春日局/wikipediaより引用

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家光の実母はお江ではなく春日局?ミネルヴァ日本評伝選『春日局』

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江戸時代にも「代理母」はいた?

側室というと、愛人をイメージする人が多いことでしょう。

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そんな姿を思い浮かべる人もいるのではないでしょうか。

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このイメージを抱いたままでいると、歴史の本質が見えてこないこともあります。

側室とは、現代で例えるなら「代理母」のような立場の女性もいました。

正室であるからといって、必ず男児を出産できるとは限りません。そうなった場合、事前の策として正室が管理している侍女に子を産ませることもあります。

そして産まれた子は正室のものとして扱われるのです。

まさに戦国・江戸の「代理母」といったところです。

つまり秀忠とお江の子とされている中に、実際にはお江が産んでいない子が含まれているとすれば、前述の出産間隔の狭さが解決されます。例えば……。

 

春日局も代理母だった!?

お江の目から隠された保科正之の場合、生母は秀忠乳母に仕える女中でした。

つまりお江配下の女中ではないため、庶出扱いになったわけです。

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こうした「代理母」のような女性は、子を産むことで側室に取り立てるわけでもなく、あくまで一時的に腹を提供する役目を果たしたことになります。

それが終われば我が子を手放すことになるわけです。

なかなか厳しい運命にあるといえるでしょう。

春日局もこうした女性の一人であったというのが、著者の説です。

彼女が産んだ子は徳川にとって待望の男児でした。

しかもこの前に秀忠を父として産まれた男児の長丸は夭折しています。武家に後継者がいない状態、とりわけ天下を担う家にとってそれが危険であることは言うまでもありません。

家光誕生時の慶長9年(1604)は、まだ豊臣家も健在です。

待望の男児を夭折させることなく育てあげるために、生母である春日局は腹を提供した侍妾から、乳母に役替えされたのでしょう。

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