麒麟がくる感想あらすじ

麒麟がくる第39回 感想あらすじ視聴率「本願寺を叩け」

2021/01/04

天正3年(1575年)――足利義昭を追い払い、勢力を拡大していく織田信長。

しかし、依然として抵抗勢力はいます。

本願寺顕如は、寺領を渡せという信長に徹底抗戦を宣言して、5年間に渡る戦いが続いていました。

天下静謐をめざす信長と家臣たちは、さらなる戦いが続きます。

世界史的にみても、当時は宗教に絡んだ戦争が最高潮とも言えた時代です。

宗教が人心を穏やかにするものなのか? そこには疑問が残るところでしょう。

 


家督を信忠へ

朝廷は信長に対し、権大納言と右大将という武家には異例の官位を授けました。

しかし信長は、岐阜に戻って戦支度を……。帝への情熱はすっかり消えてしまったようです。

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朝廷は岐阜まで三条西実澄を遣わし、どういうことかと問い詰めます。

京には京の理(ことわり)がある――それを伝えにわざわざ来たのです。

なぜ京を離れられた? 右大将に任じられたあとも、任官のご挨拶にも参られぬ。名代として身共がご挨拶申し上げた。これは前代未聞のこと。そう問い詰めます。

信長はシレッと答えます。

武田が美濃に攻め入り、ことと次第では出陣せねばならない。

その返答の態度は、いささか問題ありますね。少しは申し訳なさを出さねばならない場面と言いましょうか。

とことん不器用? それとも敢えてそうしている?

実澄は、もそっと京の朝廷のしきたりに従ってもらわねば、帝を疎かにされては困ると言います。信長は、お越しの儀あいわかり申した、と返す。

いや、わかっているのかどうか。

「まことか?」

疑念を呈する実澄に対し、信長は自分の都合を一方的にガーッと言い出します。

これより先は、京での諸事万端、信忠に努めさせるとして、背後の信忠に挨拶までさせる。

相手の叱責をそのまま利用して代替わりを認めさせる形になっていますね。信忠役の井上瑞稀さんが初々しい跡取りの姿を見せます。

実澄は苦い顔をして、そもそも戦をいつまでするつもりかと問いかける。本願寺との戦が一向に収まらないことを帝も案じているのだとか。

帝と聞いて、信長の何かに火がつきました。

 


なぜ蘭奢待を毛利に?

信長が献上した蘭奢待を毛利に下されたと聞く。

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何故? 毛利は本願寺を裏で支えているいわば敵方。

「そういうお話を聞くにつけ、帝のお姿が遠ざかって見えますが……」

とてつもなく面倒なことになってしまいました。

信長が勤皇であったかどうか、そこは見解が分かれますし、時代にもよるのです。

将軍権力が盤石であった江戸時代が終わり、明治になると、信長は「勤皇」として肯定されます。

明治政府には、ともかく徳川を否定したい意図があった。家康なんて信長のこねた餅をくすねただけの狸だ、信長は勤皇家でえらい!

そんな誘導であり、第二次世界大戦まではそうでしたが、その後は現在諸説あります。本作はミックス路線であると同時に、根底に信長の心があります。

信長はクールで型破りだから天皇すら否定? それどころか、子どものようなピュアな気持ちで傷ついてしまった。

父の織田信秀が尊敬していた帝を自分もそうする。

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そうすれば、きっと愛が通じるはず。それなのに、嗚呼、それなのに、それは結局片想いだった……ハートブレイクですね。

なんだろう、せっかくのプレゼントをフリマアプリで売り払われているのを見つけてしまったかのような。

信長は悲しい。

母に魚を釣り続けても、喜んでもらえない。

父に箱詰めの松平広忠の首をあげても、喜んでもらえない。

公方様にはいろいろ尽くしたのに、結局決裂した。

帝に蘭奢待を贈っても、やっぱり裏切られる。

もう、自分で自分を満足させるしかない!

斬新な安土城を築き、政治の中心にする。天下布武の旗印のもと、目指す世を作る。そんな境地に至ったようです。

心は自分を認めてくれた人に向いていく。

妻であり母のような帰蝶。自分を認めてくれた義父・斎藤道三。

その帰蝶と道三に認められた十兵衛――。

信長という哀しき覇王、愛を求め泣き叫ぶ大きな赤ん坊は、一体どこへ向かうのでしょうか?

最終章、岩本麻耶さんと池端俊策さんの連名脚本です。こまやかな細工でありながら、連名であるあたりに興味が尽きません。

 

本願寺に対する天王寺砦

本願寺南に位置する天王寺砦に本拠を置き、織田軍は熾烈な戦いを繰り広げております。

しかし、そんな中、総大将・原田直政が討ち死にを遂げてしまいました。

もはや打って出ることも、逃げ出すこともできない。窮地に追いこまれます。

慎重な松永久秀は、敵は1万3千、鉄砲も1千挺あると告げる。光秀も、天王寺砦は狭く無理があると言う。佐久間信盛は、信長様が向かっているからにはなんとかせねばならないと言います。

本作は無駄がないので、三者のセリフで状況が見えてきます。

松永久秀:物量差を指摘。本願寺側の物量を遮断できないからには、攻め手が不利になるばかりだとわかる

明智光秀:天王寺砦は狭い。狭いということは、物量の確保が難しく、攻め手の装備関連に不備があるとわかる

佐久間盛信:この口調からは、信長のパワーハラスメント気質が伺える

どういうことか?

