まんが日本史ブギウギ

梅岩&道二による反貴穀賤金宣言1744~まんが日本史ブギウギ199話

日常生活を送っている中で『それって江戸時代の感覚では?』と思うこと、ありません?

新型コロナウイルスの感染者に対する村八分的リアクション……というのも確かにそうですが、何も特別なことではなく、以前からずーーーーーっと日常に蔓延していた感覚。

「お金が卑しい」という考え方です。

例えば「投資」や「株」という言葉を聞いただけで、「怪しい、危ない、ラクして稼ごうとする汚いヤツ」そんな問答無用の拒否反応、ありますよね。

実は日本人をそう仕向ける思想は、すでに江戸時代から根付いてました。

【貴穀賤金(きこくせんきん)】です。

読んで字の如く「穀物(米麦)は貴く、金は賤しい」とする考え方で、特にこの時代ですと「士農工商」の「商」の位置がわかりやすく扱われていますね。

「せこせこ金を稼ぐ商人なんて人間的には下のランクw 天下を動かすのは俺ら武士w」

そんな高圧的マウントがあるこの時代、静かに声をあげる人物もいました。

石田梅岩(ばいがん)と中沢道二(どうに)――いったいコイツら何者なのよ?ということでマンガ『日本史ブギウギ』第199話スタート!

 

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心学

徳川吉宗の側にいて米政策の限界を見ていた田沼意次

従来の米中心経済から重商主義へと舵を切りました。

田沼意次
田沼意次はワイロ政治家というより優秀な経済人? 評価の見直し進む

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こうした田沼改革が、士農工商の最下層に甘んじてきてた商人に、矜持の復活チャンスを与えたのでしょう。

そこへ現れたのが石田梅岩(1685-1744年)でした。

 

士農工商

◆石田梅岩は【石門心学】を推進。

【貴穀賤金】の風潮に屈せず「町人の利益は武士の俸禄と同じである」と説きました。

無料でセミナーを開くなどして、町人たちに教えを伝えていったのです。

元文4年(1739年)には書物『都鄙問答』(全四巻)をマトメて、石門心学の普及に努めました。

 

心得

◆一方、中沢道二(1725-1803年)も負けてはおりません。

石門心学で学び修めると、関東から東北、中部方面にも布教に出て、実に76歳で亡くなるまで長く活動を続けていました。

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