『鬼滅の刃』伊之助マスク/amazonより引用

この歴史漫画が熱い!

『鬼滅の刃』ハラスメントがうぜぇ!と言う前に……対処法を考えよう

2020年に完結した『鬼滅の刃』は、少年漫画の歴史に残る大ヒットを記録。

劇場版も含めてもはや社会現象となったことから、ある問題まで噴出してきました。

キメハラです。

「鬼滅を理解できないとは、ダメなやつだwww」という『鬼滅ハラスメント』の略語であり、同時に「逆キメハラ」という概念も出てくるほどで、

◆キメハラとは?「『鬼滅の刃』ハラスメント」という概念の誕生に、様々な意見(→link

◆ 鬼滅ハラスメント問題 作品に苦言呈す“逆キメハラ”も?(→link

上掲の記事のように2020年11月頃からメディアでも盛んに取り上げられるようになりました。

こうしたキメハラに対する私の対処法は超単純。

鬼滅の話題になったら徹底して話をそらします。

天気なり、かわいい猫画像なり、世の中には無害で波風の立たない話題は豊富にあり、意見が対立して不毛なヤリトリをするぐらいなら、冨岡義勇のように振る舞ってしまった方が楽なんですね。

内心では

『俺は(※あなたと話せるくらい口達者でフレンドリーな)鬼滅読者じゃない』

『無理な話だ。鬼滅の話題が人の心を荒らす限りは』

ってなノリでしょうか。

冨岡義勇
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もちろんそれが正しい方法だなんて1ミリも思っちゃいません。

『鬼滅の刃』は歴史作品として考察が緻密で興味深く、できれば子どもだけでなく大人にとっても良き歴史教育のテキストとしたい。

ゆえに声をあげて言いたいのです。

キメハラにはこう対処せよ!

てなわけで、よろしければ最後までお付き合いください。

※文中の記事リンクは文末にもございます

【TOP画像】
『鬼滅の刃 伊之助 マスク』(→amazon

 


【自信過剰】からの【ハロー効果】

今や知名度バツグンの『鬼滅の刃』。

どんな記事でも読まれる傾向にあるようですが、いささか違和感があるのが

【劇場版の情報だけで“解析”している記事が出てくる】

ことです。

映画『鬼滅の刃 無限列車編』徹底考察レビュー SNS社会の夢現境界線

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記者のプロフィールを見ると、有名大卒だったり立派な職歴だったりして、一読者としては『なるほど、賢い人が言うからにはきっとそうなんだな……』と思ってしまうかもしれません。

しかし、意地悪な見方をしますと、本業で優秀な方ほど「少年漫画はしょせん子供向け」というスタンスに陥りやすく、いわば【自信過剰】な立場から分析している可能性が否めません。

有名な人に何かを語らせると正しいと思える――これを【ハロー効果】と呼びます。

『鬼滅の刃』で喩えてみましょう。

胡蝶しのぶが大手新聞のインタビューに応え、「腕力を使って鬼を斬首する方法」を語っていたとします。

それを読まれてどう思うでしょう?

『さすが柱は違う! 私も真似してみよう!』と感じるか。

『しのぶは力が弱くてそんなことできないでしょ?』と即座に疑問を呈するか。

著名な新聞だし、肩書のある人の言葉だし、その内容に間違いは絶対ない!となりがちですよね。

胡蝶しのぶ
胡蝶しのぶと蝶屋敷はシスターフッドの世界なり『鬼滅の刃』蟲柱

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【バイアス】そして【ダチョウ効果】

『鬼滅の刃』は非常に複雑で、描写一つとっても、その背景には著者の知識や配慮が散りばめられている――。

そんな話をすると、苦笑されることがあります。

「ないない、気のせいw だって、子ども向けの漫画でしょ?」

「往年の少年漫画の傑作と比較してごらん」

「今どきのヒットなんて、ただのウケ狙いで考えが浅いものだから」

となってしまい、たとえコチラが証拠となる描写や事例を提示しても、これを覆すことがなかなかできません。もちろん私の説明が拙いこともありますが、実際、同様の心理状態に陥ったレビューもよく見かけます。

もちろん感想は人それぞれですから何を語ろうと自由です。

ただ、彼らが陥っている心理状態を考察しますと【バイアス】と【ダチョウ効果】が見られます。

【バイアス】とは、偏見のこと。

『鬼滅の刃』での典型例としては、子どもの姿をした累なら楽勝だと油断し、即座に返り討ちにされた“サイコロステーキ先輩”が該当しますね。

では【ダチョウ効果(オーストリッチ効果)】とは?

都合の悪い状況に遭遇した人間が「気のせい、考えすぎ、そんなことない!」と耳をふさいで“否定”してしまうことを指します。想定外のことを「ありえない」と決めつけてしまうんですね。

善逸は臆病なようで、この【ダチョウ効果】に陥っています。

彼に甘い言葉をかけて騙してくる女性たちから、怪しい気配を感じても見なかったことにした結果、借金を背負ってしまいました。

各人の記事や意見から

◆程度の低い少年漫画ごときに(【バイアス】のかかった状態)

◆深い意味なんてないぞ!(【ダチョウ効果】)

という気配が漂っていたら、距離を置いてよいでしょう。

 


【臭いものに蓋】をしてきたフィクション

ネット上では、こんな意見を見かけました。

アニメ『鬼滅の刃』を、子どもたちと一緒に見ています。

けれども、気になることがあります。

主人公の炭治郎はどうして「俺は長男なんだから」と自分を奮起させるのでしょう? 錆兎が「男なら」と言うところも嫌でした。

子どもの教育に悪影響が及ぶのではありませんか?

