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【家光本当の母は誰なの?】
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乳母としての忠義と葛藤
子を産みながら生母を名乗れない春日局。
気の毒ではありますが、乳母になったことにより、生来の気の強さと聡明さを政治力として発揮します。
家光11歳の時、それまで冷遇されていた家光を何としても後継者にするため、伊勢参りに行くと偽り、徳川家康に後継者問題を直訴した「抜け参り」。
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家光が病の時には自ら今後一切は薬を口にしないと誓った忠義。
生母ならそこまで入れ込むのは当然かもしれませんが、それだけではなく「乳母」として主君に忠義を誓っていたことも確かでしょう。
生母としての愛情を主君に尽くす忠義でくるみ、春日局は全力で家光を将軍の座に就けようと努力しました。
そしてそれは実り、家光は歴史の勝者となったのです。
しかし、その勝利は苦いものでもありました。お江と忠長の人生を変えてしまったものだからです。
武家での後継者順位は、長幼よりも嫡出であることの方が重要視されます。
忠長の父である秀忠も、庶出の兄をさしおいて後継者に選ばれておりました。お江も忠長も、まさか後継者から外されるなど思ってもいなかったはずです。
忠長が荒んだ日々を送るようになったのも、切腹に追い込まれた理由も、おそらくこのあたりにあるのでしょう。
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将軍の乳母として、栄華を極めた春日局。心のどこかには、抱えたままの大きな秘密、そしてお江と忠長の人生を取り返しがつかないほど壊してしまったことへの後ろめたさがあったことでしょう。
誰かの秘密をそっと耳打ちされたような
本書の読後感は苦いものです。
誰かの秘密をそっと耳打ちされたような気分になります。
聞いた直後は高揚感があるのですが、じっくりと考えて当事者の気持ちを想像していると、「こんなことは知らなければよかった」と思えてくる。
筆者自身も春日局が抱えた秘密を明かしてしまったことに、戸惑いを感じていることがあとがきからもうかがえます。
好奇心やスキャンダルを求めて調べていたわけではないのに、そこを避けて通ることはできず、ついに暴いてしまった……そんな戸惑いが感じられます。
春日局は辞世をこう詠みました。
西に入る 月を誘い 法をへて 今日ぞ火宅を逃れけるかな
死を前にして、やっと燃えさかる家のような現世を離れられると安堵する春日局。
彼女の心のうちには、秘密を抱えて生きること、お江と忠長母子の人生を破壊してしまったことの罪悪感が、常に燃えさかっていたのかもしれません。
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文:小檜山青
【参考】
福田千鶴『春日局(ミネルヴァ日本評伝選)』(→amazon)