徳川家康の正妻は築山殿(つきやまどの)です。
征夷大将軍の妻ですから、それはもうご立派で、さぞかし将軍の母として権勢を振る舞われたのでしょう……と考える方もおられるかもしれませんが、実は彼女、非常に不名誉な経歴を戦国史に残しております。
本来なら嫡男として徳川家(松平家)を継ぐハズだった息子・松平信康が自害へ追い込まれ、築山殿自身も天正7年(1579年)に殺害されているのです。
以下は、そんな信康と築山殿の関連記事となりますが……なぜ二人は殺されたのか?
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その原因は諸説ありまして。
織田信長の娘であり信康の妻でもあった徳姫が父の信長へ讒言したとか。
武田に内通したとか。
徳川家(松平家)の内紛だったとか……あるいは、こうした要素が複合的に絡んでいたとか色々と囁かれますが、ともかく彼女の周囲はトラブルがちでありました。
今回の主役は、そんな築山殿の娘・亀姫です。
築山殿や松平信康は割と注目されることがありますが、その娘・亀姫となると意外と盲点だったりします。
天下人・徳川家康の娘ですから、しかるべき相手に嫁ぎ、それなりの生活を送っているはず――と思いますよね?
寛永2年(1625年)5月27日は、そんな彼女の命日。
亀姫の生涯を振り返ってみましょう。
亀姫の夫は長篠で大殊勲の信昌
父が徳川家康。
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兄が松平信康。
そんなキャラの濃い家に生まれた亀姫(1560-1625年)は、三河北部を勢力下に置きたい徳川家の思惑によって、新城城(しんしろじょう)主の奥平信昌へと嫁ぎました。
この奥平信昌さん、元は長篠城主です。
配下の鳥居強右衛門が援軍を呼びに行って壮絶な死を遂げ、【長篠の戦い】で勝利の遠因をもたらせた武将として知られていますね。
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織田家にとっても徳川家にとっても、かなりの功労者。
しかし、もらった妻・亀姫は「亀」というより「毒」でした。
・なんせ嫉妬深くて、夫には側室を置かせない!
これはもう気の毒というほかありません。
相手が家康の長女ですから逆らうことは能わず、しかも亀姫は4男1女を産んで後継問題もクリアしているのです。側室を求める理由などありません。
しかも、です。
この毒姫さん
・熾烈な性格で侍女を12人も手打ちにする
夫に色目でも使った――と判断したのでしょうか。
どうやらキツい性格というのは母譲りだったもようで、築山殿自身にも
『自分の奥女中が家康の子を身ごもった際、裸にして木に縛り付けた』
なんて逸話があるほどです。
この話は後世の創作ですが、母にしてこのように言われる有様ですから、娘にも激情的な性格が引き継がれた可能性は否めませんよね。
後釜にやってきたのは憎き正純だった!
さて夫の信昌ですが、なかなか有能な人物かつ家康の娘婿でしたので、関ヶ原後には美濃加納藩10万石の領主となります。
長男・家昌も武勇に優れた人物で、父とは別に下野宇都宮10万石を獲得。
妻の亀姫から見れば、夫も息子も出世して万々歳の場面ですよね。
しかし、不幸にして長男は1614年、夫は1615年に亡くなってしまいます。
夫亡き後の亀姫が、7歳で下野宇都宮藩を継いだ孫・忠昌の元に身を寄せると、まだ幼い忠昌には関東の要所・宇都宮が重荷であろうと下総古賀11万石へ転封の命が下ります。
ここで亀姫にとって大問題だったのが、代わりにやってきた人物でした。
後任の名は本多正純。
父・本多正信と共に家康に寵愛されていた人物です。
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大河ドラマ『真田丸』でも相談役として側にいつも控えておりますので、ご記憶の方も多いかもしれませんね。
しかしなぜ、正純は亀姫にとって大問題だったのか?
娘の嫁ぎ先を改易させた憎き相手
それは亀姫の娘の嫁ぎ先である大久保家を改易させた憎き相手だったからです。
そんな経緯があったのに、なぜ幕府もこのような危険な配置を進めたのか……。
しかも、です。
正純は宇都宮10万石から15万石への加増となったため、とにかく亀姫さんの心中はとても穏やかではいられません。
そこで引っ越しの際に
・障子、襖、畳を剥がし、庭木まで掘り起こし一切合切持って行こうとした
なんだかせこい復讐ですが、このときのルールで私物以外は持ってはなりませんでした。
実際、本多家から文句を言われて、返す羽目にもなっております。
情けくてチョット可愛いかも。
「将軍暗殺」という、しょーもないチクリを……
ともかく正純憎しの思いは募るばかり――。
そんな彼女にチャンスが到来したのは1622年のことでした。
家康の七回忌に日光東照宮を参拝した徳川秀忠が宇都宮城に1泊する予定があったのです。
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亀姫にとって秀忠は異母弟にあたります。
とはいえ相手は将軍ですので、そうそう失礼は許されない。
しかし、そこで亀姫がとった行動は……。
・『正純が寝室につり天井を仕掛けて将軍暗殺を企んでますぜぃ』と事実無根のチクリ
いや、もうドコまで子供なのよ!
と呆れるばかりですが、その後、正純に移封命令がくだされたときにこれを拒んだため、なんと改易に……更には流罪でドン!
正純が失脚すると、彼女の孫・忠昌が見事、宇都宮城主に返り咲き、亀姫の念願は成就したのでありました。
亀姫のチカラがドコまで働いたかは不明であります。
兎にも角にも女の執念は怖いですね。

悪人度 ★★☆☆☆
影響力(権力)★★★☆☆
嫉妬度 ★★★★★
なお、母親・築山殿に関しての生涯は、以下の記事を併せてご覧いただければ幸いです。
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【参考】
国史大辞典
奥平信昌/新城市(→link)
歴史読本編集部『物語 戦国を生きた女101人 (新人物文庫)』(→amazon)
亀姫_(徳川家康長女)/wikipedia
長勝院/wikipedia
奥平家昌/wikipedia
奥平信昌/wikipedia