織田信長といえば、戦国武将人気ナンバーワンで、ともかく戦が強いとされる。その割にはぬかりがある戦をしているとわかります。

しかも、信長にその意見が通じていない……。大敗、惨劇の予感がしっかり出ている。

ここは他の砦と一体になって動くべきだと光秀が言い出し、久秀も賛同します。

斎藤利三と藤田伝吾が動き出す。

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その伝吾は、光秀の顔色の悪さを懸念していました。腕を負傷したようで、光秀当人は「大事ない」と言うものの、具合が悪そうではある。

丹波攻めからずっと戦ってきて、疲れが溜まっているようです。

 


信仰心の篤い信盛

「大殿様ご到着、ご到着でございます!」

そう告げられると、軍議の場にセカセカと信長が入ってきました。

染谷将太さんの何がすごいって、和服の所作ができている上で、信長の悪い癖、落ち着きのない動きがちゃんと見えるところですね。もう歩く姿を見せられるだけで不安になってくる。

佐久間信盛が慌てます。

「殿、甲冑もつけず!」

おいおい、何をやっているんだ、信長……。

しかし本人はイライラしながら、床を突ついて苛立ちを隠さない。

「何を手間取っておる!」

そのうえで、原田の家来を呼び出し、家臣の中に一向宗の信者がいると言い出し、殴る蹴るを始める。

「本願寺を攻め落とす気などはじめからなかったのであろう! 言ってみよ、言え!」

信長は周囲に止められ、光秀も原田殿に油断があったわけではないと必死に庇います。敵が思った以上に手強く、鉄砲の数も多い。

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嫌な場面です……。信仰心が責め立てられるとなると、誠実そうな顔の佐久間盛信がどうなるか、この時点で見えてくる。

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信盛は信仰心の篤さがキャストビジュアルでも強調されています。佐久間盛信が悪いというより、信長が無茶振りをする未来が見えてきます。

もう支離滅裂だ。

「数ではない、気合が足りんのじゃ! 信者ゆえに鉄砲をこめぬ輩がおったという、これが本気と言えるのか!」

【桶狭間の戦い】では、信長が頭をフル回転させて両軍の兵数を求めていた。

それが今や数字を無視するようになった。危険な兆候です。

 

とっかえひっかえ自ら鉄砲を撃つ

何をぐずぐずしているのか、行け行けと叫び始める信長。皆疲れておりますると反論されても無視だ。そのうえで、これですよ。

「そうか、ならばわしが行こう。いくら数があったとて相手は坊主。坊主に鉄砲だの当たらぬ!」

だからもう無茶苦茶だってば。

敵の中には紀州の雑賀衆が多数います。傭兵として知られた危険な鉄砲集団ですね。

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それに本作の信長は、過去に帰蝶が根来の鉄砲衆を雇ったことで助けられております。あれも坊主だったというのに……。

信長はせめて甲冑をつけて欲しいという要望すら無視して、ズンズンと歩いて行きます。

秀吉も制止も振り切り、戦場へ赴いた信長は自ら鉄砲を担いで何度も撃つ。

ついには左脚に銃弾が当たる。ここで光秀が信長を庇い、地面に伏せさせました。

それでも信長は皆がついていこないことに吠える。光秀はこれしきの傷とジタバタする信長を庇い、砦に戻ろうとするのですが……。

「御免!」

「早う!」

「退けー!」

「離せ離せ離せやめろー、離せー!」

脚を撃たれた信長はそれでも暴れまわりながら、ついには担がれ、砦へ連れて行かれます。

薬じゃ、医者じゃ、そう光秀が指示するのに、まだジタバタと暴れている。まるで子どもになってしまったよう。

最低の上司っぷりを見せつける信長でした。

 

光秀、倒れる

光秀を気遣い水を差し出しつつ、久秀が迎えます。

「十兵衛,無事であったか」

久秀も、近頃の殿には困ったものだとこぼす。

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佐久間殿はじめ、譜代衆は苦労が絶えない。

光秀はそれを聞いていないどころか、倒れてしまいました。

「十兵衛、十兵衛、しっかりしろ十兵衛! 医者じゃ、こっちにも医者を!」

大変なことになりました。

夜、伝吾と利三が慌てて光秀を運んでゆきます。行き先は京都、光秀の館です。妻の煕子と娘のたまが慌てて迎えます。

どうやら受けた傷は浅いものの、毒が入ったのか、弱ってしまった。

しかも大坂の医者は仏罰を怖がって治療をしない。そこでやむを得ず京都まで連れてきたそうです。

こういう戦闘時の傷は金創(きんそう)と言います。

刃物や武器による負傷ですね。細菌感染の危険性が高く、破傷風になりかねない。細菌の知識はなくとも、この手の傷は時に発熱を伴い、大変危険であるという認識は昔からありました。

部屋に運ばれてゆく十兵衛。煕子は着替えず、供もつけず、裸足で東庵の元へ走ってゆきます。

東庵と駒が館へ向かう中、東庵は草履が脱げて慌てる。けれども優しい煕子がそれすら待てない。彼女の慌て方が生々しいのです。

館にたどりついた東庵は、光秀の脈をとります。

そして苦い口調になる。

「これが十兵衛様の脈とは、信じとうはないが……」

駒は鍼を打とうかと尋ねています。

心配そうに、夫の容態を確認する煕子。

「熱があまりに高すぎる……医者としては尽くすが、あとは神仏に御加護くださるよう……」

東洋医学の医療考証が盤石な本作です。光秀の体内でバランスが崩れ、もう手の施しようがないのでしょう。

煕子は決意を固めた目をしてから、一礼して外に出て行きます。

胸をおさえうずくまるところからは、彼女自身の体調もよくないと思えるのですが。

長女の岸も戻っていました。荒木の義父上から許可を得て、戻ってきたのだと。

この荒木の義父上は荒木村重のことです。

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煕子は東庵先生も来たからには心配がいらないと返すものの、煕子は少し辛そうな様子を見せます。

心配する岸に、少し走ったからと言う煕子。父上の側にいるように、たまも安心すると告げます。たまは姉の姿を見て少しほっとしているようです。

 

