラマのトレンド最先端であります。

Amazonプライムが、織豊時代を扱いながら、信長でも秀吉でもなく、なぜ天正遣欧少年使節団を主役にしたのか? その“なぜ”が大事なのです。

まぁ、架空の人物を叩く――というのは、それぐらいしかケチをつけられないことの裏返しでもあるんですけどね。

逆に言うと、本作が盤石なことの証明でもありましょう。

てなわけで話を『麒麟がくる』の信長に移しまして。

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