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【レジェンド&バタフライ】
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学習漫画の実写版のようだ
この映画は、説明セリフが異常に多い。
脚本家が、いかに歴史に接していないかわかってしまい、辛いものがありました。
説明部分についてはナレーションを使うという手法があります。
布陣図や地形についても、図面を用意することは定番です。
これは何も映像作品に限った話ではなく、歴史の書籍でも、時代小説でも、取られる手法でしょう。
一定の共通認識にもなっているわけですから、ドラマや映画で時代劇を描くなら、その役割を果たすナレーションと図面は必須とも言えるわけです。
しかし、そういう技法に馴染みがないから、あたかも歴史学習漫画を実写版にしたかのような説明セリフがひたすら繰り返されるのでしょう。
なお、出版社の学習漫画は、まっとうな内容だから救われます。
本作はそうではありません。歴史が好きな小学生でも、この映画には違和感を覚えることでしょう。
ラブロマンスとしても、ただただ悪趣味
この映画は「ロマンス」とジャンルがつけられていました。
しかし、恋愛ものとしてみても最低だと思います。
信長は、帰蝶が相手でも、彼女の発言の途中で言葉を遮るし、怒鳴りつける。さらには女は黙っていろとまで言うし、敬意や愛情ってものを感じさせません。
帰蝶も、信長をからかい、挑発し、煽るような口調です。
通い合う心もなく、愛情もない。何か一つ贈るにせよ、相手の好みを確認せず、一方的に押し付けるように渡しています。
現在だったらメルカリで叩き売られるようなプレゼントセンスで痛々しい。
DV彼氏とそれに依存する彼女のようにすら思えます。
金平糖をめぐって殺し合いになり、その返り血にまみれながらラブシーンに持ち込むところは、ロマンチックどころか気持ちが悪すぎました。
相手への気遣いも何もない。
ただ興奮したから性欲を発散する。
これの何がラブロマンスなのでしょうか?
センスはなんとなくわかります。タランティーノの『トゥルー・ロマンス』でも意識していますか?
あの映画は1993年公開です。もうあの作品は古典的で、今の時代には合っていません。
昭和の化石…古臭いジェンダー観
帰蝶にわざとらしい活躍をさせたせいか「信長を無能に描き、貶めている」という意見も見かけました。
それは甘い。この映画に出てくる登場人物は、全員、魅力が失われていると思います。
帰蝶も全く斬新とは思えません。
彼女は信長が側室と子を作ると嫉妬する。子ができぬと嘆く。そして病気になって寝込んでいる。病気になっても美貌はそのままで、まるで老けない。
そんな愛妻の枕元で、慣れない楽器を演奏しようとする信長は大迷惑で愚かでした。
帰蝶はご都合主義の塊です。
困っているとアドバイスを出してくれる。
賢いようで、鼻持ちならないほどでもない。
かわいらしく嫉妬するけど、結局は男を愛している。
どんな無神経なことをしても、最終的には自分に逆らわない。
そして老けない。
全てがご都合主義。
こんなかわいこちゃんがいたらオイラは頑張れるよぉ〜! という妄想にしか思えませんでした。
再び大河ドラマと比較してみましょう。
『麒麟がくる』の帰蝶は、夫が側室との間に子を作ろうが、そこまで動揺しません。かえって信忠の養育を任されて、凛とした表情で彼の横にいました。
そして前述の通り、鉄砲の買い付けで、夫の覇業に手を貸す。
ところが、暴走する夫についていけなくなり、光秀に「父が生きていたら信長に毒を盛る」とまで言い切りました。
やだやだ! そんなかわいくねえ帰蝶はいらねえし! もっと萌える帰蝶がいい!
そんな視点から、萌え要素一点突破か、逆張りで作られた――それがこのバタフライこと帰蝶に見えます。
結果、帰蝶はかえって陳腐になりました。
そもそも彼女は確たる史料が少なく、何をしていたのかわからないため、自由な創作がしやすい。
本能寺に彼女が同行していたことは否定されますが、それでも夫のために薙刀を振るい、倒れる帰蝶像は定番だったものです。
本作では、本能寺に帰蝶はいません。それでも、かつて定番だった古臭い像に戻っています。
夫に逆らうようで、そうでもない。結局、屈服する。夫が浮気すれば嫉妬するところがカワイイ。そして老けずにずっとキレイ!
どんな人であろうと、病気になれば衰えてしまう。そのことは悲哀として語られてきました。
そういう生老病死という苦難もなく、ただ辻褄合わせに病気にしたようにしか思えない帰蝶。
健康体のまま信長にくっついてこないなんてイヤだという、その一点をごまかすだけの設定に思えます。
そんなことだから、病人の枕元で楽器演奏ができるのでしょう。
こんなデリカシーのなさは歴史知識以前の問題です。
自分たちの妄想をひけらかし、これをロマンスだと言い募る。そのくせ古臭い女性像で、ミソジニーすら漂っている。
どうしようもない作品としか言いようがありません。
昭和の価値観をゴリ押しされても
この映画はどうにもおかしい。
戦国時代の価値観をなぞっていないだけでなく、2020年代とも思えないほど古臭いのです。
この映画にこびりついている思想はわかります。
上等舶来――古い言葉で、明治・大正時代に流行していました。
要するに海外から来たモノは素晴らしいという意味で、この場合の海外とは、西洋列強を指します。
「鬼畜米英」と叫んだアジア・太平洋戦争が終わると、この路線はより強固に日本に根付きます。
典型例が「ジョニ黒」でしょう。
ジョニー・ウォーカー黒ラベルのことをこう呼び、昭和のおじさんたちはともかくこれを飲みたがりました。味そのものより、舶来ものを飲む自分に酔う感覚があったのでしょう。
そうした昭和のおじさん感覚が、この映画には染み通っていて辛いのです。
なんだかんだで娘時代はギャルしてても、結婚すれば母となりたい。それが女ってモン。そう言いたげな帰蝶は、まさしく昭和ヒロインの臭いがします。
西洋のダンスをする信長と帰蝶。戦国時代の憧れというよりも、昭和の妄想でしょう。
戦国時代の日本は、宣教師も驚いたほど女性の自由が制限されず、活発でした。
金髪の女性が好き放題にしている場面が数箇所ありましたが、ああした「西洋の女性は自由!」という発想は明治以降のものです。
ラストシーンの南蛮船へ向かう信長と帰蝶はよかったという意見も見かけましたが、私はむしろ辛かった。
昭和にあった妄想である、日本もいつか欧米に追いつけるというファンタジーそのもの。
一体いつの時代の映画なのか?
そうため息をつきつつ、三時間が終わりました。
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