着物、紅、鏡、そして髪の毛を売っていた

雷鳴が響く中、光秀はこんこんと眠り続けます。

一方、煕子は神社で夫のために祈り続ける。

彼女の胸には、夫から「この十兵衛の嫁になりませぬか」と告げられたあの日、越前で子ができて喜び合ったことが浮かんでいます。

世も更けてゆく中、駒が神社に向かい、倒れている煕子を助けます。

「奥方様、奥方様、いかがなされましたか、奥方様!」

「ありがとう、もう大丈夫……」

そう返しつつ、夫の容態を尋ねる煕子。少し落ち着き眠っていると聞いてやっと安堵しています。

駒は今夜ほど取り乱した奥方様を見たのは初めてだと言います。

越前へ向かう時でも、気丈であったのに。

そう告げると、あれは強がっていただけと煕子が返す。この家を守るのは、武家の妻である私の役割なのだと、自分に言い聞かせ……本当は怖くて仕方なかったけれど。

そんな煕子の頬を涙が一筋、すっとこぼれる。

煕子は数珠を駒に見せます。越前で見せた、光秀の父の形見である数珠です。手放さずに済んだのかと駒は懐かしそうにしています。

煕子は駒に感謝をします。駒が質屋でものを売ることを教えてくれたおかげで助かったと。

着物、紅、鏡、色々なものを売った。売るものが何もなくなったら、髪の毛を切って売ったこともあると告げます。

髪を売ったという言葉に、駒は驚いているのです。

「思ったより高う売れたのですよ、ふふふ……」

数珠をぎゅっと握りしめる煕子。それは自分自身の誇りと、夫への愛を確かめるような仕草でした。

彼女が売ったという着物、紅、鏡、そして髪の毛は、全て女性の美しさの象徴です。

外見よりも、内面で深く思いあう夫妻。これみよがしに名場面として処理するのではなく、ここにきて煕子の逸話として無理なく印象的に入れてきました。

天晴れ見事です。本作のおそろしいところは、死が近づいてくる人が透き通っているように見えてくるところ。

谷原章介さんの三淵藤英もそうでしたが、木村文乃さんも儚い美しさがあります。

といっても、最期の最期まで生命力や生きる執着心があると、その限りでもない――本木雅弘さんの斎藤道三がそうでした。

さて、信長と光秀はどうなるのでしょうか。

 

回復した矢先に信長がやってきて……

竜胆の花が咲く中、煕子が額の汗をそっと拭っている。

と、光秀が意識を取り戻しました。

東庵が呼ばれて脈をとり、にっこりと笑います。髪に白髪が増え、堺正章さんも加齢表現をきっちりこなし、動きがゆったりとしてきました。

東庵がちっとも歳を取らないという意見も見かけましたが、それはちがうと思います。長生きでも、歳は取っていますとも。

光秀は苦しそうにうめきつつも、意識を取り戻したのでした。

それから数日後のこと。

秀吉に案内された信長がやってきます。左脚をまだ引きずっていて、そんな主君を光秀が出迎えます。

「もうよいのか?」

「は、ご心配をおかけいたしました」

二人はそう言い交わします。

この信長は、ともかく光秀が大好きなのだそうです。

だったらもっと気遣えと思いたくもなりますが、信長は絶望的にそういう気遣いが不器用。秀吉は調子よく「明智殿が思いの他元気そうで何よりでございます!」とサラッと言えるのですが。

信長は一方的に持論を展開する。

本願寺を叩くやり方がわかったそうです。毛利水軍が兵糧や玉薬を運んでいる。水路を絶てば本願寺は干上がる。毛利水軍を叩くには、今まで育てた九鬼水軍を使う。そう得意げに語ります。

これには光秀も「妙案でございます」と賛同します。

けれども、遅いんだってば!

なぜ天王寺砦でそれを冷静に思いつけなかったのか? 敵の物資面での優位を光秀たちは進言していた。気合いが足りない、なんてしょうもない根性論に飛びついて、数字の分析も無視してしまった。

用意周到なようでいて、なぜ迂闊になるのか?

軽装で自殺行為のような危険な真似をするのか?

信長の極端な性格――最悪の一面が見えてきます。

しかも、信長はまた杜撰なことを言い出すのです。

 

大和の守護問題がややこしい

原田直政の死で空いた大和の守護に筒井順慶をつける――またもや信長がとんでもないことを言い始めました。

光秀は頬をひきつらせ、それでは大和を長く治めている松永様のお立場がないと指摘。

義昭公同様、火種を撒き散らすようなものゆえに、どうかお考え直しを!

そう言うのですが、これはある意味、義昭以下でしょう。

義昭は、狙って大和の動乱を作り出しましたが、信長はなんだかめんどくさいだけのように思えます。

ここで秀吉が、筒井でも松永でもない「第三の男」案、つまり自分を売り込みます。

こいつの場合、自分を推薦するから駄目です。不真面目すぎる。

そんな秀吉に対しては、信長も、大和の国衆が家柄を気にするからダメだと一蹴。

信長も秀吉も最悪だ……。

自分が気持ちよくなることしか考えていないというか、短絡的というか。

信長は、出自という秀吉のコンプレックスを踏んづけた。

秀吉も自分の出世のことばかり。もっと真面目に提案してください。それで誰かに恩義を売ってもよいでしょうに。

なんだか三英傑のうち二人がアッパラパーになったようにすら思えますが、これは個人が駄目になったというよりも、組織的にタガが外れて緩んでいるということかもしれません。

光秀だって、具合が悪化してしまいそうな顔にもなります。

 

光秀娘のたまに信長にっこり

そんなタイミングで娘のたまが、高坏に菓子を持って入ってきました。

思わず信長はニッコリ。十兵衛に似て器量よしだと言い始めます。

「金柑頭め!」じゃなかったっけ?と思われるでしょうか。それは主人公補正、役得という見方以上に大きな要素があるはずです。

人は、恋をしている相手はとてつもなく美しく見えるものではないですか。

染谷さんも『スタジオパーク』で語っていました。信長はずっと十兵衛ラブ。宣教師も、明智家は皆美形と証言していました。

信長はうっとりとした眼差しでたまを長め、まだ嫁には行かんのかと言い出します。

そしてわしに任せろと言うのです。

「十兵衛、よいか」

「は……」

光秀もちょっと困惑しています。

信長としては大好きな十兵衛、そのそっくりな愛娘の縁談を用意して、親密度を上げたい! 張り切ってますね。

いかにも東洋的な家父長制度って、娘を身代わりにして大好きな男性に接近することがチラホラあるわけでして。また光秀が病になってしまわないかと不安です。

細川ガラシャイメージイラスト
父は光秀 夫は狂愛忠興 細川ガラシャは戦国時代で最も過酷な業を背負った姫だ

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すっかりたまにメロメロになってしまった信長。またここの染谷さんの表情がうまい。安土の城を見せてやると言い出しました。

