MAGI感想

戦国期の日本史&世界史を冷徹に楽しむためのMAGI(マギ)参考書籍

2019年は日本の時代劇、歴史ドラマにとって大きな転換点となることでしょう。

世界同時配信かつ日本史をテーマとした『MAGI』が、Amazonプライムドラマで放映されたのです。

織田信長に吉川晃司さん。
豊臣秀吉に緒方直人さん。

大御所に配置された俳優は、いずれも大河ドラマでも重鎮となるような存在であり、それが今やAmazonに出演する時代なのです。
いわゆる黒船でありましょう。

 

さて、その『MAGI』ですが、これがなかなかに難解な作品です。

大河ドラマのような日本の歴史劇フォーマットから逸脱しており、むしろ海外ドラマ基準。
西洋史の知識も重要となってきます

戦国時代の知識だけではなく、キリシタンの布教史、そして宗教改革まで知っておかないと理解するのが難しい。
世界史の知識まで求められる高難易度の作品でした。

だからといって尻込みするのはあまりにもったいない!

そこで、本稿では『MAGI』への理解を深めるブックガイドをしてみたいと思います。

 

若桑みどり『クアトロ・ラガッツィ』

なぜ、Amazonプライムは、世界に向けてこのドラマを作ったのだろう――。
その答えは、作品そのものではなく、原案となる本書『クアトロ・ラガッツィ 天正少年施設と世界帝国(→amazon link)』からも伝わって来ます。

若桑みどり氏は、歴史が専門ではありません。
ローマに留学し、美術史を学んで来たのです。

そんな彼女の書き方は、歴史書として読むと違和感があるかもしれません。

情感に訴えかけてくる。そんな熱がこもっています。
歴史系の書物では、むしろ人物の感情移入することはタブーとされるもの。しかし、そうではないからこそ、本作には独特の魅力が宿っています。

四人の少年たち

そんな著者の描く四人に少年たちは、ドラマ版にも通じる個性を持っています。

生真面目なマンショ。
学者肌のマルティノ。
お坊っちゃまで家族に愛されてきたミゲル。
素朴な少年であるジュリアン。

彼らや宣教師がこういう性格だからこそ、こんな証言を残している。そう想像をめぐらせています。
だからこそ、四人の少年が他人には思えなくなってくるのです。

まるで、遠い親戚のような。昔出会ったことがあるような。
そんな調子で書いてあるものですから、本作は読み進めることがとても辛いものがあるのです。

新しいことを学び、海の上で語り合う。
ヨーロッパの宮廷で、美しい大公妃の舞踏会で、そして教皇の前に立つ少年たち。
彼らのことが、もはやただの少年とは思えなくなるのです。

日本の喪失がスゴイ

本作を日本人がドラマにできない理由も、掴めて来ます。
海外ロケができない。外国人キャストが揃わない。それも、あるにはあるでしょう。

それ以上に、あまりに日本の歴史の暗い部分をえぐっているのです。

四人の少年が輝いているほど。
目にした西洋文明が偉大であればあるほど。
その喪失が、どれほどのものであったか。下巻後半部、どっと襲いかかってきます。

【日本スゴイ!】
どころか、
【日本の歴史的損失がスゴイ……】
とつきつけてくる。

ハッキリ言って【不都合な史実】です。
そしてこれが、大事なことです。

世界180以上の国で配信する、日本史のドラマ。
そういう作品では、日本史の偉大さよりも、蹉跌を求めているのだ、と。
そこは冷静に受け止めた方がよいでしょう。

四人の少年が大海原を超えて教皇に面会した。
ここまではよいにしても、そのあとが酷いのです。

誰が彼らを堕天使にしたのか?

