天正2年(1574年)3月に蘭奢待を切り取った信長。
信長がついに手にした「蘭奢待」東大寺正倉院にある天下の名木をどう楽しんだ?
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光秀は、そんな信長のことが理解できないと三淵藤英に打ち明けます。
藤英は家臣の器を説くのですが……。
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光秀の娘と生花に興じる藤英
季節が巡り、夏になった近江坂本城で、光秀は信長からの書状を読んでいます。
使者に確認しつつ、信長の下した判断に戸惑いを隠せない、というのも……。
一両日中に藤英を成敗するよう、見届けよ――。
殿よりそう承っていると使者が伝えます。光秀は苦悩を隠せず「あい、わかった!」と返すしかありません。
さて、その藤英は?
光秀の愛娘・二女のたまと百合を生けています。藤英から生け方を助言され、たまは従っています。
百合というのが伏線にも思えます。たまはキャストビジュアルでは百合……ではなく、明智の家紋である竜胆手にしておりますが。しかし、彼女を描いた作品で最も多い花は白百合です。白百合は聖母マリアの象徴です。
そうそう、キャストビジュアルといえば。
「光秀の愛娘 のちの細川ガラシャ」というキャッチコピーに「史実としては誤り」と突っこむ意見を見かけました。
確かにそうです。この呼び方は、結婚後に夫の姓を名乗ることを慣習としていた宣教師が、洗礼名とあわせてつけた名前ということ。そのほうが通りがよいから使っているのですね。
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藤英の助言に沿って百合を生け直したたまは、母上に見せる許可を得て、百合を手にして立ち上がります。
と、入れ違いで光秀がやって来ました。
こんな、花を生ける美意識のある命を、信長は奪おうとしている。教養に満ち溢れた細川藤孝の兄。その死が、どれほどの損失となることか。
一度は咲いてみせたという藤英の誇り
光秀はそんな藤英の隣に座ります。
藤英は悟り切ったようにこう言うのです。
「岐阜城から使者が参ったと聞きました。信長殿は、私を斬れと仰せられたかな?」
光秀は苦しげに絞り出すしかない。
藤英は、紀州・由良に逃げた足利義昭と文を交わし、信長を討つ企てをしている。その証拠を、信長が手に入れてしまった。何故それほど信長様を敵視なさる? そう問いかけるしかないのです。
「十兵衛殿が信長殿を選んだように、私は公方様を選んだ。それだけのことだ」
藤英の家は代々幕府に仕えてきた。そこから一歩外に出る勇気もなかった。良くも悪くもそれだけだ。
弟の藤孝はとうに幕府を見限った。その勇気が私にはない。ここに参ってから覚悟はしていた。己の身は処断できる。ご案じめされるな。
そう、静かに語ります。
光秀は、初対面の思い出を語り始めます――。
初めて堺へ行き、鉄砲を買うために入った店にいた藤英。見事な立ち居振る舞いに感嘆し、これが将軍家の奉公衆かと目が洗われる思いがした。
第1回のことですね。私も同じような感慨を抱きました。ただの川に鶴か何かが舞い降りたような、見事な美しさが確かにあったものです。
光秀は、その方に死ねとは言えないのです。死減一等できないかと信長に直訴すると伝えます。
しかし、藤英は断る。
生ある限り、信長につくことはない。謂れなき情けをお掛けいただくことこそ、武士の恥。そこはお汲み取りのうえ、しかと処断していただきたい。
そう言い切り、落ちた百合の花と己を重ね合わせます。
「負け惜しみかもしれぬが、捨てられる花にも、一度は咲いてみせたという誇りがあるように見える。気のせいかな?」
百合のように白い幕が、風に揺れる夜。坂本城の庭で、藤英は腹を切ります。
涙が目に光るところまで映され、あとは風の音が聞こえます。
花が落ちるような、静かなその最期でした。
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兄弟の差とは
藤英と藤孝の兄弟は、賢愚や先見の明の有無が運命を分けたとされがちです。
本作は、それ以外の要素を突きつけてきます。
藤孝は、快刀乱麻です。
面倒だからわざわざ聡明さを見せつけることもなく、物事をズバリと処断する。そういうところが賢いとわかる。
彼なりに最善の道を模索し、将軍家に仕えて来たという情をきっぱりと捨て切ったのでしょう。
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そうできなかった藤英は愚かなのか?