そこは別に「男だから」と言う必要はないと思います。

私個人の意見と前置きしておきますが、こうした意見には完全に反対です。

どうしてワニ先生が「長男であること」を特別視するか?

そこまで考えてみて意味があるのではないでしょうか。

炭治郎の長男としての自意識は、風呂のぞきやスカートめくりといった、プロットに関係のない無駄なサービスお色気シーンとは別物。「隠せばいい、変えればいい」という性質のものではありません。

長男であることは関係あるのか、ギャグやズレた天然ボケと解釈する感想もしばしば見かけます。

では、どうしてそのような意見になるのか?

それだけ現代の読者が「大正当時の長男」というポジションに対する知識が薄れてきている証でしょう。

家制度があり、かつ徴兵制もある作中の時系列では、家庭内における長男と、それ以外の子とは明確に扱いが違いました。

『鬼滅の刃』ではマイナス面が強く出ています。

幼いのに家を背負わされ、弟妹のために早くから働かねばならず、苦労も多いものです。

一方で長男にはメリットもあります。

家を継ぎ、妻を娶り、ちょっとよい食事を食べ、勉強もさせてもらえる。そして徴兵からも逃れることができる。よって生存率が二男以下、女児よりも高い。

産屋敷家のきょうだいも、男児だけ特別扱いされていました。

いずれにせよ、現代では考えられない家制度が強固だったからのこと。

もしも長男への特別扱いを削除すると、臭いものに蓋をするだけで、かえって作品のテーマがわかりにくくなります。ハッキリ言いますと、余計なお世話なんですね。

大正時代だけど、長男にはプレッシャーがないという描き方をすることは歴史修正です。

少年漫画だろうが歴史ものであるからには、そんな小手先の修正は全くもって不要どころか有害です。

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ではなぜ「長男」の描写をイヤだと感じる人が出てくるのか。

その理由を推察しますと……。

時代もののエンタメ作品は、日本人にとって定番の人気コンテンツでした。

炭治郎たちの生きた時代は、庶民でも武士道精神を持って生きていくよう喧伝されたものです。桃太郎のような童話や童謡にも、異国を攻めて勝ち誇るようなテーマが込められていました。

しかし第二次世界大戦後、GHQはその弊害を察知し、禁止措置を取ります。

そしてそれが解禁されたあと、創作者たちは誰からも強制されるだけではなく、残酷な時代物を生み出してゆきました。

なぜなら彼ら自身が、長年親しんできた時代ものには有害なものがあったのではないか?と、問いかけたのです。

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1970年代あたりまでは、そうした暗い武士道を扱う作品が、映画、小説、漫画でも多いものでした。

それが段々と古臭いものとして敬遠される時代が到来するのですが、現代の作品でも、当時の雰囲気をまとったものがないわけではありません。

山田風太郎・せがわまさきのコンビ。

あるいは意識的にそうしている山口貴由『シグルイ』や『衛府の七忍』です。

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反対に、1990年代の大ヒット時代物少年漫画である『るろうに剣心』も例に挙げてみたいと思います。

あの作品は、めんどうな思想を排除するべきだと考えた編集部の意向もあり、明治初期という時系列にされています(明治初期の方が幕末よりもむしろ政治的だとは思うのですが)。

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連載当時のヒットの法則ですから、その是非は問いません。

同じ作者である和月先生の作品でも、るろうに剣心よりも後に発表されたものは、近現代史の暗部を取り扱うようになっています。

なんせ1990年代前後は、明治・大正・昭和前期の苦労話など避けて通りたい“ダサい”ものでした。

若者の祖父母や曽祖母世代が「今時の若いもんは……」と説教の枕詞にする。そんな認識が社会にはあったのです。

けれども、そこから歳月は流れました。

『鬼滅の刃』を見る子どもたち――その親世代が忌避してきた明治大正昭和の暗部が、今の子供たちの前には提示される時代です。

現在30~40代の親世代は、自分たちが鑑賞してきた時代もの作品が、どれだけ漂白され、暗部を消し去っていたか、あまりに無自覚な可能性が高いです。

先程の「長男」や「男」という表現に対する嫌悪感もその一つでしょう。

表現規制やレイティングへの取り組みも、海外と比較すると曖昧でした。

海外で翻訳出版される日本の漫画作品は、レイティングがつくことが多いとされています。

グロテスクな描写、性的な露出。

そういう区切りを不自由と感じる方もいることでしょうが、海外では基準がシッカリしているために、R18作品ともなればかなり好き放題な描写ができます。

日本はそうした基準が曖昧なまま「抗議が来たら面倒だからやめておこう……」という、空気を読むような対処が根付いてしまいました。

なぜ1970年代以前のように、血生臭く、日本史や武士道の持つ暗部を描く作品が減っていったのか?

それは曖昧な基準のまま、表現を徐々に漂白していった弊害でしょう。

1990年代前後の作品を楽しんでいた世代は、自分たちが鑑賞していた思い出の作品が、表現自主規制の産物だと気づく可能性は低いでしょうし、指摘されたところで即座に否定するかもしれません。

けれども、実は巧妙に避けていたテーマや描写があったことを考えてはみませんか。

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