新しいお城! そうはしゃぐたまに、城自慢を始めるのです。

高い山の上に聳えたち、どこからも見える。高矢倉よりも高い天守を持つ、日輪のように光り輝き、遠くまで一望できる城――。

それをそなたに見せてやる。皆も喜ぶ。そうニコニコと語る信長です。たまが夢のようだというと、夢の城だと信長は返します。

信長は安土城計画でテンションがあがったのか、普請奉行と話を詰めると言い出します。

光秀に対しては、ゆるりと登城しろと言いつつ、去り際にこう放ちました。

「大和の話じゃが、やはり筒井に任せる。よいな」

なんだか絶望的ですね……。

話を聞いていない。信長は子どもに戻りすぎて、極めてわがまま、駄々っ子になってしまいました。

 

面倒事より夢の城が大事

人の欲望はコントロールしなければならない。

美味しいからとお菓子ばかりを食べて、野菜を残すようではよろしくない。嫌いでも食べなさい。そう言わねばなりませんし、大人になったら自分でそうしなければいけない。

「楽しければいいじゃん!」

そうはしゃぎ、自分が楽しむことを第一とし、イベントだのなんだのをやろうとする。そういう人物は、大河の中心に目指すべきロールモデルとして据えてはならないのでしょう。

本作の信長は、悪い例として聳え立っています。

あんなに大好きな十兵衛なのに、気遣うよりも自分のことを話すだけ。面倒だから大和のことはこれ以上考えない。

夢のような安土城を作る!

皆を喜ばせたいという思いを、そんな夢の城に託してはいるけれども、あまりに身勝手でしょう。

NHKの城をテーマにした番組では、信長と光秀の築城を比較していました。信長に対し、光秀は気遣いがあると。あの信長の安土城が、子どものドリームキャッスル扱いになっていておそろしいと思えてきました。

バチカンにも見せてやりたい、東の果てにも、こんな城を築く男がいるということを――そう吉川晃司さんが言い切る『MAGI』との落差に眩暈がしてきそうではある。

ただ、本作はこれで正解だと思うのです。

もう一点……日輪という言葉。秀吉の日輪を押し出すイメージ戦略は、信長の受け売りのようにも思えてくる。

大和守護に自分をプッシュする点といい、このイメージ戦略の借用といい。短い場面のようで、秀吉の底の浅さが見えてくるようではある。

これまた『MAGI』では、最新のグローバルヒストリーに基づく、スペイン・フェリペ2世との対比が描かれているというのに。これまたすごいことになってきた。

 

決して『MAGI』が素晴らしく、『麒麟がくる』がせせこましいということではありません。

『麒麟がくる』は、人の心、その機敏を、細工もののように扱う繊細な美しさがあります。これはこれで最新鋭の歴史の捉え方でしょう。

そしてこの演技です。前述しましたように、NHK『スタジオパーク』に、染谷将太さんが出ておりました。

VTRでは長谷川博己さんと佐々木蔵之介さんも出ておりました。佐々木さんを見て、京都ことばのさわやかなイケメンだと思いました。いや、本来それで正解なのです。

それがどうして、秀吉を演じていると、こうもいやらしくて、胸の奥から不快感が湧いてくるのだろう? 油断ならないと眉をしかめてしまうのだろう?

役者の素晴らしさ、恐ろしさを痛感させられます。

このあと、秀吉はシレッと信長に明智様とお話がしたいと言います。

しかも、話題は愚痴でした。殿が最近暴走気味だというのです。

愚痴だのゴシップは、人間関係をつなぐものともなります。よい話や噂以上に盛り上がる定番のネタと申しましょうか。

いくら技術が進化した現代だって、SNSはそういう使い方をされてますよね。

秀吉がこうしてユーモラスにボヤき、周囲を手懐ける手法も見えてきます。

ただ、光秀には通じない。不快そうな顔をして、ため息をつくばかりでした。

 

家康は薬酒を作り

さて、三英傑最後の一人は?

三河の駿河城で、薬酒を作る様が見えてきます。

お正月にお屠蘇を飲まれた方もおられるでしょう。あれはもともと『三国志』でもおなじみの名医・華佗が処方した薬酒。正月に一年の健康を願い飲んだ習慣です。

今なら屠蘇散(とそさん)を簡単に入手できますが、全部揃えるとなると面倒な薬の材料が入っています。現代では、せいぜい正月のお屠蘇、あるいは市販の養命酒くらいしかパッと出てきませんが、家康の頃は健康の基本。いわばエナジードリンクでした。

コロナが猛威を振るう中、アジアは欧米と比較してやや軽いとはされます。

方方『武漢日記』には、コロナによって東洋医学が息を吹き返したと語る人物について記述があります。

軽んじられがちな東洋医学ですが、実は何かあるのかもしれない。そこも考えつつ、医事考証をしている本作を見ていきたいところです。

ただ、味はどうかというと好みが分かれるところ。

調合も面倒。スタッフだって薬草や酒器の準備は大変でしょう。手抜きをしないよいドラマですね。

そういう面倒なものを日常的に飲んでいる家康は、一体どういう奴なのかということでもある。

信玄の死後、まだまだ手強い勝頼に目を光らせているからには、いつでも健康でいたいのでしょう。

言いたいことも、わかる。

良薬は口に苦けれども病に利あり。忠言は耳に逆らえども行いに利あり。

【意訳】よい薬は苦いけれども、効果あり。忠言は聞いていて嫌だけど、行動を修正してくれる。

何気ない場面ではあるのですが、興味深い。

敢えておいしくもない薬酒を飲む家康に対して、光秀の忠言を駄々っ子のように無視する信長は、何かが違うのですね。

 