余計なことを考えすぎたのか?
この最期を見ていたら、そんなことは到底言えません。
死を美化してはいけないとは思う。けれども、こうもスッキリと完結した人生には、ある種の美しさがあると思えてしまう。
ここで花と我が身を喩えるところも、池端さんらしいと思います。
本作は虫がよく出てくるとは言われますが、花と人の身を重ねることも出てきましたね。
東洋の伝統では、虫や鳥のような動物と人の身を重ねます。植物も然り。竹のようにまっすぐに、蘭のように芳しく、梅や菊のように寒い早春と晩秋にも咲き誇りたい。そういう喩えです。
落ちた白百合は、確かに藤英の運命のようでした。
そんな美しさに思いを馳せるとともに、チクリとする思いも。
織田信長という人物が、もっと人の和を重んじ、心を傷つけずに踏みにじらなかったら?
どれだけの人々の運命が、好転していたのでしょう。帝から託された天下静謐ですら、信長は、己の短気と残虐さで逃しているのではないのか? そう思えてくるのです。
室内で、花を前にして静かに佇む光秀にも、そんな思いがあるのかもしれないし、ないのかもしれない。目が離せない最終章の幕開けです。
初期のまだ若い光秀と、信長のことを振り返る。そんな回帰の作りも感じさせます。
稲葉に追われた利三が
天正2年(1574年)秋、光秀は戦陣にいました。
佐久間盛信、細川藤孝と河内国に攻め込んだのです。
敵は三好一党と一向一揆の連合軍。城を落としても、三好康長を逃してしまう。泥沼です。
疲れて戻ってきた光秀に、藤田伝吾が出迎えます。
伝吾の話によると、長島一向一揆は信長がうまく抑えたようです。
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さらに、急ぎお耳に入れたきこととして、意外なことを伝えてきます。
「斎藤利三殿が奥でお待ちでございます」
なんでも、稲葉一鉄の下から逃げてきたとか。
光秀は、高笑いをしていた稲葉一鉄を思い出し、複雑な思いを抱いきます。
伝吾とともに迎えると、利三は平伏していました。面をあげた利三は、誠意のある顔。
光秀は、武名の噂を述べました。姉川での浅井との戦いでも立派な働きをした。長島一向一揆でも活躍をしている。
そのうえで、主君の稲葉一鉄と馬のことで争いになったとか……。
聞けば、利三の愛馬を1貫でよこせと言ってきたとか。100貫でも嫌だと断ったら、顔目掛けて草履を投げつけてきたのだそうで、くやしそうにそう語る利三です。
「それでご主君を捨てようと……」
光秀は困っている。
主君を見捨てぬ藤英。そして己の誇りを守るために、主君を捨てる利三。
藤英は、光秀の過去と因縁があり、利三ははるか彼方の未来に重要な役割を果たします。見事な交錯です。
利三は主君への不満を明かす。
土岐頼芸に仕えておきながら、斎藤道三に乗り換え、そしてその子・高政につく。高政の死後は龍興。信長が勝つとなれば、龍興を見捨てる。
確かに演じる村田雄浩さんが、「どこが一徹だ!」と突っ込んだとされるほど、次々に方向転換しています。
利三はそこが嫌でした。
侍たるもの、そんな己の主君に誇りがなければ、戦で命を投げ出すことはできない!
盾となり戦ってきたものの、草履を投げられもはやこれまでだと思った!
そう訴えるのです。
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光秀は理解し、困惑しつつ、なぜ自分を選んだのか尋ねます。
比叡山の戦の折、光秀のみが女子供を斬るという信長の命に従わなかった。そうできたのは明智様のみ、明智様がご主君ならば、いかなる戦に見を投げうつことができる。
そう思い、ご家来衆の末座に加えていただきたいと訴える利三です。
うーん……。と、光秀は悩む。一周回ってもはや片足突っ込んでいるようなところも感じるのですが、利光に褒め讃えられてもそうそう浮かれないところがある。
自分って、そんなに特別だろうか? そういう迷いがあるところが、光秀の謙虚でよいところだと思えます。
そしてそういう細やかなニュアンスまで演じきる、長谷川博己さんが今回も素晴らしいですね。
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