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【『鬼滅の刃』が少年漫画を変えた】
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感謝の気持ちを忘れずに、ほわほわしよう
そんな炭治郎は、小さいようで、大きな特徴もあります。
彼は丁寧な言葉遣いをしていて、感謝の気持ちを忘れません。
自分は鬼滅隊士だ、エリートだ! なんといっても主人公だ! そういう気取りや傲慢さがなく挨拶をするから、周囲もあたたかい気持ちになると描かれています。
共感能力も高く、鬼であろうと悲しい匂いを嗅ぎ取れば、尊重する態度を取れる。誰に対してもそうするわけでもなく、下劣なまま鬼となった存在には、断固たる態度になります。
炭治郎は、むしろ容姿を貶すことや、感謝しないで文句ばかり言うことを、嗜める性格をしていると描かれています。
礼儀や常識と縁遠いような野生児・伊之助ですら、衣食住の世話をしてもらえることで、ほわほわとした気持ちになっていることがわかります。
感謝すること。
【衣食住の世話=つまりは家事シャドウワーク】を認識すること。
そんな当たり前の気持ちが『鬼滅の刃』にはある!
本作のそんな長所に気づいたのは『るろうに剣心』について考えていた時でした。
弥彦は積極的に悪いことをするわけでもなく、やんちゃな少年ですが、振り返ってみると苦いものがある。それを突き詰めていくと、衣食住の世話をして、武芸の師匠でもある薫を飯がまずいだの、ブスだの、罵倒しているところでした。
和風ジャンプ漫画の『銀魂』も、妙がメシマズ設定をされ、それをギャグとしていたものです。
これって古い価値観というか、そもそも酷い話だと思いませんか?
誰かを笑いものにして楽しくなる。そのとき相手は傷ついているかもしれない。
そんなことよりも、ほわほわして感謝した方が世の中はよくなりません?
本作には、それを問題提起できる強い力があります。
毒となる男らしさより、ほわほわできる優しさが、今の時代には必要でありましょう。
“家父長制”の呪い――男子たるもの、家を守らねばならぬ
炭治郎は、惨殺された家族の中で唯一生き延び、鬼となった妹・禰豆子を守ろうとします。
「少年漫画らしい。兄が妹を守るって、定番で王道だよね」
そんな意見はよく見かけますが、それはどうなのか?
むしろ、恋をする相手、これからそうなりそうな相手を守る――そんな定番に取って代わったのではありませんか?
肉親のために命がけで戦うことは「つまらない」から、もっと捻っていこう。そういう価値観はあります。
ご存知、人気作品『進撃の巨人』が映画化された際、主人公が戦う動機が母の仇討ちではなく、ミカサ奪還にされておりました。
守る相手が、生まれついての家族か?
あるいは新たな家族を築くことになる未来の嫁さん候補か?
この違いはなかなか大きい。前者は既存のものを守り、後者は獲得する。そこには大きな違いがあります。
妹を守る兄――炭治郎の背景には【家父長制】があります。
父を亡くした男子は、家長として守り抜かねばならぬ。そんな重荷を炭治郎の言動からは感じます。
大正時代、日本人の家を守る意識は、現在よりずっと重いものでした。四民平等といえども、長男であれば家業を継がねばならぬ。次男以下は、自由なようで兄と差をつけられる。
女は、家を守る良妻賢母として適切であるかどうか。男子がいない家庭の長女であれば、婿を取らねばならない。
そして女が嫁いだら、相手の家の存在にはる。そうなればもう縁が切れたようなもの。
『るろうに剣心』の雪代縁について考えていた時、彼は奇妙だと思えたものでした。
縁は嫁ぎ、雪代家ではなく嫁ぎ先の女となった姉に対して、異常なまでの執着を見せているのです。それが彼の特異なところといえばそうですが。
もう嫁いで、しかも嫁いだ相手を裏切ったのであれば、けしからぬ女として成敗されてもやむを得ぬ――そういう結論に縁が至ったとしても、それはむしろ当然のことなのです。
既婚者である姉を自分のものであるかのように執着する縁は、奇妙な人物でした。
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そんな奇妙な縁と比べると、炭治郎は当時の家を守ろうとする男子そのものです。
鬼に家族が殺されたことは、彼の過失でもない。
年齢を考えれば災難であるにも関わらず、申し訳ないという罪悪感を抱いて生きています。
炭治郎以外の人物も、「家制度の中で自分が必要であるか、はみ出していないか、家名に傷をつけないか」を常に考えています。
鬼ですら、自分の子孫殺しに罪悪感を覚える描写があります。
本作の根底には、家制度が横たわっているのです。
現代人から見れば不可解で、重苦しい。明るくハッピーであることを求められていた時代にはなかった、本作らしさでありましょう。
『鬼滅の刃』に対して、野暮ったい、古臭いという意見もしばしば見受けられます。
が、これは意図的なものではないかと思います。家制度や道徳観念が重たくのしかかり、戦争の苦悩を知る世代が漫画を描いていた、1970年代以前へ回帰するような作風を敢えて選んだように思えるのです。
そしてそんな重苦しさを認識し、そこからの脱却を目指す生真面目さ――それこそが今を生きる若い世代にとってはむしろ魅力的であることを、考えていかねばなりません。
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