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【『鬼滅の刃』が少年漫画を変えた】
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伊之助は”ルッキズム“を偏見ごとぶち壊す
主人公と共闘するメインキャラクターでありながら、これまたクセがある。
それが伊之助です。
伊之助には、あきらかにおかしな点があります。複数あるので、いちいち取り上げていたらキリがないと言えばそうなのですが。
最たる例が「紅顔の美少年ぶり」でしょう。
母親によく似た美貌は、あの堕姫すら認めるほど美しい――にも関わらず、本人は顔を隠し、半裸で走り回っている。
彼は美貌に無頓着です。
周囲が気づいているのに、本人はむしろ気にしない。
蘭陵王の故事のように、ナメられたくないから顔を隠すわけでもないらしい。ゆえに、羨ましいだのなんだの言われても、どうでもよさそうです。
ただ、大正時代ということを考えると、むしろそれが正解のような気がします。
生々しい話ではありますが……。
かつて日本では、男色、特に少年への愛情を覚えることが今よりもオープンでした。明治時代は美少年を狙う「白袴隊」という犯罪集団が問題視されたほどです。
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伊之助がその美貌を意識し、周囲の目線も感じるようになると、不愉快なことも多いことでしょう。
これは禰豆子や蜜璃にもあてはまることではありますが、配慮を感じる点です。
本作の人物は美貌や魅力があっても、なまじ腕力が高いだけに見ていて安心感があるのです。
現実社会を見ると、特に年齢が高い層は、女性的な容姿の男性を平然と侮辱してきました。
「めめしい」
「あいつは◯◯※か?」
※差別的な同性愛者を意味する単語
「あんな顔していたら、アレに狙われるに決まってるだろ?」
こういうことを“面白いこと”だとして平気で言ってしまう。
昔の少年漫画などでもギャグとして使っていることがあります。
「その程度でダメだなんて、窮屈な世の中になったなあ〜」
そう思えるのは、楽しんだ世代だけ。
下の世代からすれば、なんでこんなくだらないことで笑っていたのか、痛々しく薄ら寒い気持ちになるだけでしょう。しょーもない偏見は、見る気をそいでしまうものです。
◆「保毛尾田保毛男」批判に、フジ・宮内社長が謝罪(→link)
そうした、現在では完全に否定されるべき差別のみならず、偏見もつきまといます。
作中で善逸もこうした偏見を口にするのですが、前述の通り彼の言動は痛々しくマイナスのものと描写されている点は注意が必要です。
美男子はモテる。モテるからこそ気取っていて、クールだ。そんなイメージ由来のキャラクター造形はよくあるものでした。
これ、美形とされた側からすれば、迷惑な押しつけにすぎません。
「そんなに美形なんだから、もったいない。綺麗な格好しなさいよ」
「せっかくの美形なのに、趣味が大工だなんて信じられない! もっとモテそうなことしよう」
「剣道部員がいいって? 何言ってんの。美形なんだから、もっと顔も見える競技を選びなさい!」
「モテるんでしょ? 休みの日はパーティ? 女の子、とっかえひっかえしてんの?」
伊之助がこういうことを言われたら、どう思うか……不機嫌になりそうではありません?
馬鹿馬鹿しい話ではありますが、そういう偏見を常識だと思っている人も、世の中にはいるものです。
『鬼滅の刃』にも、そうした造形のキャラクターはいます。
宇髄天元が典型例でしょう。
ただし、本作の人物像を見ていくと、モテる男は顔の作りではなく、総合的なものがあるとわかってきます。
伊之助のように、美形に生まれようと、変な格好で暴れ放題では、あまりモテそうにない。本人もどうでもよさそう。
天元は、生まれつきの外見だけではない。オシャレに気を配り、女性たちを大事にして気遣い、守る意思がある。女性のみならず、年少者を守る気持ちも常にある。そこがカッコいいのです。
伊之助は、ハッキリと言い切りますと、美形である意味がないキャラクターです。
顔をよく隠している。服装がおかしい。声は野太い。言動もガサツ。食事は手づかみ。気取りがない。モテそうにない。そもそもモテを求めていそうにもない。美形だからではなく、役立つからこそ崇めろと言う。
従来の典型的な美少年キャラクターとは真逆です。世間の期待とは無縁で、自分が追い求める目標を追いかけているように思えます。
妓夫太郎と堕姫のように、鬼となってまでルッキズムに取り憑かれている存在もいる。
この世界にルッキズムがあることも、それに縛られる宿命も、わかったうえでそれを無視するキャラクターを描く。
意図的に先入観を断ち切る果敢な挑戦が、この作品にはあると思えます。
いつの時代だって、少年漫画を楽しみたい心は同じ。
炭治郎たちが生きた時代にも、子ども向けの物語や歌はありました。
ただ、無邪気なようで、そうしたものには当時めざすべき日本人としての姿が反映されていたのです。
桃太郎のような童謡の歌詞にすら、勇ましく外征し、鬼を殺す心理が描かれていました。勇ましく攻め込む姿が、理想であったのです。
時代とともに、めざすべき人間の像は変わります。桃太郎の歌詞は穏健な部分だけが歌われるようになり、勇ましい歌詞は忘れられてゆきました。
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漫画だって、同じようで変わってゆきます。
毒となる男らしさ。
家父長制の呪縛。
女では埋められない心の穴。
ルッキズムに縛られる生き方。
作中の隊士が鬼と対峙するように、読者たちも偏見やそれに縛られた存在に立ち向かわねばなりません。
そうして生きていくうえで、この作品で学んだことは、きっと力強い味方となる。
『鬼滅の刃』を読んだ少年たちが作り上げてゆく社会は、心も価値観も、同じようで違うものになってゆくことでしょう。
それは悪いことではなく、むしろ進歩であり、歓迎すべきことではありませんか?
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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link)
【参考】
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