冷え切った夫婦仲が浮き彫りに

そんな家康の側には、妻の築山殿がおりました。

長篠の戦以来、信長殿は三河を一顧だにしない。そう不満を見せています。

ただ、それを言うのならば家康も不満そうではある。

信長様は手がいくつあっても足りぬのだと彼女の申し出を一蹴します。

築山殿は鈍感なのか。夫の気持ちがわからない。

信長が比叡山を焼き討ちにし、本願寺を攻める神仏をもおそれぬ修行に恐れおののいています。

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その上で、そのご息女に松平信康も脚をすくわれねばよいと言い出す。

「もうよい」

家康の我慢も限界の模様です。

嫁姑のしょうもない争いの材料に信長を持ち出され、軽蔑と嫌気が頂点に達したのでしょうか。説得する気力もない。

だって、今はその信康と徳姫の間に子が生まれようとしているのだから。

ここでめでたく子が生まれたと、侍女が告げてきます。

姫君でした。ここで家康は母である徳姫を気遣います。それなのに築山殿は世継ぎはお預け、役に立たぬ嫁御だとチクリ。見舞いに行くと立ち上がります。

家康と築山殿は、仲が冷え切っているとわかる秀逸な場面でした。

理由は理解し合えないこと。

家康からすれば、信長との関係悪化につながるような嫁の扱いは困るのに、妻には通じない。妻に説得する気力すら湧いてこない。

この家康の不健全なところは、相手が状況を察知しない鈍感さに苛立っているばかりか、徹底して冷たいと思えるところ。以心伝心である光秀と煕子夫妻と比較してみると明らかですね。

 

頼りになるのは信長よりも光秀か

家康は、実はそんなに優しい性格でもない。

織田での人質時代、信勝は将棋相手として弱いと見下しているようなところすらありました。家康はあの時点である程度完成していたのです。

自分より鈍感であったり、愚かだと思った相手には冷たい。『おんな城主 直虎』における家康と築山殿の関係とは真逆の、冷たい破滅が見えてきます。

家康は前述の通り、幼い頃には彼の基礎ができていて、父・広忠の斬首という最悪の事態ですら、冷静に対処してしまいました。

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築山殿と信康が倒れたところで、淡々と対処する姿をあの頃から想像して、こわいものはあった。

ただ、それはそれでとても悲しい宿命だとは思えるのです。

どうして泣けない?

どうして悲しいと思えない?

そう心が震えるよりも、冷静に考えて利害を損ねない決断だと思えてしまう。

そんな自分の冷静さが時折どうしようもなく嫌になってくるかもしれない。愚かなほどに情熱的になって、誰かを心底愛したり、憎んだりしたいのに、それもできない。

そういう家康の心の機微を想像するのもまた一興です。

家康は立ち上がり、縁側に向かいこう言います。

「来ておるか」

そこには菊丸がいました。

京の様子を聞かれ、菊丸は大和の守護に筒井順慶がつくと告げます。

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その件で松永様の動きが気になる。御家来衆も譜代と新参で意気の違いがあるとも。そして家康はこう聞きます。

「して信長様は、今この徳川をどう見ておられる?」

「正直に申し上げても?」

「構わぬ」

今は三河のことなどお忘れではないかと。今は新たにお築きになる安土の城のことで頭が一杯のご様子……そう菊丸は報告します。

そして、信ずるに足るとすればやはり明智様とも告げるのです。

いろいろと謎は解けます。家康が築山殿の言葉に苛立った理由は、家康も薄々感じていることを彼女が突いてくるところにもあったのでしょう。

そして信玄の死を信長ではなく、内密に光秀へ知らせたことにも納得ができます。

「そうか、やはりな」

冷静に言う家康。彼のおそろしさ、聡明さ、冷たさよ。麒麟を呼び寄せるに足る者としての風格もそこにはある。信長、秀吉、そして光秀に足りないものもあるようです。

家康は盤面を見るように冷静に判断し、信長が一顧だにしないことも受け止める。

妻との間には理解がまったくない。信長家臣団の不穏な様子から、次に起こることを読み取ろうとしている。本作の三英傑は、三者三様に個性があり、全員おそろしいものがあります。

適材適所の役者を配置したということも、改めてわかります。

 

凄みを増していく家康像

家康は血も涙もないわけではありません。

母、祖母への愛。生まれてきた孫への喜び。そういうものはあるけれども、それを感じていない、あるいは軽蔑が混ざってしまう築山殿との落差がすさまじいものがあります。

自分にはちゃんと愛があると確かめるようなやさしい声音とまなざしを、孫の誕生を聞いて見せる。

けれども、そのすぐあとに「もうよい」と築山殿を嗜めるときは、ゾッとするほどの冷たさと軽蔑がある。

風間俊介さんが家康としてどんどん成長なさっている。

貫禄がつき、顔つきもふてぶてしくなり、声音も深みが出てきました。一目で聡明であるとわかる点は同じで、それがより一層深くなってゆく。

演じる彼のみならず、演じさせる現場も本気。衣装,結髪、演出、カメラワーク。何もかもが気合十分です。

斜めから横顔を撮ると、彼の鼻梁の線が綺麗に映える。そういうポイントをビシッと見せてくる撮影が素晴らしい。

東洋の時代劇となると、髭と結髪が課題だと思います。

現代風に前髪を落とすとか、髭を断固無視するとか。そういう『天地人』あたりの模索はもういらない。むしろ時代遅れで、それを続けると韓流と華流に食い尽くされて無惨なことになる。

