その理由が未だ判然とせず、日本史上最大のミステリーとされる【本能寺の変】。
普段から信長に恨みがあった――という怨恨説に始まり、朝廷から要請があった、秀吉が陰で手を引いていた、いや家康の仕業だ――という陰謀説など、諸説数えること数十にのぼり、もはや収拾のつかない有様だ。
一体なにが真実なのか?
その考察は以下の記事に譲り、
なぜ光秀は信長を裏切ったか? 本能寺の変における諸説検証で浮かんでくる有力説
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ここでは別視点から本能寺の変に取り組んでいきたい。
戦国浮世絵ANARCHYの第四回は、弥助に注目だ!
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黒人侍・弥助
いつもは記事の最後に掲載している【鞘エもん】のSAMURAI ART。
今回はワケあって、最初にお目見えさせていただく。
いくで、おりゃあああああああああああああああああ!
例によってデフォルメ界王拳100万倍の戦国浮世絵だけに、様々な疑問符も浮かんでくるであろう。
今回、どうしても理解し難い点があるとすればこれだ。
「なんで黒人がおるん?」
この最たる疑問符が、史実なのだから歴史は面白い。
「この刀を織田信忠へ届けよ」
実は信長には、宣教師より送られた黒人侍がいた。
その名も弥助――。
ほぼ奴隷の身分から、信長の家臣へと引き抜かれた、れっきとした侍である。
そして運命の天正十年(1582年)6月2日早朝。
信長側近の一人である弥助は、その日、他の小姓20~30人らと共に本能寺にいた。
主君・信長のお気に入りでもあった弥助は、毛利征伐へ向かうための準備に帯同し、事件当日も側で仕えていたのだ。
そこへやってきた明智光秀【謀反の急襲・本能寺の変】である。
史実の明智光秀は本当にドラマのような生涯を駆け抜けたのか?
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信長は弓を持って応戦し、途中から槍(長刀)に持ち替えて戦い、それでも押し寄せてくる明智の軍勢によってついに傷を負ってしまった。
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