四人が繊細で、純粋であればあるほど、その転落が悲しくなってくる――そんな本書の世界。

何が彼らを堕としたのか?
それは引き上げたカトリックにも、問題がなかったわけではありません。

しかし、そのとどめを刺すことになるのが、英雄三傑のうち二名なのです。

織田信長の後継者であるとして天下を取った豊臣秀吉は、その遺産を受け継いだわけではありません。
そして徳川家康となれば、何の容赦もない。

大河ドラマはじめ日本の歴史劇は、英雄三傑のような輝く英雄を描くもの。
それだけでよいのでしょうか。

英雄に踏み潰されたような四人の少年はじめ、消えていった人々。
彼らの血と肉を蘇らせるような、そんな力作なのです。

ともかくラストの、四少年の末路をたどる文章は圧巻です。

「原作」ではない「原案」です

さて、本書と『MAGI』ですが。

あくまで「原案」です。
ドラマではかなりアレンジしてある箇所があります。かつ、脚本家である鎌田敏夫氏のカラーも、きっちりと出ています。

・四人の経歴や出自
・性格
・四人が旅の途中で目にした事件、および出会う人物
・ヴァリニャーノら宣教師の人物像
・豊臣秀吉と千利休、高山右近、宣教師らの問答

本書の刊行後、著者没後にも、この使節がらみの歴史的発見がイタリアおよび日本でありました。
そうした最新研究を反映させつつ、ドラマの世界観を形成しているのです。

そんな最新研究を学ぶのであれば、さらなる読書がおススメです。

 

渡辺京二『バテレンの世紀』

『MAGI』において、トラウマになりそうなくらい圧迫感のある演技を見せている、緒形直人さん。
その姿を見て、あの大河ドラマを思い出した方もいることでしょう。

1992年『信長 KING OF ZIPANGU』です。

あの各界の最後は、ルイス・フロイスがポルトガル語で
“Ate breve! Obrigado!”(アテブレーベ・オブリガード)
「また近いうちに、ありがとうございました」
そう訳されていた、と挨拶しておりました。

なんとなく、あのドラマが日本人にとっての宣教師感になってしまったかもしれません。
日本に来て、織田信長に感動するような。そんな宣教師像。
これが改善されるどころか、ますます悪化しているような気もする、それが2019年です。

宣教師は日本を見て感激したとか。
この世の楽園であると驚いたとか。
そういう価値観のまま『MAGI』を見てしまい、怒りのレビューを投稿している方も見られます。

『MAGI』に出てくる宣教師や船員の中には、露骨に日本やアジア人、有色人種をを蔑視している者もいます。

こうした言動を取り上げて、
「和食をけなすな!」
「織田信長を悪くいうな!」
と怒ったところで、こう返すしかありません。

「史実ですので」

むしろ、ここは最新かつ冷静な研究成果をあたってみなければならないでしょう。
そのための一冊こそが、渡辺京二氏の『バテレンの世紀(→amazon link)』です。

なんといっても、圧倒的に便利です。

決してお値段は安くありませんが、14世紀から17世紀までカバーしている。
お買い得です。

布教する側、される側の事情

本書の場合、著者がキリシタンではない、純粋な知的好奇心で探っている点が大きな特徴です。
そしてこれが『MAGI』と一致するところでもあるのです。

映画『沈黙ーサイレンスー』は、紛れもない傑作

 

ただ、どうしてもカトリックとしての思い入れがあるため、物語としての熱気や魅力はあるものの、透徹した歴史俯瞰とは異なる部分があります。
これは原案『クアトロ・ラガッツィ』にも、どうしてもつきまとう要素でもあるのです。

実は『MAGI』は誰の立場にも感情移入していないようにすら思えるのです。

日本側の戦乱や宗教弾圧も容赦なく描きますが、それ以上にカトリック布教側のゲスさがとんでもないことになっております。

布教のためならば騙す。
金儲けのことを考えている。
対立して足を引っ張り合う。
御都合主義。
隠蔽主義。
人種差別が根底にある。
植民地主義、帝国主義の先導をしている。

宣教師側がここまでドロドロしているからこそ、能天気に「アテブレーベ・オブリガード!」なんて言わないのです。
そんな余裕はない。

素晴らしい国があるから来日しました!
というわけもありません。

「黄金の国・ジパング」を本気で信じていたのであれば、もっと早く来日しているはず。
それが後回しにされた理由は、正直なところ多くの日本人にとっては認めたくない史実であるかと思います。