それをNHKも見出したのか。

演者の骨格,顔の形、肌の色……そういうものを研究して、一番よい結髪や髭を決めていると思えます。

時代劇は若い役者が髭を伸ばす年代になることも課題なのでしょうが、風間さんは髭によって端正さを極めてしまったと思えます。

演じる側も、演じさせる側も、何もかもが計算を重ねた結果、すごい家康像ができあがってゆく。まさに芸術でしょう。

 

イベントスルーの是非

【長篠の戦い】はセリフで流されました。

これを「スルー」とするのはどうでしょうか。

どうにも「ナレ+イベント」とか「スルー」という言葉が定着しましたが、見る側に変な偏見を刷り込みそうな気がしています。

予算や尺の問題もあるのでしょうが、戦いを描くことで物語の焦点がずれてくることはあります。

歴史ファンは自分が好きなイベントや人物を入れて欲しいと願うもの。それが悪いとは言いませんが、そのことばかりに目配せして、制作陣が振り回されると物語の芯や根幹が揺らぎかねません。

あまりそこは突っ込みたくはないところです。

奥羽越列藩同盟の戦争をほぼスキップとか、あまりにわけがわからなくなったら別ですが。むしろ有名すぎて結果が明白なものは飛ばすのはアリかもしれません。

中国語圏『三国志』作品でも、魏視点の物語では【赤壁の戦い】を飛ばすことは当然の描写として定着しています。

別に大敗北の隠蔽という意味ではありません。どのPOV(Points of view/視点)に立つかを考えていくと、わかりやすくなることもあるというわけですね。

本作は出演者もスタッフも、毎週のように「新たな視点」での描き方を強調しています。

インプットを豊富にして、膨大なデータから仮説を見出すことは大事。とはいえ、間違ったデータやインプットならばむしろ邪魔になります。

過去の大河や本能寺黒幕説は、いったん忘れた方がよいのかも。

織田信長(左)と明智光秀の肖像画
なぜ光秀は信長を裏切ったのか「本能寺の変」諸説検証で浮かぶ有力説

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本作は「長篠では物量差をうまく使い、鉄砲の威力を痛感している信長が、天王寺砦でどうしてあんな愚行をやらかしたのでしょう?」と投げかけている気がします。

人とは常に完璧に振る舞えるものではないにせよ、あの信長はあまりに情緒不安定でした。

慢心か?
焦りか?
それとも?

 

左馬助が呼んだ伊呂波太夫の一座

京では、光秀と入れ替わるように煕子が胸の病で床にいました。

幼い嫡男の十五郎が母の傍にいます。

そこで賑やかに、鬼に扮したものが庭にやってきます。伝吾が弓で射るふりをします。

今、何かと話題の鬼。その鬼とは何なのか、想像するのもおもしろい。

病か、それとも人の心に巣食うものか?

その様子を光秀が見て、どこの祭りかと思ったらこちらであったかと言います。駒と左馬助が伊呂波太夫の一座を呼んだようで、光秀は駒に礼を言います。

煕子はうれしそうに「私の顔色がよいと皆申します」と語るのです。よい祭り日和だと。

左馬助が駒様から習ったと不器用な舞を見せ、岸が「手はこうでございます」と指摘。

間宮祥太朗さん演じる明智左馬助の何がすごいって、父・明智光安を思い出させるところでしょう。

明智光安
明智光安の生涯|光秀の叔父とされる謎多き武将は明智城を枕に討死す

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明智左馬助の生涯を描いた記事。光秀の親類にして福知山城代を任された武将はいかなる生涯を駆け抜けたか。
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あの叔父上の子なのだと思えて、それでいて爽やか、清涼感があります。

この作品の明智家臣団は、出番がそこまで目立たないようで、味があって欠かせない、大事な人たちです。

「うおーっ、病魔退散!」

そう言い、楽しむ明智家。このご時世ともなると、いろいろ考えさせる場面です。

煕子の神社での祈り。そしてこの病魔退散。こんなことをしたところで、病気は治療できません。

東庵や駒、そして家康が得意とするの東洋医学とちがい、理論の裏付けはない。迷信であり、気休めにすぎないもの。

だからといって否定できるのか?

新型コロナウイルスの影響で初詣がない。神仏に祈ることすら制限される中、重大な問題提起にも思えます。

 

煕子の死

その夜、光秀は眠らずにいる煕子を見ます。

「寝ていなくてよいのか?」

「あまりに楽しかったものですから、まだ余韻に浸っていとうございます」

そっと上着を掛けつつ、部屋を片付けていたら出てきた温石を見せる光秀。結婚する前に、煕子が渡したものでした。

驚く煕子に「ずっと持っていた」と光秀は言います。

煕子は夫婦の思い出を振り返ります。坂本城に連れて行ってもらったこと。夢のようだった。

越前の暮らしは子どもたちも幼く、苦労があったこと。

光秀は留守を守った妻に感謝の言葉をかけます。

「十兵衛様」

「なんじゃ?」

「ずっと思うておったことがあります」

煕子は越前に向かう道で、駒が言っていたことを語ります。世を平らかにする者が現れたとき、そこに訪れる生き物のお話。

麒麟がくる――。

「私は麒麟を呼ぶ者が、十兵衛様、あなたであったならと、ずっと、そう思っておりました。あといくつ戦をしのげば、穏やかな世が見られるのでしょうか? 岸やたまの子は戦を知らずに育つでしょうか?」

ずっとこうしていよう。光秀はそう言い、妻の体を抱き寄せます。

「眠くなりました……」

天正4年(1576年)秋、光秀の妻・煕子はその生涯を閉じました。

娘時代の煕子は光秀の前に、花びらを撒いていました。

眠りに落ちる場面にも、花びらが舞っています。

光秀は麒麟を呼んだのか?