神の奇跡を信じたいキリスト教に思い入れのある人にとっても。
日本スゴイに酔いたい人であっても。

本書は、読者の大半を幸せにはしません。そう警告しておきます。

『MAGI』のマルティノのように、ともかく真実を知ることができればいいと、目をキラキラさせている。
そんな空気の読めない方には、ストライクゾーンまっしぐらです。

【セカンド】と【ファースト】の混同

本書は【セカンド・コンタクト】、つまり黒船来航による幕末から明治にかけての東西接触と、【ファースト・コンタクト】を分けて考えています。

圧倒的な力の差がついていた【セカンド・コンタクト】と違い、【ファースト・コンタクト】ではそこまでの違いがない。
これは重要な指摘です。

確かに、幕末と比べると日本側は劣等感をおぼえていない。

そして西洋側も、結構行き当たりばったりなのです。
詰めが甘く、通訳の養成や現地調査もいい加減。しかも、組織同士で足を引っ張りあっています。

『MAGI』のマルティノは、西洋やカトリックはもっと合理的だと思っていたのに、そうではないと指摘します。
これもその通りなのです。

これは実に重要な指摘です。
キリシタン殉教のイメージがあるためか、どうしても宣教師やキリシタンは聖人君子のような美化をされがちです。

主人公がキリシタンであった2014年大河ドラマ『軍師官兵衛』も、そんなニュアンスでした。心が清らかな者こそがキリシタンになったという、そんな描き方だったものです。

キリシタンは合理的であるという描き方も、あります。
これは性格次第。当時のカトリックは、非合理的な理由でガリレオを弾圧し、人種差別を行ったと、『MAGI』では描かれています。

こうしたイメージは、実は【セカンド】との混同もある。
そうはっきりと気付かされます。

日本のフィクションでは、実のところクリスチャンとプロテスタントの区別すら、ついていないことが多いものです。

【セカンド】で日本に普及していったプロテスタントと、【ファースト】のカトリックが混同していないだろうか?

本書と『MAGI』はそう突きつけて来ます。
カトリック教国の王侯貴族は性的にルーズでしたし、高潔な教皇でも「甥」と呼ばれる私生児がいたものです。

そういう東西文明の接触点を、【ファースト】と【セカンド】として、きっちりと分ける。
これは実に有意義な取り組みであると感じられます。

むしろ今まで、どうしてそこが混同していたのか。そう思えて来ます。

「島原の乱」の動機は?

本書で最も大きく頷いたのは、「島原の乱」に関する章です。

宗教戦争か?
それとも農民一揆か?
そのことが論争になりがちですが、ここで筆者はこうぶった切ります。

【その区別そのものが無意味】

他国を見ても、宗教的な動機と悪政への反発が複合的に重なりあい、反乱となることはよくあること。
動機が複数あって重なりあっているからには、区別をすることそのものがナンセンスである。そう言い切るのです。

「宗教じゃない、悪政への反発だ」
という動機が提唱された背景には、マルクス主義があると指摘します。

フランス革命やロシア革命のような、宗教と峻別された革命の前触れがあった。
そう考えたい歴史観があればこそ、こういう理論がでてきたのではないか。そう分析しているのです。

歴史学には、思想もロマンもいらない

マルクス主義史観が否定されている。
ならば本書は右なのか?
そういう話は、横に置いておきましょう。

左が悪い。右が悪い。そういうことではありません。
本書は、日本にとってもカトリックにとっても、都合の悪いことがみっちりつまっています。

もう一度思い出しましょう。
この本を読んで目がキラキラしてくるのは、『MAGI』のマルティノと似たタイプの人であります。

マルティノは天正少年使節に選ばれながらも、宗教も名誉もどうでもうよくて、真実さえ探求できればよいと割り切った人物です。

本書のスタンスも、彼と同じなのです。
ロマンも、満足感も、右も、左も、主義も、宗教もいらない。

歴史の真実を発見できればそれでいい。それが大事、そう割り切っています。

しかし、それこそが今後の歴史学研究で求められる姿勢ではないか?
だからこそ、『MAGI』なのではないか?

そうも思えます。
そういう意味でも、本書は『MAGI』とセットで読みたい、そんな一冊なのです。

教皇庁で高揚感を味わい、帰国の途についた『MAGI』ファーストシーズンのラスト。
あの純粋な少年たちが、これからどうなっていくのか?

復習と予習をきっちりして、来たる次のシーズンに備えましょう。

MAGIアマゾンプライムビデオで放映中

文:武者震之助
絵:小久ヒロ

【参考】
『クアトロ・ラガッツィ 天正少年施設と世界帝国』若桑みどり(→amazon link
『バテレンの世紀』渡辺京二(→amazon link
アマゾンプライムビデオ『MAGI』
公式サイト

 



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