麒麟がくる道に、この夫妻は花びらを撒いたようにも思えます。その花びらを踏みしめて、麒麟はくるのでしょう。

人は何もかも手に入れられるわけではありません。

麒麟を呼ぶ者となった家康は、美しい花びらを撒く天女のような存在は知らない。出会うことはない。そういう美しく、あたたかい存在とは無縁のまま生きることになる。

麒麟を呼び、天下人となる、そんな【守成】の英雄の宿命であり、天からそうさだめられたのであれば、仕方ないのかもしれないけれど。

最終章に突入し、人の繊細で美しい心の機微が展開されてゆきます。

 

MVP:煕子そして築山殿

圧倒的に美しく、儚い煕子。

主人公の妻にしては目立たないようで、地味で、保守的な理想像のようではあった煕子。

一周回ってこれが正解だとは思えます。

もう、わざとらしく木の枝に登ったり、暴れ馬を止めるヒロインはいらない。そう思える女性像でした。

とはいえ、無個性ではない。

花を撒いている彼女は、天女のような無邪気な美しさ、清らかさがあった。その奥にあった不安や切なさが一気に流れ出す、圧巻の美しさでした。

煕子はいい。そう思える引き立て役として、築山殿がうまいスパイスとなっています。

彼女はきわめつけの悪女でもなく、悲劇でもなく、ただありがちなすれちがいだと短い場面でわかります。

築山殿の語り口は一方的で、賢そうにも思えず、そして家康はまったく歩み寄ろうとすらしていない。冷たい断絶があり、おそろしいものはあった。

あの断絶あればこそ、光秀と煕子の愛は美しいと思えたのです。

本作はおもしろい。土田御前と信長にせよ、築山殿と家康にせよ。こう言いたくなる。

「彼女が悪いということになっていますが、あなたはそもそも、彼女を理解して歩み寄ろうと努力しましたか?」

やってられねーし! そんなことよりやることあるんですよ……そういうムカつく言葉まで想像できると言いますか。

本作の三英傑は、何かを得る代わりに人としてとても大事な何かが欠落しているようで、目が離せません。

彼らの周囲の人々は、それを見せてきてくれます。

 

総評

越年放送の中、出演者とスタッフは、いろいろと語ってくれています。それを読むことも楽しめる、そんな熱い展開が続きます。

ふと一年前のことを思い出す。

斬新だった2019年に対し、2020年は手垢のついた題材、ベテラン脚本家、お約束まみれのつまらない作品になるはずだと。

さにあらず!

最先端、世界基準の歴史劇が堂々と登場しました。

残り数回なのに、こんなに毎週斬新で楽しめるドラマはそうそうない、稀有なことだと思います。

大河が今後も安泰だとすれば、本作はまさしく中興の祖たりえる作品でしょう。

長谷川博己さん以下出演者。池端俊策さん以下スタッフも、芳名を残すのではないでしょうか。

今年の年末年始は、NHKのドラマ作りのレベルが高いと証明されました。

時代劇のレベルもあがり、かつ育てたい若手も見えてきました。門脇麦さん、中川大志さん、大島優子さん、溝端淳平さんがそうではありませんか? 期待が高まるばかりです。

◆2020−21 NHK年末年始ドラマ感想(→note

そういえばこんな番組がありました。

◆ <戦国大名総選挙>今夜“最強の男”が決定! 4時間にわたる生放送 出演者1位予想は「織田信長」が最多(→link

特に興味はないようで、今年はまた別。というのも「どうして」信長が一位になるか、そこが気になるのです。

投票する人全員が織田信長の最新研究を踏まえているわけでもないでしょう。むしろ知名度や広報戦略の結果とも言えます。

以前、伊達政宗について調べていて、彼の人気は幕末の戊辰戦争敗北以降、落ち込んでいた東北人のプライドをあげるために、アイコンとして託された要素もあるとわかりました。

同様に、織田信長の人気にも日本人特有の意識は託されている。

世界史的な視点で見ると、最重要な戦国大名は徳川家康で間違いありません。三世紀近くに渡り、日本人の精神性を決定づける時代を作り上げたのですから、それは当然のことです。

家康の人気がそこまででもなく、信長がこうも人気を集めるとなれば、そこには願望なり理想が入っているはず。

織田信長は最強だから、エリザベス1世にだって圧勝できるといった文章も見かけることがあります。エリザベス1世の強みは海軍力であり、陸戦力の信長との対戦は、前提条件にそもそも無理があると思いますが、それはさておき。

話を『麒麟がくる』にしますと、鉄板人気をイージーに掴みにいくのであれば、こういう日本人多数の脳裏にある、かっこいい理想の信長像をイケメンに演じさせればそれでよかったとは思うのです。

そういう像を捨て、童顔で愛嬌があり、それでいて怒りっぽくどこま挙動不審な信長にした。このことそのものが『麒麟がくる』の先進性であり優れた点だと思います。

それを日本の大河ドラマがやりきった。それだけでも、本作には大きな意義があります。

大河の歴史は、今年ではっきりと変わったのです。

リアルタイムで見られて幸運でした。

社会がなんとなく求める最適解よりも、作り手がハッキリとこれだと言い切れる答えがよい。そんな力強さを感じるのです。

最後に、クランクアップした方にでも。

【長谷川博己さん(明智光秀役)コメント】

みなさま、本当に本当にお疲れ様でした! まだ実感は湧かないのですが、とにかくクランクアップできて本当に安心しました。長く険しい道でしたが、出演者、スタッフのみなさんひとりひとりに、感謝の気持ちをこめて「ありがとう」と伝えたいです。スタッフのみなさんのプロフェッショナルさが本当にすばらしくて感服しました。

大河ドラマは日本の文化なんだとすごく感じましたし、絶対これは続けていきたい、後につなげていきたいと思いました。現世でも、麒麟がくる世を願って。みなさま、本当にありがとうございました!

【制作統括・落合将氏のコメント】

長谷川博己さん、クランクアップ本当におめでとうございます! 長い長い間、明智光秀を演じていただき、その苦労と重圧は大変なものだったと思います。

思えば、新型コロナウイルスによる撮影中断・放送中断という前代未聞の出来事をはじめ、実にさまざまなトラブルが降りかかってきた大河ドラマでした。しかし、どんなトラブルが起こっても、長谷川さんは池端俊策先生の世界観を強く信じ、池端さんが紡ぎだす明智光秀像と自分なりに格闘し、この物語を現代に送り出す意味を常に考えながら、ぶれない姿勢でチームを引っ張ってくれました。

大きく身を削ったであろうその長い長い闘いは、完成した作品の中の光秀の芝居にすべて現れていて、この21世紀版戦国叙事詩ともいえる大河ドラマの中心で特別な輝きを放ったと思います。あたかも、苦しい生きざまの中に矜持を示した、実在の明智光秀のように…。

大河ドラマは日本の文化――そういう危機感が『麒麟がくる』を特別なものにしていたと思います。

斎藤利三役の須賀貴匡さんも、継承することの大切さを語っておりました。やはりそうか! 個人的にもそう思うところがあります。

時代劇は、ここ数十年で衰退に入りつつありました。

明治以降でも日本人はずっと時代劇を愛してきたにも関わらず異常事態だと思えたほど。

第二次世界大戦後、武士道の悪影響を問題視したGHQは、時代ものを規制しました。その規制のあと、時代劇はしぶとく蘇りました。

それがだんだんと衰退の兆しを見せてゆく。

日本人の娯楽の変化なのか。

要するに、じいちゃんばあちゃんが楽しむダサいものとして消えてゆくわけです。

けれども……それは見込みちがいであったのではないか、と思います。

日本人が時代劇離れをしていく中、韓国のテレビドラマスタッフは九州の電波を受信し、自国の歴史でもこんなものが作れないか考えておりました。

中国でも、解放が進めば香港や台湾の時代劇を吸収するようになる。文革の影響もあり、時代考証が甘い作品が多かったものですが、2020年代ともなると、韓流と華流時代劇が日本を直撃しています。

チャングムはちょっと古いかな? 今は新羅の花郎とか、いろいろあるよね! イケメンは弁髪だろうがいい! BLもあるし!

韓国も中国も時代劇がどんどん進化しているのに、日本だけ停滞する。悲しいかな、そういう構図がありました。

なんだ、若い世代だろうと、時代劇好きだったんだ。そういう衝撃がある。

かつて北大路欣也さんや松方弘樹さんが時代劇のイケメンとして人気だったもの。そういう需要はある。時代劇のイケメンは本来人気がでるはずだった。

だって『無双』も『BASARA』も『刀剣乱舞』も人気じゃないですか。

VOD時代だってある。

日本のファンだけでなく、海外のファンが韓流と華流時代劇にハマっているわ。 VODも日本史題材にするわ。『MAGI』からは時代劇スタッフが海外に流出しているのではないかと、不安が募ったものです。

そういう焦燥感――時代劇を、大河を、流出した仏像、浮世絵、日本刀のようにはしないことに、ついに現場が目覚めたのでしょう。

だからこそ、プロとしての仕事をした。

長谷川博己さんは、そんな綺麗な水を与えられた花として、立派に咲き誇った。

お疲れ様でした。輝けと送り出されて、本当にそうなって、皆を率いて飛んで行った。素晴らしい、歴史に残ることを成し遂げたと思います。

長谷川博己さんと同世代以下の役者さんにとって、特に意義がある貴重な作品だと思えるのです。

かれらの世代にとって、大河はどんなものだったのか。『独眼竜政宗』といったピークを超えたあたりから、迷走があったとは思えます。

原作の枯渇。

トレンディドラマやバラエティ番組に寄せるような、軽快な演出。

緒形拳さんや渡辺謙さんのように、時代を代表する主演が生まれにくくなってゆく状況。

そもそもが、時代劇や時代小説、時代物フィクションへの目線が変わっていった。

露骨な話題や二番煎じ狙い。純粋に良い物を作るというよりも、忖度や迎合を感じる不可解な作品もある。

大河出演者が「ご近所のおばあさんに声をかけてもらえた!」とか「祖父母や親が喜んでくれた」と語ることは、微笑ましいことだと思ってはいました。

けれども、なにかちがうのではないか?

ご自身が、腹の底から湧き上がってくる情熱、こういうカッコいい像を演じ切ってやりたいという欲求。

あとに続く役者たちにこれが俺だ、これが私だと叫びたくなるような何か。

出演で人生が変わったと言い切れるほどの劇的な何かも、あってよいのではないかという気持ちは湧いてきました。

けれども、現実は厳しいと言いますか。

2000年代あたりからは、大河主演でむしろ評価が下がる、低迷責任を背負わされる。嫌な流れができているようではあった。

そろそろ、大河には原点回帰して欲しかった。

主演が文句なしに輝いている、そういうものが見たかった。

視聴率のことは、オンデマンドやBSもあるので、回復はそもそもが難しいと思います。

今年は前年の低迷や、岩盤視聴者層の流出の影響もあったでしょう。けれど、その数字以上に、役者やスタッフのみなさんが、揺るぎない誇りを得られることが大事だと感じるのです。

本作に出演したことで、時代劇でも演じ切ると証明し、成長し、ますます存在感を増した方。

くすぶっていたキャリアを大きく好転させた方。

そして後の世代に技術を継承させた方。

この大河に出て、自分は変わったと言い切れる役者さんがいる。スタッフの皆さんの努力、誠意、そして成長も伝わってきました。

この大河は、2020年代の扉を開き、大河の危機を乗り切る一歩となったと思います。

思えば一年前、十年後に大河ドラマはなくなっているのではないかと危惧していたものです。

そんな危惧を吹き飛ばすどころか、希望を残してゆく。本作は紛れもなく偉大でした。大河という枠に、麒麟を呼んだ。そういう作品になると思えるのです。

クランクアップを迎えたみなさまはお疲れ様でした。まだ終えていない方は、御武運を。


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【参考】
麒麟がくる/公式サイト

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武者震之助

2015年の大河ドラマ『花燃ゆ』以来、毎年レビューを担当。大河ドラマにとっての魏徴(ぎちょう)たらんと自認しているが、そう思うのは本人だけである。

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